編集権について

1.経緯
 エキスパンドブック化を担当させていただいた種田山頭火の句集『草木塔』(j.utiyamaさん入力)を青空文庫に登録したあと、尾崎放哉の句集もぜひ入れたいと思うようになった。同じ荻原井泉水門下の放哉は、山頭火と並んでいわゆる自由律俳句を代表する俳人である。「歩く山頭火、坐る放哉」と言われるように、句風は対照的で、同じく絶望感や孤独感を基調としてはいても、放哉のほうがより内面的と感じられる。俳句は現在もなお日本中で親しまれているが、自由律俳句はいまもって鬼っ子であり、放哉の名が広く知られているとは言いがたい。彼の句を若い人でも手を伸ばしやすい青空文庫に入れなければという気持ちは、日毎につのった。
 自費出版ながら7冊の句集を刊行し、死の年には総決算というべき『草木塔』を東京の出版社から刊行した山頭火とは異なり、放哉は生前ついに句集を出さなかった。句集としてまとめられたものは、彼の場合、『大空』1冊しかない。これは、放哉の死後、荻原井泉水が編んだ作品である。
 放哉の死は大正十五年で、著作権はとうに切れている。しかし、『大空』にはもう1つの権利、編集権が残っているだろう…そう思いながらも、「入力中の作品」欄に書名を「大空」として登録してもらった。
 すると、すぐにj.utiyamaさんからメールをいただいた。「『大空』はすでに入力してあるが、編集権の存在が気になっている」との内容だった。すぐに青空文庫の呼びかけ人にこの問題についての意見をつのると、呼びかけ人仲間である富田倫生さんから次のようなアドバイスをもらった。
 まずは、著作権法の規定。
「第12条 編集物(データベースに該当するものを除く、以下同じ。)でその素材 の選択又は配列によって創作性を有するものは、著作物として保護する。
2前項の規定は、同項の編集物の部分を構成する著作物の著作者の権利に影響を及ぼ さない。」
 この条文を今回の事例にあてはめれば、『大空』は荻原井泉水の「編集著作物」に該当する。しかも、90歳を越える長命だった荻原井泉水の死去は1976年なので、著作権は切れていない。
 そして、対処の仕方については、
1 著作権を継承していると思われるご遺族に連絡を取って、了承を得る。
2 「全句集から時期を限定するなどの方法であらためて編集する」
 のどちらかから選択するしかないだろう、とのことだった。

2.実際の対処法
 結論は、1つしかなかった。『大空』をそのまま復刻したいという気持ちは、最初からなかった。デジタルの空間で復刻したかったのは、放哉が遺した1つ1つの句だった。そして、句それぞれの著作権は消滅している。となれば、自分の眼と手で放哉の句を句集の形にまとめるのが最良だろうと思った。
 ただし、少し迷った。いうまでもないことだが、俳句は、その1つ1つが「独立した作品」である。その独立した作品を取捨選択し、配列を決めて句集にまとめれば、そこに新たな意味が生ずる。印刷物を制作する際のコストなどとのかかわりから、句集はふつう1ページに2〜8句程度がおさめられた形でつくられる。このとき、同一ページに並べる句の選択によっては、句と句がより強く関連しあって、よけいな主張を始めるおそれがある。
 まして、こちらは俳句の目利きでもなければ、自分では俳句らしきもの1つつくれない素人である。いくら金銭の授受を生じない青空文庫とはいえ、そんな人間が句集を編んでよいものか。
 結局は放哉の句に対する愛着が勝って『尾崎放哉選句集』なるものを登録することとなるのだが、それを促したのはできれば1句1句をじっくり味わってほしいという思いだった。全くの素人が、ただ「これが好きだ」という気持ちだけを根拠に句を選ぶ。日頃俳句に縁の薄い人たちに読んでもらうならそれでいいのではないか、と考えた。
 ただし、「編集権」があきらかに存在すること、それはすべての人間によって保護されるべきものであること、青空文庫の活動においても常に尊重する必要があることだけは肝に銘じておきたい。 (1998.5.8 浜野)


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