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――アパートの三階の、私の
私は机の上に乗り出して、雁の飛び去るのを眼で追った。しまいに私は机から離れて、
――秋も、はや終ろうとしている。
この浅草のアパートに六畳間十二円のこの部屋を借りたのは、春が終ろうとする頃であった。小さな机に
私は窓を閉めて机の前に帰った。両手を
――私はひどく
「――なんで
少し誇張して言えば、私は外へ出ても
彼女というのは、小柳
「――いいなアというのは、どういうの。踊りが
私は「小柳雅子はいいなア」と言って、レヴィウ・ファンの友人からそう問われたことがあった。
「――なんて言うか、うーん」と私は口ごもった。
またある時、友人のレヴィウ作者に、
「あんな子供を、――君」と言われた。「あんな子供、しょうがないじゃないか」
「しょうがないッて」
「てんで子供だぜ、なんにも知らないまだ子供だぜ」
雁がわたるのを見ての連想からか、私は前の日、浅草へ遊びに来た画家の友人から聞いた、ある外国人の話を思い出した。その人は相当著名な詩人だそうだが、数年前に国を離れ、詩も捨てて、当てのない旅に出、日本へも来たのであった。「僕の友人がその通訳になって、――それで、こんな話を僕にしてくれたのだが」と画家の友人は言った。箱根へ案内した時のことだという。その外国人と通訳とが散歩に出た。
「――では、何ですか」
「わからない」
自分でも、なぜ追われるように、海から海を渡って知らない国を旅するのか、わからない。しかしそうして心に「何か」を求めていることだけはわかるが、その「何か」がなんであるかわからない。いわばそのわからない「何か」を自分にわからせるために放浪しているようなものだ。
二人はそれから黙りこくったまま歩いていた。外国人の顔は激しい
突然、横合いの道から、若い男女の
通訳が後を追ってホテルに帰ってみると、その人はベッドにうち臥して、気が狂ったのかとおもわれるような
「その人は年寄りなの?」
話の中途に私は口を
「いいや、まだ若いんだ。――僕らと同じ
画家の友人は沈んだ声でそう言って、私の眼を
「僕らと同じ齢なのか。ふーん」と私はうなずいた。
しばらく沈黙があったのち、友人はつづけた。「――その外人は発作のような号泣がおさまると、直ちにホテルを引きあげて東京へ帰り、そしてすぐ日本を去った。フランスへ行ったのだが、その外人は金持で、――通訳を勤めた友人を一緒に連れて行った」
「齢は同じでも金持というところが、僕らと違うね」
私はいわば自分から呼んでおきながら重苦しい空気に耐えられないで、それを払いのけるようにそう言った。
「――ところでそこにまた面白い話があるんだ。友人がフランスへ行くようになったについては……」
それには、こういう話があるという。箱根のホテルを引きあげる時、通訳が宿料を払うと、その一部を番頭がこっそり彼の手に戻した。なんだと聞くと、外人の観光客を連れてきてくれた謝礼だという。いらないというと、そのホテルではガイドにコミッションを割り戻す
「まるでお
私はそうした話を聞いて、その外人の、パリに行こうと思えば人まで一緒に連れてすぐ行ける、その富裕な身分に
「面白い話には違いないが、ちょっと嫌だね」と言った。前の、若い男女を見て泣いたという話が私に与えた純粋な切々たる哀しさが、そのため薄らぐようであった。だが話し手としては、秋風
――気がつくと、部屋のなかは真暗だった。私は
机の前に戻ろうとして、ふと私は部屋の隅に赤く
私は火鉢の火が恋しくなった。「――そうだ。お好み焼屋へ行こう」
本願寺の裏手の、軒並芸人の家だらけの田島町の一区画のなかに、私の行きつけのお好み焼屋がある。六区とは反対の方向であるそこへ、私は出かけて行った。
そこは「お好み横町」と言われていた。角にレヴィウ役者の家があるその路地の入口は、人ひとりがやっと通れる細さで、その路地のなかに、普通のしもたやがお好み焼屋をやっているのが、三軒向い合っていた。その一軒の、森家
「こりゃ大変な客じゃわい」
さてここで、芝居にたとえるなら、いわば初めて物語の幕は開かれるのである。では、今までのおしゃべりはなんであったか。私というこの物語の語り手の心の楽屋をちょっと覗いて見たのであるが、思えば、そんなことは不必要であったかもしれない。
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たとえば学校の小使部屋などによくある大きな火鉢、――特に小使部屋などというのは、あまり上等でない火鉢を想像して
その感動に背後から
「――すみません」
と言った。「すぐ
細い胸を縮めてお辞儀をするその恰好は人のいい感じの
「どうぞ、ごゆっくり」
私も、――こうすれば何かいたいたしい相手の心を傷つけないですむ、負けない卑屈さになるだろうと努めた声でそう言い、またそのように努めた物腰で、部屋の隅に坐った。
若者は滅茶滅茶にソースをぶっかけた「
「ミーちゃん。すンません」
台所にそう声をかけて、茶碗を頭上に
ミーちゃんと呼ばれた、緑色の洋服をきた若い女が、指にからんだ黄色い
私を見て、ピョコンと男のような乱暴さでお辞儀をすると、
「――
と、怒ったみたいに言った。
「大変だね」と私が言うのと、「すまないなア」と若者が、女のようなしなやかな細い手で茶碗を渡しながら、そう言うのと同時だった。するとミーちゃんが「そう、すまない、すまない、言うのよしなさいよ」と、姉のような調子で、きめつけた。
「――だって」
「
「――すみません」
今度はおどけて言ったが、おどけていてもその声は細い金属の線を思わせる、繊弱な、かすかに震えを帯びた感じの声だった。
座のなかから「――とっても、いけねえや」という
「もう焼けてるね」
と、側の女優風の女が焼いている支那蕎麦を指さした。
「
――ここでミーちゃんのことを、ちょっと。私は初めてこのお好み焼屋へ来て、ミーちゃんに会った時、彼女がお客のようでありながら、この場合のように何くれとなく小まめに手伝っているのを見て、この娘はなんだろうと思った。ここへ私を案内してくれたレヴィウ作者に、そこでそっと聞いてみると、彼女は
浅草の舞台は大変な労働で、その舞台をやめると、踊り子は急に
その後、私はそのお好み焼屋の、これまたなんというか、――何か
レヴィウの幼い踊り子たちは、親しい男性を呼ぶ時、いかにも人なつこい調子で「お
「――お兄さん」
と口の中でつぶやくこともあった。心のなかで、私は
話は美佐子に戻って、――はてさて、恋心持の話から食いものの話に突然移るのは妙な工合であるが、――「ビフテキ」、お好み焼の「ビフテキ」である。その「ビフテキ」というような、ただ油をひいて焼くだけでなく、焼きながらその上に順次、
そんなような場合の、あるとき、私はさりげない調子で、
「あんたは、どうして舞台をやめたの」
と尋ねた。火鉢の前には、美佐子と私だけしかいなかった。珍しく客のない静かな晩だった。いつもなら、火鉢のまわりにウロウロしていて、客の誰彼にかまわず
「――つまんないから」
「ふーん」
焼くのを美佐子にまかせて手持ち無沙汰の私は、
「つまんないッて言うと……」
舞台にあきたのか。彼女はそれを
「ちょっと蜜を取ってちょうだい」
私は、ほいきたとあわてたような声を出して、手をのばして蜜の
「いい年をして、十六七の娘と一緒に踊ってもいられませんわ」
そう言うと、まるで容器にあたるみたいに、ガチャリと乱暴にそれを置いた。十六七という言葉から、私は小柳雅子を思い出した。いつもはっきりと頭に刻まれている十七歳のその可憐な
「いい年って、失礼だが」
「ほんとに失礼だわ」
眼に
私はぬるくなった茶を飲んで、
「そう言えば、公園の踊り子さんたちは、いつも子供ばかりだな。大きくなると、次々にやめて行って、――かわりにまた子供が出てくる」
私はこの数年、公園の舞台に花のようにパッと咲いてはいずれも花のように散ってどこかへいなくなってしまった実にたくさんのレヴィウの踊り子たちのことを考えさせられた。何か寂しい想いが胸に来る。
「どうしてやめるのかしら」
「だって、踊っていたってしょうがないんですもの」
「しょうがないといえば、しょうがないが……」
「――焼けたわ。お皿」
ほいきたと皿を渡しながら、
「――やはり舞台にあきるのかね」
彼女はそれに答えず、慣れた手つきで、四つに切った肉片を素早く小皿に取ると、鉄板に残った肉汁が赤褐色の
「このおつゆがおいしいわね」
そう言って、はいと皿を私にくれ、
「――あたしなんか、あきたわけじゃないんだけど」
つぶやくように言った。
じゃ、どうしてやめたのか。聞こうとして、あんまり立ち入りすぎると思って、
「お
「――いや、どうも」
銚子を取り上げて、私に
「そりゃねエ」
ポツンと言って口を
「――え?」
と、私が言った。
「いえね、さっきの話」
ああそうかとうなずくと、
「そりゃ、あきてやめる人もあるかもしれないけど、でも、大概の人はあきてやめるわけじゃないと思うわ」
私は黙って
「なんていうんでしょう。自然とやめなくちゃならないようになってるのね。そう思うわ」
最後の言葉を急に強く力むように言って、
「あたしも、お酒飲もうかしら」
「あんた、いけるの?」
知らなかったものだからと
「盃を持ってらっしゃい」
「――あまり飲めないんだけど」
「おばさん。――盃をひとつ」
台所に声をかけた。
「いえ、あたし……」
立ち上って、細君に、
「――お姉さん、あたし、お酒飲むわ」
訴えるような声だ。
「おや、おや、ミーちゃん。大丈夫?」
「大丈夫ってなアに」
「なんだか知らないけど」
「大丈夫よ」
盃を持って戻って来て、
「お姉さんも、こっちへ来ない。一緒に飲まない?」
「――大変ね」
細君は取り合わぬ声で、
「――あんまり荒れないでちょうだい」
「荒れるかもしれない」
男みたいに言って、今度はしんみりと、だが別に聞かせる調子でなく、
「あたし、なんだか、急に
「恋人?」
と、ここで私は
「――ご亭主」はっきり言ってのけた。
「
めといった顔をして、銚子をさした。彼女はなんとなく鼻をすすって、こっちの戯けに乗らなかった。眼を細め、しかし口もとは
「ところがねえ、簡単に会えないの」
「どうして」
「東京にいないんだもの」言葉が親しみをこめて
「そりゃ、つらい。どこにいるの」
「――静岡」
「静岡、ふーん」
別れている理由を尋ねるのは控えた。――彼女たちの世界では、男女関係がちょっと常識で考えられない乱れを見せていて、たとえば、こんな会話を私はよく聞くのである。「――A君は元気かい」「
私は、うっかり聞いて、――彼女の言いづらい別居だったりしたらと思って控えたのだが、こっちが黙っていたため、かえって彼女の方で言った。
「――病気で
「ふーん。――こいつ、つままない」肉をすすめると、
「
首を振った。
沈黙が来た。鉄板の上で酒を
「そうか、わかった」
私は精一杯ひょうきんな声にして、
「あんたは、その旦那さんと一緒になったので、舞台をやめたんだね」
言ってから、あまり気のきいた
「結婚と舞台とは違うわ。どっちも大事。――そりゃ、結婚してやめる人もあるけど」
そう言うと彼女は急に酒が回ったみたいに、とみに
「T座の文芸部の人で、あたしたちのことを舞台の消耗品だと言った人があるわ」
私はレヴィウをしょっちゅう見ているし、レヴィウ小屋に友人もいろいろとあるが、今までレヴィウの踊り子に対しては何か甘い夢想的な
「あんたは、じゃ今でも、
「あたし、できたら一生踊ってたい」
再び沈黙が来た。
「――ミーちゃんたら、大気炎だね」と言って、細君が台所から出て来た。美佐子は話題を変えて、
「おたくは、――
この言葉に、私は破顔一笑、――重く
「サア、何かなア」
とぼけると、
「但馬さんと同じ
細君が油坊主で鉄板を拭きながら美佐子に言った。
「但馬さんという
「本を書いていたんですよ」と細君の答え。本とは脚本のこと。
「まあ、同じような商売ですね」
そこへ、ここの定連のひとりである漫才屋さんの「ぽんたん」が「今晩は」と
「
台所に二階の昇り口がある。その階段の上から誰かがどなった。二階では、私が入って来た時から、何かドタバタと音がし、数人のものがボソボソつぶやいたり、と思うと急に
「――あいよ」
返事をしたのは、例の若者であった。ドサカン? あだなに違いないが、妙なあだなだと、私は、あたふたと立ち上る若者の背に、その意味を探ろうとでもするような眼をやった。――後日、私はドサとは
ドサ貫の席が空いたので、「どうぞ」とすすめられたが、私は若干気後れがして割り込めなかった。かえって
やきそば。いかてん。えびてん。あんこてん。もちてん。あんこ巻。もやし。あんず巻。よせなべ。牛てん。キャベツボール。シュウマイ。(以上いずれも、下に「五仙」と値段が入っている。それからは値段が上る)。テキ、二十仙。おかやき、十五仙。三原やき、十五仙。やきめし、十仙。カツ、十五仙。オムレツ、十五仙。新橋やき、十五仙。五もくやき、十仙。玉子やき、時価。
この「仙」という字が、ちょっと私は気に入らなかった。「銭」でいいではないかと思い、その後、なんとなく細君に言うと「仙」というのは、人に山で、――「人が山と来るというんで縁起がいいそうで」と説明された。
――写している途中、二階から新顔が降りて来た。すると火鉢を囲んだ一人が、
「○○君は死んだ?」
大きな声で、降りてきたのに言った。
「いいや、まだ殺されねえ。――でも、もうすぐ殺されるよ」
「そうか。しからば、急いで食わざなるめえ」
――芝居の
やがて波が
すると美佐子はすぐ皿を用意して、台所から出てきて、私の正面にべたりと坐った。
「――大変な騒ぎ」
私は口をきくのも
「おたく、倉橋さんッて言うんですってね」
倉橋というのは私のほんとうの名である。私は苦笑しながら、
「――誰が言った?」
その言葉で私がみずから倉橋であることを認めたことになる。
「――やはり倉橋さんというのね」
うんとうなずくと、
「小説家の倉橋さんね」
とさらに念を押す。私はどういうものか、小説家と言われると妙に照れ臭いので、おでこをむやみに
「倉橋さんッて、前に奥さんと別れた……その奥さんが、倉橋さんと別れてから女優さんになった……。その倉橋さんね」
ひどい念の押し方である。私はことごとく照れて
「たったいま、おたくが倉橋さんだって聞いたんだけど、――驚いたわね」
「いま聞いた?」
「ドサ貫ちゃんが教えてくれたの」
そう言われれば二人は台所の隅で私の方にチラチラと眼をやりながら何かコソコソ内証話をしていた。私はそれを、座の連中が二人をからかったことに結びつけて見ていた。
「ドサ貫君が?」
つづけて言おうとするのを
「――あのね。(この「あのね」は高勢某のおはこの、
美佐子の眼には、私をギョッとさせた何か憎悪に似た光が燃えていた。
「因縁というと……」
私は気味が悪かった。
「――いずれ話すわ」
「
迫ったが、彼女は唇をキッと結んだ、今まで私についぞ見せたことのない固い顔をソッポに向けて、取り合おうとしない。……
私は「オムレツ」を無理に
「一緒に行こうかしら。いい?」
「――どうぞ」
言い出しておいて結局何も言わない因縁の話を、彼女から、歩きながら聞き出せるかもしれないと思って、私はさらに積極的に、行こうと誘った。
美佐子は六区へ行こうと言った。――そしてやがて、次のページに掲げられた挿絵のような風景の見られる場所へ足を運んでいたが、そこはどこか、そしてそこらで私たちはどんな会話を交したか、それらのことは、――この物語の第二回分として作者に与えられた紙数がもはや尽きたから、
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上に
で、美佐子の方は? 美佐子もひとしく逃れるごとき足どりだったのは!
一体美佐子が私に六区へ行こうと誘ったのは、今は離れている六区への郷愁、離れたくなかったのに離れ、それへの未練が絶ち切れない六区の舞台へのやるせない想い、そのせいと察せられた。そうと明らかに察せられるような言葉を美佐子は道々口にした。ところが、いざ来て見ると、火に誘惑されてそのなかに飛び込んだ虫とあたかも同じような苦痛に襲われたようであった。その苦痛から逃れるため、暗い池へと逸れたらしいのであった。
私たちは橋の上へ来て、ほッとした。それが私たちの足を思わず橋の上にとどめさせた。私はそうした
映画館街をそのまま終りまでずっと行って、ちょっと右へずれてまっすぐに
二人ともしばらく黙って突き立っていた。するうちえたいのしれない焦燥が私のうちに
「倉橋さんは、なんで浅草をブラブラしてんの?」
「――さあ」正面切って説明するのが
「ネタ取り?」
「そうじゃない」
これは、はっきり言った。
「じゃ、なアに」
「――浅草が面白いからさ」つい、出まかせを言った。すると美佐子は顔をしかめた。暗いなかでもはっきりとわかるしかめ方であった。そしてきびしい調子で、おたくは猟奇の気持で浅草をブラついているのかと言った。――猟奇という言葉を初め耳にした時、私はそれとわからないで、え? と首をかしげたが、あ、そうかと気づくと、珍しい言葉にめぐり合った感じが微笑を呼び、黙って微笑していた。美佐子は靴先をコツコツと鳴らしながら、
「
但馬はと美佐子が言うのが、いかにも私には唐突の感じだったので、「ふーん。但馬さんがね」と私は言った。(その後、しばしばそうした唐突さに会っているうちに、私は慣れて、唐突を感じなくなったが、それと共に、美佐子のそうした唐突さは、彼女の心のうちに、何かというと但馬が入ってくる、知らないうちに彼女のなかに但馬が坐っている、そうしたことから来ているものと知らされた。)
「ええ、但馬はそういう人を、とても憎んでいたわ」
美佐子は彼女も但馬と同じ気持らしいのを語調に出してズケズケ言った。
「――但馬がもし浅草にいて、おたくに会って、おたくの猟奇趣味を知ったら、きっとカンカンに怒ったに違いない」
そう言われて、私はあわてた。私はいわゆる猟奇的な気持で浅草へ来ているのではないと、そこで弁解したが、しかし――浅草のアパートに部屋を借りたのは、仕事をするためという理由を立てているが、浅草を見る私の眼には幾分猟奇的なものがないと言えない。それだけに、そう言われると、浅草へ来はじめてからすでに半年経った現在、何か半分だけ自分が浅草の内部の人間のような気持になっている私として、但馬が浅草を猟奇的に見る外部の人間に対して憤怒と憎悪を持つというその気持は、私にわからないではなかった。だが私は、わからないような顔をして、美佐子に、どうして但馬さんは怒るのかと
美佐子の返事は
こっちが真剣に生きているその生活を、はたから何か興味的な眼で
だが、それは美佐子が言った、私と彼女の妙な因縁というのを、私が知らないからであった。そして、――(あるいは)そのため、彼女がどういう気持で私についてきたか、そしてまたどういう気持で私の猟奇趣味をズケズケと
その因縁というのを(ほんの一部だが)間もなく私は聞くことができた。
私たちは橋を渡ったすぐ右手にある「おまさ」という茶店に寄った。夏のうち、よくそこで食べた
瓢箪池の島には「おまさ」のほかに、そうした店が左手にもう一軒あって、これは私たちが橋の上から眺めていたネオンの方へ向いていて、この店は反対側の噴水のある方に向けて縁台を並べていた。夏向きでこの季節むきではない縁台に腰をおろすと、瓢箪池がまるでこの店に属している私有の池のような感じで眺められた。美佐子も、ところてんを注文した。
さて因縁の話だが、――気になるから聞かせて貰いたいと私としては珍しく強気に、要求的に言ったのである。美佐子が何やら私にふくむところがあるような感じでズケズケ言ったことが、反射的に私の気をも強くさせたのである。――美佐子は口を吸盤のようにとがらせて、ところてんをツルツルと吸い込んでいた。
「どういうんだか知らないが、――聞かせてほしいね」
美佐子は皿を持った手を
「前の奥さんにお会いになります? 今なにしてらっしゃるの」
何か皮肉な調子の丁寧さだった。
「――
「上海に?」
口には出さないが、なにしに上海に行ったか、聞きたげな顔である。私はしかし黙っていた。池の噴水が、今は夏場とちがって誰にも顧みられないにもかかわらず、熱心に忠実に、だが佗しげに、そしてやや憤然たる趣きで、寒い水を吹きあげているのに、眼をやっていた。
――私の以前の妻の
「そう言っちゃ、なんだが、――他の
私は苦笑して何も言わずうなずいていた。鮎子の上海行は、鮎子ならというんで、聞いてもびっくりさせられない、――ということには私も同感だが、友人の言葉にはさらに、鮎子もとうとう落ちるところへ落ちたという意味が付加されている。それには私は同感できなかった。鮎子への同情、哀憐からでなく、鮎子の上海行は、私に、落ちるところへ落ちたという感じを少しも与えないからである。
鮎子が私のところを出て行ってからのこの数年間の生活は、そのうわさを人から聞いたり私自身鮎子に銀座などで会って話を聞くたびに、いつも、前と違った新しい状態を知らされる、実に変転常なき生活で、――なにがなんだかさっぱりわけがわからない。そういう言葉以外には、その生活の様相を言いあらわし得ない感じだ。しかし、なにがなんだかさっぱりわけがわからないながら、そこには、そうした現象をあざやかに貫いて通っている。それだけははっきりわかる一本の線のようなものがある。生活力の旺盛ということだ。鮎子は常に、実に
数日前、私は上海からの鮎子の手紙を受け取っていた。それには、従軍作家部隊に参加して渡支した、私と親しくしている作家のN君などに、鮎子が上海で会った模様等が書かれてあり、あなたもぜひ一度、なんとか都合してこっちへ来るよう、切におすすめします。あなたのジメジメした性格、ジメジメした小説がきっと強いものに
「上海というと、――大屋五郎さんとはどうしたのかしら」
そういう美佐子の顔は(友人の言葉を借りれば)上海へね、ふーむと唸っている顔だった。
「さあ――」
鮎子と大屋五郎の仲は、――別れたと聞いたと思うと、また一緒になったという話だったり、一緒だと思っていると、別れたと聞かされたり、これまたなにがなんだかさっぱりわけがわからない。大屋五郎というのは新川六波一座のレヴィウ歌手で、鮎子は齢の上では一つ下だが、年上のような態度で「ゴロちゃん」と呼んでいる。二人の同棲を聞いたのは、二年ばかり前だった。
「――君はゴロちゃんを知っているの?」
私が言うと、
「知ってるも何も……」
美佐子は、ふんと鼻を鳴らすような冷笑的な口つきをして、
「――大屋五郎はね」
と今度は呼びすてにして、
「あたしの妹の……」
亭主と言おうとしたのか、恋人と言おうとしたのか、――言いにくそうに唇を
「――おたくの前の奥さんと出来る前の話だわ」
「ほう」
初めて聞く話である。全くもって妙な因縁だ。私は驚いた。この時、美佐子が何か泣くのを抑えているみたいな、ヘンに歪んだ、――つまりこの話がうそでないことを私の眼に明らかにするところの深刻な表情をしてなかったら、うその作り話と思ったかもしれない。そんな疑いが浮んだかもしれない。それほど、私は驚かされた。
さよう、現実においてさえ、作り話めいた感じのするこの話だ。まして、こうして小説の形で語られる以上、読者はこの妙な因縁というのを私の小説的作り話と思われるに違いないだろうが、小説的作り話だったら、私は、――いかにへたな小説書きの私だといえ、こんないかにも作り話然とした作り話は作らない。もっとほんとうらしい感じの作り話を作って、お眼にかける。――(さらに、ずっと
「で、妹さんはやはりレヴィウの方でもやってたの?」
私は手をこすりながら言った。――池の傍は冷えてくる。
「ええ、私と同じにT座にいたの。その時分、大屋五郎さんもT座にいて……」
「で、妹さんは今は……」
「――死んじゃったわ」
びっくりするような大きな声で、はき出すみたいに言うと、ぷいと顔をそむけた。
しばらく私たちは無言だった。
私は池の向うにぼんやり眼をやっていた。そこには、――映画館街から言うと、O館の裏手に当って、いままでちっとも気がつかなかったことだが、「親子
「名前は、――なんて言う名だったの」
美佐子は口をつぐんだままだった。だが、やがて、
「市川
震えを帯びた低い声だった。
――美佐子と私との妙な関係の話は、それで打ち切られた。だがそれだけでは、ほんの外郭を示されたにすぎないのである。それゆえ、それだけでは、前節の終りに書いたような、美佐子がどういう気持で私についてきたか等々のことは、私に依然として不明なわけであった。後に、話のすべてを知るに及んで、初めてそれを察せられたのだったが、――今はまだそれを語る時ではないようだ。
――さて、ここは、私たちのいる
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その夜、――なんだか妙に疲れて
「やあ、いるいる」
部屋に電気をつけたままだったし、スリッパが廊下に出ているので、それらが私の在室を告げるわけだ。(電気は、――暗くするとどこからともなく現われて来て私に
誰かなと私が蒲団から亀のように首を出すと、部屋の外で、
「倉橋君。――勉強ですか」
ひどく
「やあ、朝野君。どうぞ」
朝野は扉を開けて、
「おや、もう寝てるんですか。この頃は泊っているんですか」
そして私の返事を待たず、
「――せんの頃は、夜来ても、いつも
私は浅草に住んでいる朝野を、私の方からついぞ
「倉橋君の浅草生活も、いよいよこう泊り込みで、本格的になってきたですな」
と言った。なんと
「――あまり感心しませんな」
と言った。これは一層挨拶に窮する言葉だった。
「仕事の方はどうですか」立てつづけに言う。
機銃にタタタと打ち込まれる感じで、
「――駄目ですね」
と私は言って、へたばるみたいに蒲団の上に坐り込んだ。
駄目ですねと言ったことで私は、――朝野の出現で中断されたが、それまで寝ながら頭のなかで堂々めぐりをさせていた想念を、ここでまた
それは一口で言うと、――何か
私の頭には、フランスの作家のモンテルランの言葉が刻みつけられて離れない。「――文学上の仕事には、必ず劣敗者のみっともない泣き言がつきものだから
こうした願いは、事変と共に私のうちに起きたものであった。外から要求されたものというより、私としては、うちにおのずと起きた一種生理的な欲求のようなものであった。だが、私にはそうした小説がどうも書けなかった。いたずらに欲求が
私は戦場へ行ったら、そのヒステリーみたいなのから救われるかもしれないと思った。だが、私には、同胞が生命を
「君は……」と私をねめつけ「おめえは駄目だ。――だからおめえは駄目なんだ」と卓を叩いて言った。評論家は、駄目だという理由を説明してくれなかったが、私は私のそうした気持は下らないということを悟り得た。現地へ行けば、そんな個人的な下らない気持は吹っ飛び、吹っ飛ぶとともに、行かないと得られない貴重なものを得られるに違いないと思った。戦場へ行くということは、そんなケチな感情など問題にならない、もっと大きい高い立場に立つものだと思った。だが、そう思っても、私のそうした気持はやはり心から払い去られないで残った。
そして、――そのくせに、私は浅草をうろついて、一見すべての人に対して申し訳ないような、ぐうたらな生活を送っていた。私が浅草のアパートに部屋を借りた理由は、前に述べた。だが、盛り場はいろいろとあるのに、なぜ特に浅草を選んだかということについては述べなかった。私はそれまで、盛り場としては銀座を愛していたが、とみに銀座や銀座的なもの、私のうちにおける銀座的なものに嫌悪を覚え、同時に、浅草は民衆の盛り場というぼんやりした(いい加減な)概念に
いや、こんな調子でしゃべらせておいたら、それこそ果てしのないおしゃべりを、私はこの辺で打ち切らねばならぬ。
――私は朝野に、仕事がうまく行かないと言った。すると、朝野はわが意を得たりといった顔で、
「浅草の空気は僕らにはいかんです」
僕らというのに特に力を入れて、断乎として、何か噛み付くみたいに言った。
「浅草は人間をぐうたらにさせて、いかんです。――浅草では、ふうッとしていても、生きて行かれますからね。こいつが、いかん」私の浅草生活が本格的になることは感心できないと朝野が言った意味がわかった。「――僕がいい例ですよ。全くもって、いい例だ。浅草に毒された、浅草の空気にすっかり台なしにされたいい見本ですわ」
朝野は煙草のやにで黒くなった
「僕はこの間、『サーニン』を読んだら、――ユーリイという副主人公がいますね。サーニンと対照的な弱い男、――そのユーリイの言葉にこういうのがあった。『僕の友人は……』とユーリイが言うんですな。『僕の生活は教訓的だと言う。つまり、人間はこんな風の生き方をしてはならないという意味で……』と、こう言うんだが、この僕もまさしく教訓的な存在ですよ。浅草がどんなに人間を腐らすかという……」
私は朝野がみずから敗残者みたいに言うのが聞きづらく、何か話題を変えようとあせった。(私が彼のところを訪ねて行く気がしないのは、彼を訪れることは、そうした敗残的な言葉を聞くために行くようなものだったからである。)
「そうそう――」
と、私は膝を叩いた。
「朝野君は
「但馬が浅草に現われおったのですか。――会ったんですか」
と朝野が眼を光らせた。
「いや、会ったわけではないんですが」
「そうだ、但馬はユーリイだ」
と、朝野がさえぎった。「――左翼
「左翼崩れ?」
「そうなんですよ。――僕は左翼が嫌いだから、その方のことをよく知らないんだが、但馬は左翼の芝居の方をやっていたらしい。――その時分、但馬はまだ学生で。しまいに、但馬は学校をやめて、芝居から政治運動の方にもいったらしいんですね。そいで左翼が駄目になると但馬は浅草へ転げ込んで来たんですわ。但馬としては、新しい生活を見出そうというつもりだったんでしょうな」
朝野はバットの口を噛んで、
「一体、左翼崩れ、――そうだ、この頃はもうこんな言葉は
私は美佐子によって植えつけられた但馬に対する興味をいよいよ
「その点、僕は同病相憐れむという奴で、但馬に親愛の情を感じているんだが、ただちょっと――但馬は妙な奴でね」
と朝野は、
「但馬は、てめえ自身はまるで駄目なくせに、自分の周囲の、浅草の連中には、妙にその連中の生活力を湧き立たせる、――力というか、作用というか、影響というか、そんな微妙な、奇妙なもんを持ってやがって……。(朝野の声には、自分の言葉で、どういう感情かわからないが、激しい感情を波立たせられているのが感じられた。)こいつが実に妙なんですわ。――奴は意識して、そうやっているわけではないらしい。自分は駄目だが、周囲の奴は、しっかりさせよう、そんな
一気に言ったが、思いなしか、最後の言葉を言った時のその
「いや、違う」
と大きな声で言って、自分ながらその大声に驚いた顔をしかめたが、――つづいてそのこわばったしかめ
「倉橋君。パイ一やらんですか」
突然そう言うと、
「やりますかな」
「――倉橋君。僕は金を持ってないんだが、ありますか」
「ええ、少しぐらいなら」
私は朝野の言葉をまるで自分の方で言ったみたいに恥かしい想いをした。そして朝野は、彼がまるで私のような顔をしていた。
私はすぐさま立ち上ろうとした。すると朝野は抑えるように、
「その但馬ですがな、――」
と言った。
「但馬がどうというわけじゃないのかもしれんですよ。というのは、インテリは但馬だけで、周囲の浅草の連中は但馬と人間がちがう。そこで、その連中は但馬に一目置いている。尊敬している。但馬の言うことに耳を傾ける。その辺のところから、但馬がどういうわけでもないのに、但馬の作用という奴が生れてくるのかもしれないんでさ。(自分に納得させるように、朝野はうなずいて)そうだ。それに違いない。――但馬はいつもこう言っているんですよ。逞しく生きよう、とね。これが奴のオハコなんですわ。ちょっと
朝野は自分から但馬の異様な影像を私の前に描き出して見せながら、それを自分で打ち壊した。打ち壊している最中は、朝野の得意の、自分で自分を
そしてボソボソとつぶやくようにして、こうつけ足した。ちょうどこわした彫像のかけらを集めるような調子で――。
「しかし但馬には、へんに人を
「さあ、出ましょうか」
そして立ち上りながら、ふと気づいた風で、
「倉橋君は、但馬をどうして知っているんですか」(朝野はいささか奇型的な感じがするくらい、
「その人の細君というのと、田島町のお好み焼屋で知り合いになって……」
「惚太郎、――じゃないですか」
と朝野が
「惚太郎」で私はまだ朝野に会ったことがない。
「朝野君は、あすこへ……」
「この頃は行かんですが……」
私たちは部屋を出た。急な階段を朝野は先に降りながら、
「あのお好み焼屋は、これがまた但馬の、――作品と言いますかな。あれは、ご亭主の惚太郎が出征したあとで細君が開いた、――
私たちは階段を降りて、薄暗い、茶色っぽい電気の光の漂った台所に立った。アパートの人たちの共同炊事場である。その
「どこへ行きましょう」
外へ出ると私が言った。月が路地の上にかかっていた。その夜にかぎって遠くへ飛び去ったみたいに、ひどく離れて小さく見えた。
「
「金は二三円ありますが。そうだ。お好み焼屋へ行きましょうか」
「いや、いや」
と朝野が首を振った。「下手な酒より泡盛の方がうまい」
アパートの
そこへ行くまで、朝野は、どうしたのか、――アパートでは独りで、熱にうかされた人のようにまくし立てていた朝野だのに、いや、そのせいでか、不機嫌な風に黙りこくって、私の先をトットと行った。その上った肩は、そういう肩つきなのか、それともわざと肩を怒らしているのか、――肉がてんで無くて骨がゴツゴツなのを、色がわりしたヘラヘラの二重回しの外にありありと出していた。朝野は、その
――泡盛屋はスタンドの前に五六人並ぶといっぱいになる狭い店で、肥った婆さんがひとりでやっていた。娘を映画俳優に
泡盛が入ると、朝野の舌が再び動き出した。「惚太郎」の話を始めた。
「惚太郎のおやじ、――
「戦争の
「いや、それがね、それがなんですわ。出られないというのは、まんざらウソでもないらしいが。――
朝野は分厚いコップを口に当てた。
「芸人がいやになったんですかね」
私も、重たいコップを持ち上げ、コップの
「そうじゃないんですよ」
と言って、朝野は、伸びた
「奴さんは立派な芸人ですからね。下らない
朝野はギョロリと私の顔を睨んで、――(この素人作家め! と、それは言っているようだった。)
「あの人は(と、何か語調を改め)漫才なんかやる人じゃないんで、――いつかも僕にこう言ってた。高座に一人で出て、大勢のお客さんを相手にして負けないのが、これが芸人で、二人出てやる漫才屋なんか芸人じゃない。こう言って、――漫才屋になった自分はもう芸人でなくなったと笑ってたが、もとは
朝野はコップをたちまち
「――お好み焼屋へは、いろんな芸人がくるでしょう。いろんなといっても、あんな汚いところだから大した奴はこない。おやじの嫌いな下らない素人漫才のような奴ばかりで、そんな素人漫才屋が、あすこでトグロを巻いて、やれ、今晩は大したお座敷で、いくら
それで、細君がひとりで忙しがっているのに、外に出て歩いてばかりいると朝野は言った。
私はこの物語で、「風流お好み焼――惚太郎」は紹介しながら、その本人の惚太郎をこれまで一遍も出してない。出して置いた方が、――朝野のこのような話を紹介する前にやはり惚太郎を紹介して置いた方が、好都合であったと思われる。だが、それは、私の不注意で、私が出さなかったのではなく、惚太郎が出てこないのだ。私が「惚太郎」を紹介する場面の時は、いつも惚太郎は家にいなかったのである。細君に聞くと、戦友のところへ遊びに行くらしいのだ。「よっぽど懐しいものと見えますね。――戦友の
ところで、私は、素人漫才屋が「惚太郎」でオダをあげるという朝野の言葉で、
――ぽんたんは、つい先頃まで、ドサ回りの役者だった。まだ
――そして、これは余談にわたるが、やがて鶴家あんぽん、亀家ぽんたんのコンビは、公園の「漫才常設館」のE館に入ることができた。素人ながら、うまかったのだろう。あるいは素人の「新鮮さ」が客に受けたのかもしれない。かくて彼らとしては晴れの舞台の浅草の小屋に出られることになったのはいいが、駆け出しというところで、月給は六十円。六十円というのは、二人一組に対してのもので、だから一人は三十円。
ところで、鶴家あんぽんは、これは、ぽんたんのような役者出身でなく、前身は全く舞台に関係のない、九州の某駅の助役であった。それが芸者に熱中し、やがて各方面不義理だらけにして
――という話を、私は「惚太郎」の細君から聞いた。
「ぽんたさんは、先頃あんなに元気だったのに、可哀そうに元気がなくなっちゃってねえ。――漫才は一人では稼げませんからねえ」
ぽんたんは意気軒昂の頃は、
「――なんか、おもしろいネタありませんか。ひとつ教えて下さい。どうも、いいトリネタがなくて」
と私の顔を見ると、言ったものだが、近頃はとんと言わなくなった。黙って五仙の「やきそば」を、ながいことかかって食っていた。――
「小説なんかも、同じじゃないですかな」
と、朝野が台に
「――芸の小説より、ネタでごまかして客を釣る素人小説の方が幅をきかせているんじゃないですか、僕は惚太郎と同じ心境ですな。ケッ! 胸糞が悪い!」
「いや、僕が小説を書かないのは、――書かないんじゃなくて、書けないんですよ。――僕は駄目ですよ。ああ、なんにも言わないで……。僕は駄目なんですよ」
――私は
酩酊すると、私の頭のなかで可憐な小柳雅子が乱舞しはじめた。私は小柳雅子の名を唇にのぼさずにいられなくなった。
「K劇場の小柳?」
と、朝野が言った。「K劇場なら僕の
冗談のようでもあり、本気のようでもあった。そうした朝野は酔っているようでもあり、酔ってないようでもあった。
「荒すも荒さないも、まだ一口だって口をきいたこともないんで……」
と、私は言った。私は自分の言葉で胸をつまらせ、おや、泣き
「これはまた……」
と朝野が遮った。「なんじゃね。それは」
そして
「じゃ、明日、一緒に楽屋へ行こう。倉橋君を小柳雅子に会わせよう。そして一緒に外へ出て、お茶でも飲もうじゃないですか」
「…………」
私は浅草のレヴィウの方に知り合いがないわけではなかったから、頼めば、そういう機会を持てたのだが、――頼み込むということが何かできないで、したがってそうした機会に今まで恵まれなかった。そして、恵まれる時が来た。――だが、私には何かためらわれた。
しかし朝野は独りできめて、
「明日アパートにいますな。夕方呼びに行きますわ」
朝野にキッパリときめられると、初めて、私は
「浅草のことなら、万事僕に……」
そう
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このおかしな小説も、これではや第五回目である。書きはじめてからすでに七カ月経っているのだが(五カ月でなく、七カ月という勘定の合わなさは、二カ月休載したからであるが、でなぜ休んだかというと、――エイ、そんなことはどうでもいい。)その七カ月の間に、私が書いたことといったら、ああなんと、たった一日の話。もとより物語も一向に進展を見せてない。これがもし達者な作家であったなら、その間に、たとえば五カ年とか、七カ年とかにわたる
*
約束通り、朝野光男はアパートを訪ねてきてくれて、私はアパートを出た。
国際通り(国際劇場のある通り)へ出る角に、自転車の預り所があり、朝野は言った。
「――預けて行ったきり、そのまま取りにこないのが、よくあるそうですな。小僧かなんか、なんでしょうな。使いに出たすきに自転車を預けて、ちょいと活動でも見るつもりが、ついうかうかと遊んでしまって、もう主人のところへ帰れない。で、自転車をおッぽり出して、逃げちゃう。そういうのらしい自転車が、しょっちゅうあるそうですな」前夜と同じように、朝野は
国際通りへ出ると、折から国際劇場の松竹少女歌劇の昼の部が
松竹少女歌劇は、浅草で巣立ったものであり、今も浅草にある国際劇場でやっているのだが、その現在のお客は、何か浅草に
私たちはK劇場の楽屋口に行った。
朝野はまるでそこの幕内の人間のような顔で、さっさと、なかへ入って行った。その背は、前夜、彼が「浅草のことなら、万事僕に……」と言って胸を叩いた時と同じような昂然たる一種の光彩を放っているごとくである。入るとき、朝野は「――さあ」と私に言ったが、「一緒に」という意味にしては、ちょっと曖昧な感じだったので、それに私はすっかり気おくれしていたので、ひとり外に残った。
その路地の、楽屋口の前にも、自転車の預り所があった。その隣が、国際通りに面した漫才小屋のT館の裏に当っていて、幕合いのおはやしが聞えてくる。それに合わせて、私の心臓はドキドキと鳴っていた。
「どうしたですな」朝野が扉から顔を出して言った。
私は
――ダンシング・チームの楽屋は暗い舞台裏の三階にあった。急な裸の鉄階段を踏み外しそうにして、私は三階に行った。もとより、らくに堂々と楽屋に乗り込めたわけではないが、そうしたうるさい私の心理風景は省くとして、さて、楽屋風景であるが、ここに楽屋風景を、ことこまかに書いたものか、どうか。
書きたいところである。私のようなあさはかな性分のものは、私がかねて、まるで女の秘密でものぞくような異常な興味と好奇心で、ぜひとものぞきたいと胸を躍らせていた楽屋の風景、それに対して、諸君もまた私と同じような興味と好奇心を持っていると早呑み込みして、――しかも、そこをのぞき得て、その興味と好奇心を満足することができたのは私だけであるような一種愚劣な優越感をもって、したがって何かひけらかすような気持でもって、ヘラヘラと語りたいところであるが、――これも省こう。
省くのは、あながち約束のテンポのためだけではない。何を隠そう、そのとき、――細長い部屋の両側にズラリと踊り子たちが居並んだ、その真中に、朝野に強制(?)されて
――小柳雅子に紹介された。
「小柳君。こちらは倉橋先生と言って、小説家の先生」
楽屋の真中にあぐらをかいた朝野が、ひどく
「先生は小柳君、君が大のひいきなんだ、よろしくお願いしておくと、いいぜ」
大きな声で言うので、踊り子たちは、みんなこっちを向いた。私は真赤になって、
「こちらこそ、よろしく……」
すると朝野は、「先生」ともあろうものがヒョコヒョコした態度をとっちゃ困るといった顔で、私のお辞儀をやめさせようとするように、
「先生は……」
一層いかめしい声をして、言いかけるのを、
「朝野君……」
と私は遮った。(先生、先生って言うの、勘弁してくれ。)からかわれているみたいで、つらかったので、そう言おうとしたが、私はあがっていて口が動かなかった。
小柳雅子は、こっちに
まだ、まるで子供の身体だった。舞台で見ると、可憐な
私は、私も、まるでまだ子供の彼女を何か辱しめ、いためつけているような想いで、胸が痛み、――側のひとりの踊り子が、
「ねえ、朝野さん」
と言った時、ほッと救われた感じだった。
「昨日の晩、××さんたちが、うちに来てね。――そうだ。昨日じゃなくて、もう今日の時間だ」男のような口調で「――吉原へ飲みに行くんだって、みんな酔っ払っててね、一緒に行こうというの。いやだと言ったら、じゃ、お茶をのませろというんで、うちへあげたらそのまま坐り込んで、話をはじめちゃって、朝がたまで帰らないの」
「××君と誰?」
誰と誰と言って「――あたし、ふんとに困っちゃったわ」
鼻の低い、そのかわりのように唇が飛び出た、その踊り子は、無遠慮に投げ出した裸の脚をボリボリ掻きながら、朝野とそんな話をはじめた。私と小柳雅子とは、黙って何かかしこまっていた。
やがて、朝野が、
「サーちゃん、紹介しよう」と言った。
サーちゃんという名のその踊り子は、脚を出したまま、
「はじめまして……」
慣れた悪びれぬ態度で、私は気がらくだった。
「この人のうちは、
「バカね、朝野さんたら……」
「ほんとじゃないか」
「箒だらけは、ほんとだけどさ」
「手拭の話、いつか自分でしたじゃないか」
「あら、そう、――そう言えば、そうだったわね」
サーちゃんは、
――ショウのはじまる前であった。
ショウが済んだら、幕合いに、このサーちゃんや小柳雅子と一緒にお茶をのみに出ようということになって、私たちは、ショウの済むまで、舞台の下の地下室で待っていた。
地下室には衣装部屋などがあって、その狭い廊下には、刺激的な姿をした踊り子たちが、
「ショウなど見ても、しょうがないでしょう」
と
「――
と、ギターを抱えた一人の背の高い男に呼びかけた。
「やあ、朝野さん」
それは「愉快な四人」という四人組のボードビリアンの一人の
朝野は瓶口と無駄口をかわしたのち、
「紹介しよう。――こちら、小説家の倉橋君」
すると、瓶口が、
「これは、これは……」
と、さすがに舞台の人間だけに、敬意を誇張した大げさな身振りをして、
「いつも、御作を拝見しております」
私は照れて、
「――や、どうも」
「先月の、あれは講談世界でしたか、御作を非常に面白く拝見したのがありましたが……」
私は講談世界という大衆雑誌に、まだ一度も書いたことはない。私はことごとくまごついて、
「――やあ、どうも」
――地下鉄横町に「ボン・ジュール」という、浅草には珍しい銀座風の感じの喫茶店がある。
銀座風の、――そういえば、銀座風の喫茶店はいわゆる浅草の内部には入り込めないでその外側の、いわばその皮膚のような地下鉄横町、国際通りといったところに、あたかも
そうした点から言うと、地下鉄横町は、浅草における銀座的な通りであるが、――そうだ。思い出がある。今から何年くらい前だろう。鮎子が私と別れて、S映画の女優をやっていた時分、同じ撮影所の女優と一緒に銀座通りを歩いているのに私は会って、三人で、なんとなく浅草へ遊びに来たことがある。そしてこの地下鉄横町の銀座的な喫茶店に入ったことがある。冬であった。――そこを出て、地下鉄の方へ行きかけると、
「なアに? どうしたの」私は振り返って言った。
「いえね、この人がね」
と鮎子が、――鼻のツンと高い、そのせいか、取りすました感じの、そして何か陶器のような固い感じの顔をしたもう一人の女優を顧みて言った。
「――この人がね、湯たんぽを買おうかしらと言うんで……」
「湯たんぽ?」
取りすました女優さんと湯たんぽ。
すこぶる異様な感じであった。――見ると、荒物屋の店先に、卵形の湯たんぽが、これもちょっと異様な感じで、いくつかつながって、つりさがっていた。
銀座通りで、女優さんが、湯たんぽを買う気をおこすだろうか。その横町は浅草における銀座的な通りとはいえ、やっぱり銀座ではないのだった。
その通りの「ボン・ジュール」の片隅に、朝野と私と、小柳雅子とサーちゃんと、二人ずつ向い合って坐っていた。
――
なんという喜び。――だが、喜びとともに、その時までは予期しなかった深い悲しみに、私は襲われていた。
会って、どうしようというのだ。私は私に問う。
「…………」
会って、何を話そうというのか。何も話しすることはない。
それでも、何か話しかけようとして、私は言葉を
――朝野ひとりが、しゃべっていた。
「小柳君も今度K劇場から出る慰問団で支那へ行くんだってね」
「――ええ」
はにかんだ小さな声で、その声を補うような微笑を浮べている。
「いつ出発するの」
「明治節の日」
「どこから、――東京駅? ふーん。送って行くかな。何時?」
「――三時」
恥かしそうにして、相変らず小さな声だ。
「みんなで何人行くの」
たてつづけの問いに、――何か小さな鳥が打ちまくられて地上に
「みんなで五人よ」と、サーちゃんが代って答えた。それを追って、雅子が、一生懸命努めてしているような微笑の顔を二度三度うなずかせた。
雅子は、言葉のかわりに微笑している感じで、――問いかけられなければ口をきかず、口をきいてもほんのわずかの言葉数だった。そんな雅子は、そのみずみずしい、というより日に当たらぬための蒼白い皮膚の印象からか、いたいけな鉢植えの草花をおもわせた。ひっそりと、はかなく花を開いている小さな植物の
「小柳君のうちはどこ」
朝野の問いに、
「――寺島ね」サーちゃんが代って言った。
朝野、――「寺島?」
サーちゃん、――「広小路ね」
朝――「
サ――「楽屋泊りだわ。あたしンとこなんかは、一時二時になっても歩いて帰れるけど」
朝――「寺島じゃ歩けんかな」(そして私の方を向いて)「さっき行った楽屋へね、みんな、泊っているんですがね。――初日と二日目だけ稽古がないだけで、三日目からは、もう次の出しものの稽古がはじまるんで、うちの遠い連中は楽屋に泊るんですがね。だから、十日のうち稽古のない二日だけしか家へ帰れないわけで、一月のほとんど、楽屋泊りなんですな。みんな、よくやっているですよ。舞台だけでも大変なところへ、はねてから稽古、そして、あんな
(私は嶺美佐子が、――浅草の踊り子は舞台の消耗品だと、T座の文芸部員に言われたと、私に語った言葉を思い出した。)
サ――「朝野さんたら、鰯の鑵詰だなんて、ひどいことを言うわね」
朝――「だってそうじゃないか。あんな狭い楽屋に二十何人も寝たなら――」
サ――「鰯、そうね、そう言えば、あたしたち踊り子なんて鰯みたようなもんね」
朝――「そうひがみなさんな」
サ――「ひがむわよ」
朝――「しかし、鰯は下手な
サ――「なアに、それ」
朝――「なんでもない。とにかく、鰯と言われて怒るなと言うことさ。時にそんな話をしたら、とみに空腹を覚えてきた」
――それがきっかけで、私たちは
場所がかわったのだから、気分を一変させ振いたたせて、私も雅子と言葉をかわそうと思って、雅子が何か座敷の隅にころがっている紙片を拾って膝の上に乗せて、じッと眼をおとしているのに、
「なに、それ、――見せてちょうだい」
と言った。
雅子は黙って微笑して、出した。別に何とも説明しない。言われるままにさし出す何か哀しいおとなしさだった。
見ると、――なんと、これはバカバカしいものだった。化粧品の効能書だ。化粧品を買ってここで
「ビ……ビハダソ、ハイゴウ……」
私はその紙をテーブルの上に置いた。テーブルは酒でベトベトしていた。
「これは、なんと読むんだろう。ビハダソ、――肌というのは、
なにを言い出したんだといった顔で、朝野が、
「肌? 肌の音?」
「うん」
「肌、――さアて。皮膚のハダですな。なるほど、なんというんだろう。――待てよ、ハダだね。身体ハップこれを父母に受くと……。髪とハダを傷つけちゃいけないと。ハップ。ハツは髪で、――ハダはプじゃなかったですかね。いや、いけねえ。プは皮膚のフか」
雅子は、ぽうッと上気した頬に、手の甲を押し当てて笑っていた。桃色をした小さな小指が、食べてしまいたいような可愛らしさだった。
「肌、――そう言えば、小柳君はいい肌をしているね」
朝野は眼を細めて酒をチュウと飲み、
「まさに美肌だね」
そう言って、手にした効能書を無造作にグシャグシャと丸めてしまった。紙質のせいか、ひどく大きな音がした。
「とても、マーちゃんは肌が綺麗よ」
と、サーちゃんが手持ち無沙汰の指を鼻の穴にやりながら言った。
「裸だとすてきよ。真白でスベスベしていて……」
「――これはつらい」
「女の私だって
雅子は顔を
「あたしね、楽屋風呂でいつもマーちゃんの背中を流してあげるの。マーちゃんの身体を洗うの、とても好きだわ。綺麗な身体なんですもの」
すると突然、
「倉橋君」
と朝野が、かすれた声で遮った。「倉橋君は、伝法院の庭を知っていますか」
突拍子もないことを言う。だが、朝野が突拍子もなくサーちゃんの話を遮った気持は、私は何かわかる気がした。
「伝法院の庭というと……」
「庭園ですよ」
「庭園というと……」
「区役所の前の」
「ああ、あすこですか。まだ……」
「入ったことがない? 駄目ですな」
「…………」
「なかなかいいですよ。倉橋君は浅草を何も知らんですな。――あれは小堀遠州が作ったとかで、京都の桂離宮と同じ、回遊式庭園というんだそうで」
(これは、後に知ったが、庭園の入口にちゃんと書いてあるのだ。)
「玉木座の前のところの、
と、サーちゃんが口を挟んだ。
「うん」
「あたしも入ったことないわ。話は聞いてるけど」
朝野は苦笑した。
「いいお庭?」
「そりゃ、いいさ」
ヘンに力んで、
「ランデヴーなんかには、もってこいだ。――どうです。倉橋君、ひとつ小柳君とランデヴーに行っては」
そう言って、――あわててその言葉を
「江戸の雰囲気の漂っている実にいい庭だが……。裏の野口食堂あたりから、妙な流行歌のレコードなんかが、ガーガー響いてきて、こいつがどうもぶちこわしだ。それに江戸情緒の庭の向うに、ひどく現代的な区役所のサイレンの拡声機などが
釜めしが運ばれて来た。
「さあ、おあがり」
と、朝野は言って、
「おや、ぺん
これは女中に――。はんぺんの吸物を注文してあった。
「はい、ただいま」
店は、ごった返しの
「お吸物があとになるナンテ、いやになっちゃうね」
そう言いながら、すでに釜の
「あッつつ」
眼を白黒させた。まるで飢えた犬が固い骨を持てあます時のような、滑稽であさましいその口の恰好に、
「まあ、おかしい」
サーちゃんが雅子の膝に手をやって、その膝をゆすぶってゲラゲラ笑った。雅子も、くすぐられたみたいに身体をよじらせて笑った。
――齢こそ若くても、踊り子の彼女たちは、もう立派な一人前の生活者である。だが、そうやって手を取り合って笑いこける二人は、無邪気な子供のようであった。生活ということなど知らない子供のような無邪気な笑いであった。
朝野は、しかしその笑いに気を悪くしたらしく、
「三枚目にされとるですな、僕は。――倉橋君は、ちょっとした二枚目で……」
と、私にあたる声だった。
そんな私たちの隣に、山の手から浅草に遊びに来たらしい、そう身なりはよくないが、おっとりした、感じのいい老人夫婦が、――二人でひとつのテーブルなのだから、向い合って坐ったらよさそうなものに、テーブルの角に、お互いに身体をすりよせるようにして、ちんと坐っていた。「
――朝野の言葉に、雅子は笑いをひっこめたが、サーちゃんは笑いつづけながら、
「朝野さんは、三枚目をやると、きっとうけるわ」
と言った。
「つまらんことを言うない。時に、倉橋君」
舌に風を当てて、
「最近、公園のなかに、あちこち、弓場ができたですな」
「――ほほう」
「ほほうッて、倉橋君は気がつかんですか。――駄目ですな」
雅子は釜の蓋を、おっかなびっくりのように、そっとあけて、なかを
「早くおあがりよ。(そして私にも)さめると、まずいですよ。――戦争の影響ですかな」
「え?」
「弓場はね。――きっとふえると思うですな。きっと流行するに違いない。もともと矢場は浅草名物で、――昔の矢場と今の弓場とはもちろん違うけど、まあ、その復活とも言えるですな」
「なるほど」
雅子は釜のなかから小さな貝柱をつまんで、ひとつひとつ口に入れていた。もうそんなに熱くはないだろうが、それでも、ちょっとした熱さでも火ぶくれができやしないかと思われるような、皮膚の薄い、やわらかい唇をちっとそらせて、貝柱を歯にはさむようにするのだが、その歯はかすかながら青味が感じられるほどの透き通るような白さで、そしてその唇は、外側にだけうっすらとルージュを塗っていて、だから唇をそらせると、ルージュの塗ってない、でも美しい薄紅色をした唇の内側が
「昔の文士は浅草の矢場でなかなか遊んだものらしいですな」
と、言葉をつづけた。
「
「なるほど」
「どうです。ちょっとした随筆のネタになるじゃないですか。
「…………」
私は雅子と話がしたかった!
だが、そんなような(私にとっては)
――時間が迫ったと、走るようにして行く雅子たちを楽屋口まで送って、そこで別れた。
実にあっけない感じだった。そのあっけなさのためもあったろうか、私は雅子と別れると、何か、――何かわからないが何かを失ったような悲しみにひしひしと迫られた。そうだ。会っている最中でも、わくわくと胸を
ああ私はどんなに熱烈な、それこそバカみたいな想いを小柳雅子に寄せていたことか。その小柳雅子にとうとう会うことができた、その結果がこんなとは、――こんな切ない悲しみ、こんな
私の頭からは朝野の存在すら消えていた。朝野も何か黙りこくっていた。
だが突然、朝野は私に食ってかかるような、にくにくしげな調子で言った。
「小柳雅子なんて、あんなの、倉橋君、――てんで子供で、頼りなくてつまらんじゃないですか。それとも倉橋君は熟さない果実を食うのが趣味ですか」
「食う? そんな、――僕は」
朝野は私の言葉にかまわず「――小柳はあんな子供っぽい風をしているけど、案外カマトトかもしれんが……」
「カマトト?」
「あんたもなかなかカマトトの感じですな」
「カマトトッてなんですか」
朝野は薄笑いを浮べた、色の悪い顔をペロリと撫でおろして、
「――
いそいそと親切に、そうして誇らしげに雅子を私にひきあわせてくれた朝野だったのに、――今はそれを悔いている、私の「毒牙」を憎み
――間もなく私は朝野と別れた。
ひとりになって私は、朝野から「鯛に食いあきて鰯を食おうとしている男」とされた自分を改めてみつめた。
私は別に鯛に食いあきた覚えはないが、――小柳雅子に寄せる想いに、果して一種の野心がふくまれてないかどうか、厳重にしらべると、ないとキッパリは言えないのである。
だが、言えないというような自分を考えることは、ひどく恥かしかった。そして、そのような男と朝野から思われたということは、ひどく恥かしい、――ひどく辱かしめられた想いだった。
もしかすると、雅子も私をそのような男と見ただろう。もしかすると? ――いや、たしかに、そう見ただろう。そう考えると、私はたまらなかった。
サーちゃんも、そう見たろう。
そうだ、楽屋の踊り子たちは、みんなそう見たろう。
瓶口黒須兵衛も、そう見たにちがいない。
――そうとは気づかず、楽屋に
私は恥で全身が
――嶺美佐子が私に、猟奇の気持で浅草をブラついているのかと言った言葉を思い出した。美佐子も私を、「鰯」を探している男と見たのだ。
そうなると、――ドサ貫も、そう見たろう。
「惚太郎」の細君も、そう見ているだろう。
亀家ぽんたんも、末弘春吉も……。
私は私にきびしく注がれているそれらの眼を
その眼のなかに、私はまだ会ったことのない
そいつがなぜか一番光っていた。――
それらの眼は、いわば浅草の眼であった。私は浅草にいたたまれぬ思いだった。
私は追われるようにして、大森の家へ帰った。……
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浅草から遠ざかっていること何日くらいであったろうか。私のうちにようやく浅草に対する一種の
――私は、たとえば、浅草の安食堂の、メシを山のようにこんもりと盛りあげたあの
「僕は坐って、ごはんが食べたい」
と言ったことがあるが、その友人などに言わせれば、私の想いなどはまことにとんでもないものとされるであろう。
その友人は、話が違うが、私たちにまたこんなことも言った。
「僕は安い一品料理のような女との恋愛は、もうたくさんだ。次々に違った皿が出てくる豪華な table d'hote のようなそんな豊富な感じの一流の女と恋愛がしてみたい」
あんまりうまい表現なので、その巧さに私たちはゲラゲラ笑ってしまった。それは、私たちみんなの気持をも言い当てていた。私たちの知っている、というより私たちの日常的に容易につきあえる範囲の女たちは、全くもって一品料理のように一目でもってその内容がわかってしまうような、そんな心の貧しい浅い
ところでその友人が、坐ってごはんが食べたいと言った時も、私たちは大きな口をあけて笑ったものであった。笑えない話なのだが、それゆえかえってそうしたのだろう。まずもって、言った本人が一番先にゲラゲラ笑い、一番激しく笑ったのである。
私の丼メシへの憧憬もしくはノスタルジアは、その友人の家庭的な食事に寄せるしみじみとした想いと比べると、これこそほんとうのお笑いの、お恥かしい、愚劣なもののようである。が、それは朝野のいわゆる鯛に食いあきて鰯を食いたいとする、そんな
*
珍しくそう寒くないある日の午後であった。私は二階の障子を開き、その外のガラス戸もあけ、そっちに向けた机で原稿を書いていた。頭がもろもろのことに散って原稿がはかどらない。私が坐っている眼の前に、道を隔てて二階家があり、その家の窓に、窓はしめてあったが、ぼんやりと眼をやっている時間の方が多かった。こんなことではいけないと気分を一転させるために、私は便所に立った。そう短くない時間を便所で費して、二階の机の前に戻ると、――前の家の窓がいつかあけてあって、その家の十四五ぐらいの娘さんが窓にもたれている。何か物想いに沈んでいるような暗鬱な眼を外に向けている。
視線が合った。両方とも同時に眼をそらせた。私は机に顔を向けていたが、やがてそッとうかがってみた。――向うからもこっちからも相互に丸見えであって、丸見えのところに私が頑張っているので、娘さんはきっと、あら、いやだわと窓から離れたろう、そう思ったが、娘さんは、――娘さんも頑張っている。こっちの視線を意識している横顔である。その娘さんの年頃は誰でも、一時急にいわば
はじめは、ちらちらッと見ていたのだが、そのうち私はぬッと顔をあげて
瞬間私は、私の小説はまさにその不愉快な娘さんにそっくりではないかと気づいた。私は悲しい、――というようなことを読者に押し売りしているような小説を、私は特に好んで書いている。
「――なんちゅうこっちゃ」
それがどういう意味で、きっかけになったのか、私は自分でわからないが、その日、それをきっかけにして私は浅草へ行った。
国際通りに六区の小屋の連中の休憩所のような感のあるサカタというミルク・ホールがある。(そこは、その年、すなわち昭和十三年の十二月に綺麗に改築されて、それまではミルク・ホールと看板に書いてあったが、ミルク・パーラーと改められた。)そこへ私はミルク・コーヒーを飲みに行った。
私は誰にも会いたくなかったのだが、いや会うことを何か恐れていたのだが、そこで私はドサ貫に会った。
ドサ貫と私とは「惚太郎」で会っただけだが、美佐子からドサ貫が私を知っているということを聞いたせいか、知り合いのような錯覚をおこして、「やあ」と挨拶し、ドサ貫がびっくりしたように眼をパチパチさせたので、錯覚に気づいた。そのときはすでに私は彼の前の椅子に腰掛けていた。
何か話しかけないとまずい感じで、
「この間、惚太郎の二階で、稽古していたアトラクションの方は、どうなったですか」
と、私は言った。
ドサ貫は人なつこそうな、そしていかにも気の弱そうな微笑を浮べて、売り込みがうまく行かないで、稽古したきりまだ一度もやってないと、暗い声だった。
「そりゃ困ったですね」
それで話はポツンと切れた。
私とドサ貫は同時に顔をそむけた。
「ちょっとちょっと、ミルク・コーヒー」
と私は、洋服に下駄ばきのそこの女給仕に言った。細長いテーブルの上には、ゆで卵を盛った皿、袋入りのバター・ピーナッツを入れた
「おい、おい、こいつ、くれよ。シベリヤを」
ちびた下駄をズーズーひきずっている女給仕に言った。女給仕の裸の足は、虫のさした跡でデコボコしている。
私とドサ貫は、お互いにソッポを向いていた。
――だが、それからどのくらい
そしてドサ貫は私にこんな話をしたのである。
「前の奥さんは上海に行っているそうですね。ええ、ミーちゃん、嶺美佐子君から聞いたんです。ゴロちゃん、大屋五郎とはどうしたんでしょうね。別れたんですかね。どうせ別れることだろうとは思っていたが、別れるくらいなら、玲ちゃんと大屋五郎と一緒にしておきたかった。――そうです。市川玲子、ミーちゃんの妹です。もと、ゴロちゃんと一緒だったんです。可哀そうに死んじまって。それというのが、大屋五郎に捨てられたのが原因なんで。もともと、そりゃ胸が少し悪い子でしたがね。そのせいか、とっても気の弱い気立てのいい子で、実際可哀そうなことをしました。大屋五郎と別れると間もなく、それがぐッとこたえたんでしょうね、稽古の晩、舞台で
ドサ貫は血のように赤い唇を
「てんで新派悲劇じゃないですか。いまいましいったら、ありゃしない」
「む――」
この話は、私をどんなに驚かせたことか。そんな新派悲劇みたいなことが現実にあったということ、――あり得ないようなことが現実にあったということ、そのことの恐ろしさが私を打った。
私はそして、どういう加減か(そこには何かつながりがあるわけだろうが、自分ではわからなかった。)激しい感情の嵐のなかで、ふと小柳雅子の何かいたいたしい姿を思い浮べていた。
「僕は、そいで――」
とドサ貫は言葉をつづけた。「――あなたの顔を前から知っているのは、実は、そう言っちゃなんだが、そんな鮎子さんの亭主だったという人はどんな人だろうと、そう思って……」
「む――」
再び悶絶するような声を私は出した。
その私の傍には、
「もう一本出して下さいな。ねえ」
「つらいねえ」
と相手が言う。二人はそれで夢中で、私たちの方に眼もくれない。
外の国際通りを、号外売りが鈴を鳴らして、あたふたと走って行った。……
…………
私はK劇場の客席の一番うしろの暗がりのなかに立っていた。
映画はもうすぐ終るのである。K劇場は映画とショウを掛けていて、六区のレヴィウ関係の人たちは、映画を添え物だと見ているが、映画関係の人たちは、映画がトリでショウは映画見物の客へのサービスだと見ている。(それは、純文学出の作家がジャーナリズムに要求されるままに、純文学作品と同時に、一方で盛んに通俗小説を書いていて、人によっては、その作家をもはや通俗畑と見、ある人はしかしやはり純文学作家だと言うのと何か似ているのである。)映画は、――江東の小学校のとある女生徒の綴り方が、妙な工合にジャーナリズムに持て
場面は、――綴り方の女生徒のおとッつぁんのブリキ屋の職人が、
(おお、浅草よ。)
私は感動に胸を締めつけられながら、浅草というものに、――その実体はわからない、漠然としたものだが、浅草というものに、手をさしのべたかった。さしのべていた。
(やっぱり浅草だ。)
思わずそう心の中でつぶやいた。何か宙に浮いたような、宙で空しくもがいているような私を救ってくれるのは、浅草だ、やはり浅草に来てよかった、そんな気がしみじみとした。私は泣きたかった。うれしいのだ。――泣いていた。だが、それは浅草の客と一緒に映画に泣いていたのだ。私は浅草というものに対して涙を流したかったのだ。私は、――フワフワと漂うばかりであったのだが、何かに、やっとぶつかった、
「帽子の下に頭がある。……」
こんな歌か何かあるのかもしれぬ。くだらない悪ふざけの文句かもしれないが、私には意味深長に響いた。
「帽子の下に頭がある。
洋服のなかに人間がある」
いつか私はそうつぶやいていた。頭の上に帽子があるべきである。帽子は人間がかぶるべきものであり、人間の頭のために存在する帽子であるべきだが、帽子のための頭、――そんな人間がいはしないか。帽子、――これはおもしろい象徴だ。
「帽子の下に頭がある」
これはおもしろい言葉だ。おもしろがっていると、言葉の
映画が終った。いよいよショウである。
だが私は、ショウを見るべくK劇場に入ったときの私と、今は違った私をそこに見出していた。私はたとえば花を賞美しようとして、上を向いた気持だったのだが、今は地べたを、自分の足もとをみつめる気持であった。とは言え、小柳雅子へ寄せる私の憧憬は、これは単に惚れたはれたの慕情というだけでなく、何か縋るものを見出したいそんな心の
気がつくと、オーケストラが鳴り響き、幕がするするとあがった。
まぶしいと言えば、これはなんとしたことか。雅子と会う前はまぶしいことはまぶしくても雅子の上にじッと眼を注ぐことができたのに、会ってからは何か気恥かしくて、――(繰り返して言うと)ちゃんと洋服を着た雅子を一度眼にしてからは、手や脚を露わにした雅子がどうにもこうにもまぶしくて、(――さらに繰り返して言うと)私の顔を雅子に知られてからは、私が雅子の裸の脚に何か光った眼を注いでいるのを雅子の方からも見られているようで、実際は暗がりのなかにいる私を雅子は気づくわけはないのだが、でもどうしてもそんな気がして、雅子の上にまともに眼が据えられないのだった。私はサーちゃんに眼を移した。するとサーちゃんと眼が合って、いやサーちゃんも私が客席にいることを知っているわけはなく、私の存在に気づくわけもないのだから、眼が合ったのではなく、サーちゃんがこっちへなんとなく眼を向けたのを私が勝手にそう感じたのにすぎないのだけれど、それでもやはり何か恥かしくなって、眼をそらせた。
やがてダンシング・チームは舞台の後方に退り、タップの男が
私は雅子の方にそッと眼をやった。雅子はサーちゃんと並んで、脚を揃えて立っているのだが、そのみずみずしく、つややかな、ほんとうに汚れのない感じの、ふっくらとした脚を(くどい文章を読者よ許されよ。未熟な私は、その脚が豊かにたたえている魅力的要素の数々をなんとしたら伝えられるだろうといたずらに
だがすぐダンシング・チームは二手に別れて舞台の
私はK劇場を出ると、
「雅子に会いたいな。でもひとりでは楽屋へ行けない。やっぱり朝野君がいてくれないと……」
そんなことを心の中でつぶやくと、朝野の顔がぐッと私に迫った。私を憎々しく
私はそこに、浅草が私を見る顔を、見たような気がした。私が手をさしのべても、その手をうけつけない浅草の顔。私は、K劇場での感動そのものまでが何か浅薄な感激だったようにも思い直されて来た。私は映画館街の暗い裏手を歩いていた。そして明るい公園劇場の前に出ると、
特別提供
熊鍋
○○動物園払下げの熊
○○動物園払下げの熊
デカデカと貼り出したそんな奇怪なビラが私の眼に映った。「動物園払下げ?」これはうれしいとビラに
(いや、待て、俺もひとつ食って、――
何か逞しくなれる秘法が、そこに隠されているような気もした。いやなのを我慢して食うと、神経が
そこはいわゆる大衆的な
(あの
「いらっしゃい」
飛びかからんばかりの、――さすが熊鍋を食わすだけあって、全くもって猛獣のような女たちの声に、私は度胆を抜かれて飛びのいた。すなわち私は脆弱な神経を叩き直すことができなかった。
*
そうだ。食い物と言えば、私のこの回のはじめに、食堂のメシのことを書いた。――私の行く浅草のメシ屋はいろいろとあって、一定してないのだが、つまり急ぐときは、私のアパートから近い
その馬道と国際通りの間、広小路通りと
馬道の「大黒屋」で、「
「お早うござい……」
ぽんたんは、変に白っちゃけたような顔をしていたが、私がぽんたんの家は東武電車の沿線なのかと聞くと、これも変に充血した眼をショボつかせて、
「いや、ゆんべ、寺島町へちょっと顔出しを……」
ニヤニヤするのに、
「寺島町?」
小柳雅子の家は寺島広小路と聞いた。雅子を思い出したのだ。すると私の真面目な、いややぼな顔に、
「いやですねえ」
と、ぽんたんは肩を叩くような手付をして、
「あの
「……?」私にはまだわからなかった。
「ねむい、ねむい」
これは大阪弁で、
「では、――そのうち一度、一緒に行きませんか」
私は、ああそうか、魔窟へ行ったのかと気づいた時は、ぽんたんは洋服の肩を女のように振って車道を横切っていた。
さて私は十三銭のメシを食って、それから二十銭のコーヒーを飲みに行くのだったが、
(「ボン・ジュール」はマンネリズムだ。どこか知らないところへ行ってみよう。)
そこで、吾妻橋の雷門寄りにある「マロミ」という、今まで一度も入ったことのない店の扉を押した。そしてコーヒーを注文して、煙草へ火をつけたところへ、思いがけないサーちゃんが入ってきた。ここで誰かと会う約束をしたらしく、チョロチョロと店のなかを見回して、私に気づくと、ハッと顔を
「先日はご
そう言って、もじもじと立っているのに、
「まあ、おかけなさい」
と私は言った。店にはアベックの客が多かった。
サーちゃんは、これもまた変に赤い眼をしていた。ぽんたんの眼に似ている。
「……?」
その私の視線に、前に坐ったサーちゃんはまた顔を赧くして、
「ヘンでしょう、眼が……」
ドギマギした声だった。その声といい、むやみと顔を赧らめるところといい、何かサーちゃんらしくなかった。
「あたし、泣いちゃったの」
「泣いた?」
「ええ、今し方、ワーワー泣いたところなんですの。眼が赤いでしょう」
心の平静を取り戻した様子で、
「ドンちゃんがね、――ほら、この間先生が楽屋へいらした時、先生の坐っていたすぐ横にいた子」
人なつっこい声でそう言って、私のうなずきを待つような間を置く。私は、楽屋へ行った時はいやもう、すっかりあがっていて、一向に覚えがないのだが、うんうんとうなずいた。
「あの人がね、急に小屋をやめることになって、今日が最後の舞台なんですの。自分じゃやめたくないのよ。でもお父さんが満州へ行くんで、一緒に連れて行かれるの。だもんで、さっき、舞台でも半泣きの顔をしていて、楽屋へ入ると、いきなりワーッ……」
丁寧な言葉とぞんざいな言葉をごっちゃにして、サーちゃんは
「そこへね、先生今度O館をやめて私たちのところへ入った踊り子さんが、トランクを持って、ベソをかきながら楽屋へやってきたんですの。その人もO館でみんなとサンザ泣いて別れてきたばかしのところなの。来てみると、こっちではドンちゃんがワーワー泣いているでしょう。だもんで、その人、また悲しくなって、トランクをおッぽり出して、ワーワー泣き出しちゃったの。ドンちゃんと抱き合ってワーワー、ワーワー。そいで、あたしたちも悲しくなっちゃって、一緒に泣き出しちゃって、楽屋中みんながワーワー、ワーワー。それはもう大変な騒ぎ」
「ふーん」
「そいで、眼が真赤になっちゃったの」
その話はうそではないらしいが、しかしサーちゃんの眼の赤さは、それだけのせいでもないようであった。サーちゃんは、話し終ると、ソワソワした声で、
「ねえ、先生」
言い
「なアに」
「ここへ
「さあ、僕も今来たところで……」
それを証明するごとくに、注文のコーヒーが来た。サーちゃんはまた顔を赧くした。
瓶口はついに姿を見せなかった。……
[#改ページ]
(――どういうわけか、
*
×月×日。
「惚太郎」へ行く。
「君、彼女らが≪変態≫の男をどう呼んでいるかを知っているかい?……≪インテリ≫と言ってるよ……」(「王道」から)
*
細君に、朝野というのがもとよく来ていたそうですねと何気なく言うと、――朝野はお好み焼の勘定をシコタマ
末弘春吉が、アトラクションがうまく行かないので、漫才に転向しようと思っていると言った。
夜、甘ったるい通俗小説を書く。大森へ帰る。
(注一)
私がひとりで「王道」を読んでいるところへ、末弘春吉が、アトラクションの交渉に諸所を駆け回ったのだろう、いかにも疲れた蒼い顔をして帰ってきた。
「どうだった? 春さん」と台所から細君。
「――あかんわ」と彼。
背骨が
(だが、これは私が、浅草に巣食うこうした芸人たちのいわば雑草のような根強さ逞しさを知らなかったせいだった。彼らはどんな場合でも決して絶望をしないのだ。明日のメシに困っていても、朗らかに歌などうたっている。――そして私などの、なんと絶望的気分の好きなことよ。)
「ドサ貫に、昨日会ったですよ」私が言うと、
「ドサ貫と組もうと思っとるんですがね」
「ほう」
「ミーちゃんが、ところが、いけないと
「なぜとめるんです。身体が悪いから……」
「いいや、――(末弘は、細君のいる台所にチラと横眼をやって、小声で)おちるからというわけですよ。人間、一度落ちたら、もう浮び上れない、ミーちゃんはそう言うんですな。たしかに、それはそうですがね」
末弘春吉は以前、「愉快な四人」の一人の
末弘はつづけて、ミーちゃんが、いや美佐子が、ドサ貫のおちるのを気にするのは、ドサ貫に惚れているせいだと言った。ドサ貫も美佐子に惚れていて、「どっちかと言や、
「そいで美佐子君のご亭主の但馬君に、その……お伺いを立てるなんて妙ですね。邪恋の相手の亭主に、そんな……」
「邪恋はよかった。ヒェッヘッヘッ……」
と末弘は、それが彼の
――その日、美佐子は珍しく姿を見せなかったが、大概いつでも手伝いのようにして「惚太郎」にいることは前に書いた。何かここと特別の関係でもあるのかと、その日、私は末弘に尋ねた。
「ミーちゃんと但馬さんとが、はじめて世帯を持った時、借りたのがここの二階なんですよ。ミーちゃんはここのおばさんの随分世話になったから、遊んでいる時は、そいでまあ、手伝いみたいにして来ているんですよ」
そういう末弘の答えだった。
「で、美佐子君は今どこに住んでるんですか」
「
「
「いや、玉の井の
私はそのまま聞き流していた。小柳雅子の家も、寺島と聞いていたのだが、そのことはその時頭にこなかった。
×月×日。
朝、家でA新聞のカコミ評論を書く。(※二)
午後、浅草に行く。
*
この寒いのに、依然として
*
犬と子供(※四)
ブーニンの回想記の中のチェーホフの言葉。――「ここに大きな犬と小さな犬とがいるとする。しかし、小さな犬は、大きな犬がいるということで勇気がくじけてはならない。――そして神の与えた声で吠えなければ……」
*
夕方、朝野の下宿を訪れる。
「珍しいですな。……小柳雅子に会わせろといった顔ですな」
図星だ。だが雅子には会わなかった。(※五)
朝野はまたしても私のことを「
「悪漢に一日に三、四度ずつ、彼が正直の権化だと言ってやれば、彼が少なくとも、完全な『正義派』になることは確実である。しかしその反対に、正直な男をあまりしつこく悪漢呼ばわりすれば、彼は、自分がまんざら悪漢でなくもないことを証明したい、
私はもともと「正直な男」ではない。
(注二)
カコミ評論は次のごときものであった。
「偉大な仕事をした人の伝記を読むと、きまって人間味という項が出てくる。偉大な仕事とは何か。人間の能力の最大限の発揮である。そして人間味とは何か。時とすると、人間味の『美名』の下に、人間の能力の最大限を発揮した人が、人間の能力の最小限に生きる低い卑小なレベルに引きさげられる。そしてそのレベルでの人間的弱点が挙げられ、それが人間味ということになる。人間というと、弱点がなくてはならぬとするいわゆる近代の人間観から、それはご愛嬌ということになる。ご愛嬌の程度ならいいが、そこで悪くすると、人間の能力の最大限の発揮は、いわゆる人間味の低さにおいてでなく、実は、最大限のレベルに高められた人間性においてこそ、初めてなされるという事実までが無視される。
文学はそうした人間観に従っていた。文学とは人間探究の仕事である。だから文学の対象となる人間のうちには、人間の能力の最大限を発揮した人も入れば、その最小限に生きた人も入る。だが、文学は後者により多く執着していた。そこには例の人間味が豊かに露出されているからだ。――そうした文学がこのたび戦争と直面した。戦争は人間の能力の最大限に発揮せられる偉大な営みである。それは人間の営みであるが、いわゆる人間味の低さにおいてでなく、高い精神の昂揚において初めてなされる。そうした厳粛な事実は、一般に、人間の能力の最大限の発揮を同じレベルに高められた人間性において描く文学への待望をもたらしている」
私は自身でそうした小説が書きたかった。その書きたいという気持は、うそいつわりのないものであったが、気持と実際とはいっしょにならなかった。気持が先走りして、あたかもそれは、私が
(注三)
愛玉只は、黄色味を帯びた寒天様のもので、
(注四)
アパートの付近の路地をなんとなくぶらついていて、眼にしたこと。――
見るからに哀れっぽい痩せた小さな犬が、見るからに
私は、いやな気がした。
その獰猛な犬は、その子供たちと親しい犬で、可哀そうな小犬は、そこらへ迷い込んだ、子供たちと縁のない
私は、そうした子供の心を憎んだ。
だがそういう私は、どうかと反省した時、――私は、あることを思い出した。ある夢を思い出した。私が鮎子と別れた直後に見た夢なのであるから、もう随分と前のことだが、今でもはっきり覚えているのは、それがよほどいやな夢だったことを証明するのである。
「
ところが、である。私は暴漢の群に無理無体に打ちのめされているうちに、ふと気がつくと、そこは夢のおかしさで、――私はいつか、その暴漢の一人になっている自分を見出した。そして私は地べたに意気地なく
そして、そいつの側に行くと、――おお、なんと、そいつはやはり私なのである! ハッとして眼が覚めた。私の枕は、涙で濡れていた。
私は、言いようのない、いやな気持だった。線路脇という場面までがはっきりと頭に残っていることも、いやな気持を一層強めた。さらに、――この夢は小説に書けるなと、次の瞬間思わず私は考えたのだが、そんなあさましさも一段といやな気持を強めたのだった。……
(注五)
――――小柳雅子に会わないまでは、その何かうら悲しく佗しい慕情は、悲しいとともに楽しいものであったことを、私は会ったあとの苦しいにがにがしい慕情によって知らされた。小柳雅子への慕情というのは、どういうのだろうと、私は改めて考えさせられた。それは何か心の渇きの、ひとつの現われではなかったのか。それが、いざ小柳雅子に会うと、――それまでは、その慕情がフワフワと空に浮いている雲か
――しかも、会いたいのである。「鰯を食おうとしている男」と雅子から見られるであろうと思うと、たまらなかったが、それでも会いたかった、一度会った以上は、舞台の雅子を遠く客席から眺めるというのだけでは、我慢ができなかった。
「鰯を食おうとしている男」と言った朝野を私は憎んだが、雅子に会わせてもらうためには、やはり朝野に頼らねばならなかった。楽屋へ私は、ひとりで行けたりはしない。
朝野は、千束町の小さな雑貨屋の二階に間借りしていた。
「朝野君、いますか」
すがめのおかみさんに言うと、
「いますよ」お客さんでなかった腹立ちからか、
「――いますか」
呼んでくれと言うかわりにとんまな声で言うと「――裏へ回って、上ったらいいでしょう」
何かいやな臭いのする路地を通って、台所口へ回り、外さなければ開かないような建付の悪いガラス戸を開けると、朝野のらしい
「――朝野君」
暗い階段の下から声をかけると、
「――おお」
何かあわててひっくりかえすような音がして、朝野がヌッと顔を出した。暗いせいか、眼が猫のように気味悪く光っていた。
「やあ、朝野君」階段を上ろうとすると、
「出ましょう。――ちょっと待って」
私の上るのを防ぐような、ひどく
――外へ出ると、
「僕ンとこを訪ねてくれるなんて、珍しいですな。――どうやら小柳雅子に会わせろといった顔ですな」
私はニヤニヤしながら黙っていた。
やがてK劇場の裏へ行ったが、楽屋口に近づくと、はたと私は足がすくんだ。
「楽屋へ行くの、僕はよしましょう」
「――どうして」
「………」
「そうですか。じゃ……」
アッサリ言った。そして私の前を下駄を鳴らして、さっさと行った。
「ボン・ジュール」に行った。そこで朝野は、浅草の会をやろうではないかと言い出した。浅草に愛情なり関心なりを持っている文壇人やジャーナリストなどを集めて、浅草を愛する会といったようなのをやろうというのだ。
「そこへ六区の
×月×日。
末弘春吉に会い、一緒に漫才小屋のE館へ行く。(※六)オリジナルということを考える。「惚太郎」で、美佐子に会う。(※七)
アパートにとまる。
アパートの隣室に、女の客が来て、大きな声で話をしている。
「向うから刑事らしいのが来たの。こっちは何もいやしいことはないから……」
「あやしい、だろう?」
「ああそうか」
そんな会話が聞えた。漫才を地でいったようなものだ。
事実は小説より奇なりというが、現実は漫才より奇なり、かもしれない。
二三日前、昼間、アパートの台所へ行くと外で酔っ払いがどなっていた。
「キリギリスだって、うちを一軒持っているじゃねえか」
アパートの人たちに毒づいているのだ。なんで、そんなに怒っているのかわからないが、キリギリスとはうまいことを言ったものだと思った。漫才などから覚えた
スタンダアルの「バイロン
考えさせられる言葉。――「たえず自己に
(注六)
国際通りで末弘春吉に会うと、亀家ぽんたんに会いに、E館へ行くところだと言う。
「着々、漫才に転向中ですわ」
末弘は、身体にてんで合わない変に短いオーバーを窮屈そうに着ていた。
「何か、いい芸名ないでしょうか」
「さあ」
「ひとつ考えて下さいな。何か時局風なのを……」
「時局風……」
「ええ、この間こういうのを聞いたんですがね。――国を護る。それを二つに分けて、クニヲにマモル。うめえ名前を付けやがったと感心したですがね。これも、ついこの間役者から漫才さんに転向した口で……」
私はE館へ行ってみようと一緒に歩き出した。
「そうそう、ミーちゃんが『惚太郎』に来てて、あんたが見えないだろうかと言ってましたよ」
「何か用事……」
「別に用事ッてないようでしたがね」
「あとで行ってみましょう」
E館へ行くと、亀家ぽんたんはちょうど舞台だと言う。末弘は裏へ、私は客席へ入った。
その小屋は、舞台から客の顔が隅から隅まで
「――や」
といった顔を、ぽんたんがした。はっきり表情がわかる。私も「――や」といったぐあいにうなずいて見せた。
「――ほう、トンちゅうたら英語か」
ぽんたんは、私を見ながら、とぼけた声で言った。
「――英語や」
ぽんたんのいわゆる「兄貴」の鶴家あんぽんである。ぽんたんより少し背が高く、その代り
「では、ドイツ語では、豚のことを……」
「ドイツ語か。――ドイツ語では、ハムちゅうねん」
「あ、なるほど」
「よう覚えときなさい」
「では、フランス語では」
「ソーセージやがな」
このネタを、私は「一流」の漫才師の舞台で聞いたことがある。そっくり同じというわけではないが、同じ趣向である。――漫才は、それぞれ独立した短い笑話のいくつかの結合からなっている。だから創作もののなかに一二借りものをはさむことができるのだが、私は何か不快を感じ軽蔑を抑えることができなかった。その漫才を軽蔑しただけでなく、借りものを容易にはさめる漫才というものを軽蔑したのだが、だが、――考えてみると、「高尚」な文化分野でも、これに類した、いやこの漫才以上に借りもの七分、オリジナルの部分はわずかに三分といったような仕事が堂々と独創的な顔で通っているようである。――みんな、漫才みたようなもんさ。
(注七)
「惚太郎」へ行くと、美佐子はいなかった。「お座敷の仕事のこととかで、ちょっと出かけました」と細君が言った。
若い男の客が二人来ていて、うどん粉を
K とまず書いた。なるほど難しい。最初にボタリとうどん粉を落とした柱の頭に、大きな
見るに堪えない下手糞なできぐあいだった。はがしで、ごちゃごちゃとかためてしまった。
もう一度、――今度は慎重にやったので、どうにか見られる程度にできた。で、それはそのままにして、――(そうだ。今度は日本字で……)と思いついた時、
「おばさん、帰るよ」と先客。
私ひとりになった。私は坐り直して、――小……と書きにかかったが、これはどうしたわけか、私の胸は、急にキューンと切ない想いに締めつけられたのであった。小柳雅子がもうむやみと恋しいのだ。ローマ字の時は、そんなことはなかったのは、やはりローマ字だとなまなましく訴えるところがないせいだろうか。それともその時は客がいたためだろうか。
小柳雅子。――ひどく横びろのブクブク肥った字ができ上った。すんなりした実物の小柳雅子の感じとまるで違う、醜く肥った字で、その醜さがいやだったが、――じッと見ているうちに、そのいやな気持のなかに、それと違った、もっとはなはだしくいやな気持がムクムクと湧いてきた。その字の形は、実物の小柳雅子とは似てもつかぬものだったとはいえ、その字そのものはまさに小柳雅子の姓名に
(――これは、いかん。)
そのうどん粉は、薄い外側から漸次焼けて行って、色が変って行く。私は、いかんいかんと心の中でつぶやきながら、しかしそのままその変化をみつめていた。
すると、そこへ、
「――お、寒い」
美佐子が乱暴に玄関をあけた。「あら、倉橋さん」
「やあ、今晩は」
美佐子は立ったまま靴をぬいで、なかに入り、
「――あら」
鉄板の字から私に眼を移して、
「それ、――倉橋さんが書いたの?」
「うん」
「雅子、知ってんの」
「――僕の恋人」
「恋人?」異様な声を挙げるのに、
「いや、冗談ですがね。僕のとッても好きな子なんだ」
「……!」ずっと立ったままの美佐子が、私を
「あッちち……熱い」
美佐子が私の前にべたりと坐った。私は口をアグアグいわせながら、
「君は、小柳さん知ってんの。――いや同じ浅草にいりゃ知ってるわけだね」
私はドギマギして、ひとりでしゃべった。
「それより君、この間ドサ貫ク――ああ言いにくい、ド、サ、貫、クンに会って、大変な話を聞いた。驚いたね。――君はなぜ、僕に話の半分しかしないで、みんな言わなかったのかね」
そこへ「惚太郎」の主人の惚太郎が、外から帰ってきて、話はそのまま中断されてしまった。
「滅法
[#改ページ]
……………………
……………………
寒い晩で、いや寒い季節なのだから寒いのは一応当り前なのだが、火の気といったら枕もとにつるした電灯よりほかないので、心理的にも一層寒さがこたえてくる。そんなアパートの部屋で、私は蒲団にもぐって本を読んでいた。手の片方を蒲団から出して、それで本を眼の上に支えていると、その手がすぐ冷たくなって、冷たさで痛くなるので、すると片方の、蒲団のなかで暖められている手を出して交代をさせるのだが、自然の理として、冷えた手を蒲団のなかで暖める速さよりも、その暖めた手が外で冷やされる速さの方がどうしても速いので、まだ充分暖められない手を仕方なく外に出して交代をさせねばならぬようになり、その交代が漸次はやくなり、するうち、蒲団のなかに入れた手がすこしも回復してない前に、外の手が堪えがたいほどに冷えてしまう仕儀とあいなって、やがて両の手とも、ちっとやそっとでは、回復しがたい程度に冷え上ってしまった。やむなく私は本を、それを読むのをかかる外的な事情から中断するのははなはだ苦痛なのを無理に我慢して、おでこの上にのせて、それは、痛む頭の上にのせられた
――もう一時を過ぎていて、いやそのアパートは、夏頃などは夜中の十二時半から一時半頃までが、アパートの一日で一番
耳をすましていると、これは雨雲の低く垂れた夜に時々あることなのだが、はるかかなたの上野駅のあたりから、ボーボーという汽笛の音がかすかに聞えてきた。
(旅に出たい。)
ふと痛切に感じた。だが、この旅に出たいという気持は私のうちにずっと燃えていたものだ。そうだ。私が浅草に来たのは、一種の旅ではなかったのか。私は、それにその時初めて気づいたのであった。
私はさきに、部屋のなかの火の気といったら電灯より他にはなかったと書いたが、私の場合は、火の気はなくても一応冬支度の蒲団があるのだが、これは末弘春吉から聞いた話で、彼の友達の失業役者が、あらゆるものを質に入れてしまって冬の夜に薄っぺらな蒲団一枚しかなく、ほんとうに電灯の熱を利用して寒さを
するとその時、突然、戸外にあわただしい人の足音、――何か叫び合うような声も聞えてき、やがてアパートの下も騒然たる気配。何事かと耳をすますと、階段の下で「どこですか、火事は」と言う声が、その私の耳を打った。私はガバとはねおきた。おそらく、正直に言えば驚きよりも好奇心で――。
窓をあけた。雷門の方に、(おおなんと罰当りの感覚だろう。だが、そのときの実感を正直に言えば)いかにも暖かそうな火が挙っている。
ふと気がつくと、寝間着の上に着物を重ね、とんびを着ていた。という方が適切であろうと思われるくらい、実に
火事は雷門の明治製菓の売店の裏だったが、私は、「ちんや」の前まで行って、そこで火事を見ていた。そしてこれは修辞でなく、ほんとうにふと気がつくと、私のまわりは女ばかりで、
(――待てよ。この女たちのなかには、小柳雅子がいるかもしれないぞ。)
私はハッと息を呑む想いだった。月の大半は楽屋泊りをしているという小柳雅子がもし火事を見に出ていたら、不自然な感じでなく、顔を合わすことができるのだとおもうと、込みあげるうれしさもさることながら、なぜもっと早くそのことに気づかなかったかと悔まれるのだった。そうなると、火事の見物などもはやバカバカしく、私は小柳雅子の姿をもとめて、火の方に背を向けて歩き出した。
なにほども行かないうちに、私は
「やあ――帰るですか」
「寒いんでね」うそをついて逃れようとすると、
「寒いですな。――じゃ、あたしも帰ろう、一緒に」
おやおやと思った時は、もう手遅れで、彼は私と肩を並べて、
「三の
そうですねと私は
小柳雅子はとうとう見出せなかった。私はそれが何か末弘春吉のせいみたいにも思われ「パイ一は、どこでやります。あいているところあるかしら」とひどく
外の通りに末弘を待たせて私はアパートへ行き、戻ると末弘は同じ火事見物の帰りらしい背の低い老人と立ち話をしていた。私を見ると、末弘はそのひどく見すぼらしい恰好をした男と別れ、私たちは国際通りを、国際劇場の方へ向けて歩き出した。
「おたくは昔の浅草をご存じで?」と末弘が言った。「今のおッつぁんは、天中軒トコトンですよ。昔、江川の玉乗りで鳴らした……」
私は子供の時分、江川の玉乗りか青木の玉乗りか、どっちかわからぬが一度見た記憶はあるが、芸人の名前は覚えてない。
「とッても鳴らしたもんらしいが、今はもう駄目で……」
では、今は何をやっているのかと聞くと、今でも玉乗りをやっている、頑強に玉乗りを守っていて、一家
ほう、えらいもんですなと私は言った。ちょっとえらいもんですなと末弘は
どういう工合に困るか、末弘春吉の語るところによると、――町内から応召者が出るたびに、彼は立派な歓送旗をつくり、やがて用済みの旗がたまると、それでもって着物をつくった。彼はそれを――祝出征なになに君という字が背中などに大きく出ているその着物を堂々と着込んで、歓送の行列の先頭に立つのだが、だんだん興奮してくると、ちんちくりんの身体で行列の何間か先へチョコチョコと駆け出して行って、立ちどまって、万歳万歳と手を挙げて行列を迎える。行列が近づくとまたパッと先に駆け出して行って「――万歳、万歳!」こうした彼の誠意と熱情はわかるのだが、その旗でつくった着物が、
「本人は真剣なんだから、そんなケッタイな着物をきて、チョコマカとおかしなまねをするなと言うわけにも行かないんでね。実際おッつぁんは真剣で、――俺たちがこうして安らかに暮して行けるのも、みんな俺たちに代って戦争に行ってくれている人たちのおかげなんだと、いつもそう言っていて、たとえば電車のなかなんかで、
私たちは言問通りにあるメシ屋で、自動車の運転手相手に終夜営業をしている店に入っていた。私はその天中軒トコトンの真情に感動して、いい話を聞かせてくれたと末弘春吉に感謝する気持で、いまは小柳雅子に会えなかったくやしさも心から消え去っていた。湯豆腐と
「ミーちゃんが、なんだか、この間、おたくに憤慨してましたぜ。憤慨というか、なんというか」
末弘は唇をチュッと鳴らして、酒を飲んだ。「いつか、おたくにからんだことがあるんですってね。そんなことも言っていた」
「からんだ? 何のことだろう」
口当りから察すると、酒はどうも黒松百鷹(白鷹に非ず)とか墨松白鷹(黒松に非ず)とかいった
「ミーちゃんの死んだ妹のことで、なんか……」
「ははあ」いつか
この店の片隅に、古武士といった風貌の、だがうらぶれた身なりの痩せた中年の男がいて、気張っているのか癖なのか、背骨をしゃんとそらせて、酒を水でも飲むような無表情な顔で悠然と飲んでいる。それに眼をやりながら、私は心の片方で、何か気になるその男がどんなようなことを頭のなかで考えながら酒を飲んでいるのだろうかと考え、それが全然想像がつかないのに、妙ないらだたしさに似たものを感じていた。さよう、人は他人の頭のなかにある考えを、その人の顔を見るような工合に見ることができないのは当り前のことだが、考えてみると、その当り前さはなかなか薄気味が悪いものだ。そんなことを心の片方でぼんやり考えながら、片方で私は、自分で気づかなかったが「おまさ」へ行った時の美佐子は私にからんでいたのであったかと、その時の記憶をたぐり寄せていた。
「ミーちゃんは、前におたくのことを好きだと言ってたんだけど、どうした加減か、この間は風向きが変って、えらく憤慨してましたっけ。死んだ妹のことなんかも持ち出して……」
私は美佐子が、瓢箪池のところで私に、浅草へなにしに来たのかという意味のことを詰問的に言ったことを思い出した。そしてその時美佐子は、そうした詰問的な言葉のあとで、私とは不思議な因縁があるのだと言って、美佐子の妹の死んだ市川玲子と私の以前の妻の鮎子との奇妙な関係を語って、その時美佐子はそれ以上は言わなかったけれど、その関係というのは、浅草へひょっこり現われた鮎子がおそらくはちょっとした浮気心で、市川玲子から大屋五郎を奪って行き、そのため玲子の生命をも奪って行ったというような大変な関係であったことを、私はあとでドサ貫から知らされた。そうしたことを美佐子が自分から語らなかったのは、鮎子への
「僕のことを好きだと言ってたって?」
私は自分を決して悪戯などはしない人間とみずから言い切れないので、美佐子の憤慨というのにうろたえたから、そのうろたえを隠すように、そうふざけた調子で言ったものだ。(美佐子は実は、私の考えたように、漠然と憤慨していたのではなかったのであった。前回にも書いた通り、お好み焼のことから美佐子は私が小柳雅子に夢中なことを知った。特に小柳雅子ということから、美佐子は憤慨したのであるが、それは後にわかったことで、――ではなぜ美佐子は特に小柳雅子ということから憤慨したのか。それはまだ語る時期ではないようだ。)
末弘もふざけた調子で、美佐子の声をまねて言った。
「倉橋さんッて、なんか寂しそうな人ね。あたし、ああした寂しそうな人が好きだわ。ミーちゃんは、あたしにいつか、そう言ったもんでさ」
酔いが回ったらしく、身振りも入れて、
「そいで、あたしは、――どうせ、あたしは賑やかな人間ですよと言ってやったもんですがね。そうだ、あの時分、おたくは倉橋さんじゃなくて、高勢さんという名で通ってましたな。ありゃ、どういうんで……」
説明するのが面倒臭く、私はただ名前を間違えられたのだと言って、末弘の盃に酒を注ぎ、
「時にドサ貫ク、――ああ言いにくい、ド、サ、貫、クンはどうしたです」
「
「レヴィウの方がいいのかな。あの人はO館に出ていたんですッてね」
「それがね、可哀そうに奴の惚れてた踊り子を、そこの座長に取られちまってね。そいで奴さん、ヤケになって座長と喧嘩して、おん出ちまったんです。気が弱そうに見えて、あれでムキなところがあって。そうそう先生はもと小説家志望だったらしいですな。今でもまだ
「マキ、お代り」と私はねえさんに言った。
*
その年の一の
十一月三日。明治節。この日、小柳雅子は慰問団に加わって、東京駅三時発で中華へ行くのである。一月ばかりは帰ってこないだろうから、出発前にぜひとも一度会って食事を一緒にしたいと思っていたのだが、とうとうその機会は得られなかった。客席からひそかに私は舞台の彼女に「元気で行ってらっしゃい」と言うことは言っていたが……。
三日は雨降りで、東京駅へ送りに行こうかと思ったが、見送りの人がたくさんいるなかの、恰好のつかない私の恰好を想像すると、到底行けるものでなく、その時刻に私はアパートの窓から外を眺めていた。田原町の仁丹の広告灯が、――電気のつかない昼間の広告灯というのは、さらでだにしょんぼりとしたものだが、冷たい雨にずぶ濡れになって佗しく情けなそうに立っているのが、私の眼に入り、屋根ばかりしか見えない窓外の
私はつまらぬことでもいいから、何か考えごとをして、小柳雅子へのいたずらな想いをそうして追い払おうと努めたところ、ほんとうにつまらぬことを思いついたのである。それは何かというと、私は末弘春吉から芸名を考えて置いてくれと頼まれていた。その芸名のことがひょいと頭に来たので、仁丹からの連想か、――なんとか
それから何日かして、私は朝野光男に会ったのであるが、朝野は私の顔を見ると、
「ああ倉橋君。この間の一の酉の晩に、小柳雅子の後援会の連中が、小柳雅子が中華へ行くというんでその送別会を開いとったですがね。
私は、そんな送別会のあったことを、てんで知らなかった。朝野はそんな後援会のあることを私に言ったことはないし、そんな送別会のことも私に知らしてはくれなかった。
「ほう、後援会があるんですか」
と私は、あとになってそんなことを言う朝野に不満を感じながらそう言ったが、朝野の方も私が残念がるだろうとそれをおもしろがって、そんなことを言っている風であった。
「堂々たる後援会ですわ」
と、朝野は汚い歯を
「会員というのは、靴屋の小僧とか、魚屋の
意地悪そうに笑って、
「それはそうと、この間話した浅草の会ですな、K劇場を最初にと思って、
私はあいまいにうなずいて、
「やるんだったら、会費はこっちもめいめいに払うという方がいいですね」
「では、宣伝部が金を出すといったら、それはお酒の方へ回しますかな。――とにかく、ちょっとK劇場の楽屋へ行ってみんですか。小柳雅子が留守だから、倉橋君は行く興味はないですかな」
私はむしろ反対で、小柳雅子が留守なのでその楽屋へ行ける感じであった。前には行きたいと思っても、いざとなるとその楽屋口がくぐれなかったK劇場の楽屋へ、朝野と一緒に今はひるむことなくすなおに入って行ったのだった。
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いかに、ああ、旅人よ、この青ざめし景色は、青ざめし汝みずからをうつすらん。
ヴェルレーヌ前にちょっと書いたように、楽屋は舞台裏の三階にある。その楽屋へ行くべく、暗い急な階段を昇って、二階と三階の間の狭い踊り場に行きついたときちょうど、――私の先に行った朝野は、すでに三階に姿を消していたが、――ちょうどそのとき、暗い階段の上にあたかもパッと光が射したみたいに、あれはなんという布地なのか、白い透き通るふわふわとした、それだけでも何やら色っぽく悩ましい衣装、その肩の上には花のようにした
降りて来た踊り子は何人だったか、私は興奮してしまっていて、それはわからなかったが、何人かそうして降りたあと、興奮していても、それはダンシング・チームの全員ではない、一部だという見当だけはついていた私は、マゴマゴしているとまた上から降りてくる、たまらぬと思って(といって、いやな気持なのでは決してない。その反対なのだが、いわばあまり反対すぎてかえって苦痛であったのだ。)さっと階段を駆け上ったが、さっという工合に駆け上るため二重回しの裾を手でかかげていて、それはてもなく裳裾をかかげた踊り子と同じ恰好なのだ。けれど踊り子と私とはなんたる相違であろうと私はわれながら苦笑した。
階段を昇ったすぐ左が、靴ぬぎ場で、その向うにダンシング・チームの細長い楽屋が見える。思ったとおり、そこから踊り子の残りが、わっと
「あら、――倉橋先生」
という声があった。声をたよりに眼を据えると、サーちゃんであった。
私はこういう場合に慣れないので、とっさに言うべき言葉が浮ばず、やあ、やあと首を振ると、
「先生、マの字はいないわよ」
「マの字?」
とぼけたと思ったのだろう、サーちゃんは意味ありげな微笑を残したまま、階段を降りて行った。そのあとで、マの字とは小柳雅子のことと気づいた。
――楽屋は、踊り子が出払って、がらあきで、楽屋着などが雑然とぬぎすててあるなかに、朝野がひとり泰然自若として坐っていた。「まあ、あがらんですか」
自分の部屋ででもあるかのような声だったが、雑貨屋の二階の自分の部屋へは決して私をあがらせない朝野だから、余計奇妙な感じであった。それはともかく、がらあきなのにつけ込んで私は上り込み、そこで楽屋の内部をはじめて
細長い部屋の両側に、鏡台がずらりと並べてあって、多くは小さな卵形の赤い鏡台だった。北向きの片側は窓になっていて、そこから
そうした干しもの風景を語っただけですでに、その部屋の
かくて私はそこの薄穢さに決して眉を寄せることはしなかった。といって、なまめかしさにひそかにニヤついたのでもなかった。私は何かもの悲しい気持になっていた。
――朝野が話しかけても、私は活発に返事をしなかった。すると、朝野は、
「早速、この楽屋風景をネタにするですか」
ネタにしようというわけで考え込んでいると取ったのであろう。
「それとも、――」と朝野はつづけて言った。「小柳雅子がいないので、憂鬱なんですか」
短いショウで、踊り子たちはやがてドヤドヤと楽屋に戻って来た。
そして私の眼の前で、平気で、例の
ところで、そうした踊り子たちは、年齢はもちろんまちまちだが概して
ドギついドーラン化粧をおとすと、ゆで卵をむいたような、つるつるの、といっても卵のように白いわけではなく、過労からか、陽に当らないからか、黄色い、いやな色をした顔が出てくるのだが、眉も何もないその顔は、あれ? と驚かれるほど、まるで子供っぽい、というよりむしろ赤ん坊のような顔なのだ。化粧という字は、
そうしたつるつるの素顔を、サーちゃんは、こっちに振り向けて、
「朝野さん、なんか会をやるんですって?」
「ああ、――誰に聞いた?」
「
そう言うサーちゃんと小柳雅子とは、似ても似つかぬ顔立ちなのに、私はサーちゃんの顔を見ていると不思議にそこに小柳雅子の顔をまざまざと思い浮べるのだった。
「瓶口さん、こう言ったわよ、その会にあたしたちを呼んで、芸者がわりにお酌をさせるんだって、朝野さんが言ってたッて。――いやだわ。そんな芸者のまねみたいなことをするの」
「そんなこと、おれ、言やしないよ」
しかし朝野は明らかにあわてていた。
その
瓶口はりゅうとした洋服を着ていて、ピカピカ光った靴をはいていて、――その前に立つととみにみすぼらしく見劣りがする、汚い
「ねえ、先生」
「――は」
その世界では大概の人が先生と呼ばれる。文芸部員、振付師などが先生と呼ばれるのはまだいいとして、
「ねえ、先生。会をやって下さるんですッてね。ぜひひとつお願いします。正直に言いますが、あっしたち、今が一番大事なところで、――ここでグンと乗り出したいとおもうんで、――それには、どうしても先生方の後援がないと……」
「いやア……」
「そんなこと言わないで、ねえ、可愛がって下さい。お願いですから、あっしたちをひとつ売り出させて下さい」
私も正直に言うが、――そういう工合に
「おや、おや、ひどいふけだ」
瓶口は私の二重回しのうしろを払ってくれまでして、
「小柳マーちゃんは十二月のはじめには帰ってきますが、会はまあ、――小柳マーちゃんが帰ってからでしょうね」
フフフと笑って私の肩を叩いた。
サーちゃんの言葉といい、この瓶口の言葉といい、私が小柳雅子に夢中なことは、いつかもう小屋中に「有名」になっているらしい。君が言いふらしたのだろう、そんな眼を朝野に向けると、朝野はくるりと私に背を向けて、
「瓶君は、実際全く、いやほんとうに張り切ってるねえ」
すると瓶口は革手袋をはめた手を元気よくパンパンと叩いて、
「いま張り切らなきゃ、張り切るときはないんですよ」
「――人気が出てきたからなア」
「ここでぐッと、のしちまわないッと……」
「そうだよ、そうだよ」
元気な言葉だが、
「私も張り切らんといかん!」
例によって私と朝野は地下鉄横町の「ボン・ジュール」に行ったのだが、その途中の新仲見世通りで私は、私が浅草へ来る前にうろついていた銀座の、その裏の方にあるとある「特殊喫茶」で顔なじみの、そこのいわゆる喫茶ガールの一人に偶然会った。もう随分その店へ行かないが、向うでも私の顔を覚えていたと見え、雑踏のなかに私の姿を発見すると、――まずいのに会った、そんな顔を横にそむけた。
その女の横には、男がいたのであるが、女のその顔のそむけ方で、その男がその女にとってどういう意味のものであるかが明らかにされた。
そうだ。私は今まで書かなかったが、こういう工合に銀座の女たちがランデヴーに浅草を利用しているのに、ひょっこりぶつかるのは、これが初めてではなかった。そして女も私も双方とも、この場合のように気まずい思いをするのは、これでもう何度目ぐらいか。かくて私は、銀座の女たちが、浅草だったら、店の客に会わないだろう、店へ来てうるさい
「――だってェ、感じが出ないわ」
颯爽とこう答えた。私は、わかるようなわからないようなうなずきをしたが、つづいて、その見る映画も洋画でないと「感じが出ない」由を知らされ、私はさらにわからないようなわかるようなうなずきをした。
――さよう、私は浅草で会った浅草の人間以外の人間のことを、今まで一度も語らなかったが、この機会に話をそれに移そう。
*
――田島町の私のアパートの前の道を、六区の方でなくその反対の方へ、つまり「惚太郎」のある方へ行って、そのまま菊屋橋の電車通りに出ると、その電車通りはちょっと不思議な商店街をなしている。すなわちそのうちのひとつの店の看板を紹介すれば、
各飲食店道具
漬物寿司店用具
漬物寿司店用具
こう二列に書いてある。その隣には「陳列
――小説が書けなくなったら、ここで安道具を集めて、屋台でもやるかな。そんなあんまり楽しくない空想をしながら、あるとき私はそこを歩いていた。歩いていたら、そんな空想を誘われたのだが、浮かぬ顔の眼だけをおもしろそうに輝かせて、店をのぞきのぞき、合羽橋の停留場のさきまで行ったとき、
「よオ、これは」
と声をかけられた。見ると、大森の、私のもとよく行った喫茶店のバーテンダーで、
「お珍しいところで――」
驚いている顔に、
「あんたもまた、大森からこんなところへ何しに……」
「あたしは、クリスマスの飾り付けを買いに……」小脇にそれらしいものを
ああなるほどと私は思った。そういうものばかりをまた専門に売っている店が、そこにあるのだ。
私はやや
その通りは通称お菓子屋
まっすぐに行けば、国際通りに出るのだが、中途でなんとなく右に曲って合羽橋通りに出た。
「みんな、元気?」
と私はバーテンダーに言った。「すっかりごぶさたしているが、栄ちゃんなど相変らず元気かね」
栄ちゃんというのは、そこの喫茶ガールの一人の名である。と言っても、そこには女の子は二人しかいないが。
「栄ちゃんは、やめました」
「やめた?」
「
「ほう」
店では栄子の方が古参で、その百合子というのがまだ店へ入ったばかりの頃、栄子と百合子がこんな話をしているのを私は側で聞いたことがある。それを、ふと思い出した。
「――振り返ったのが、いけなかったのね、きっと。危いと思って、軒下の方へよけたんだけど、よけた方へ自転車がわざとのようにやってきて、ドシン!」
「まあ、馬鹿にしているわね」
百合子はくやしそうに靴の
「痛かったわ」
栄子は和服だった。「あたしたちも、よくあるじゃないの。自転車をよけようとおもうと、かえって自転車の前へ行ってしまったりすることがあるわね。その自転車も、きっとそうだと思うわ。あたしが振り返ってあわててよけたりしたもんで、ハッとして、かえってあたしの方にぶつけてしまったんだわ」
「冗談じゃない。わざとかもしれないわ。気をつけろッて、どなってやればいいのに。あんた、そんとき、なんて言った?」
栄子はクスクス笑い出した。
「おかしな栄子さん」
「だって、自分でもおかしいのよ、考えてみると。あたし、思わず、ごめんなさいと言っちゃったの」
「まあ……」
「おかしいけど、――わかるでしょう」
「わからないわ」と百合子。歯を薄情そうにツウと鳴らす。
「わかるね」
と、私は口をはさむのだった。
私なども、たとえば人に足を踏まれた場合、邪魔なところに足を出していたこっちが悪いような気がして、先方が「――失礼」と言うと「いや、いや」と恐縮するのが常である。
ところで、そうした栄子がどういう事情か知らないが、新参の百合子から店を追い出されるようにしてやめたという。どうして? と聞かなくても、百合子に追い出されたというのが、いかにもあり得べき事柄のようにすッと頭に入るのだった。どこか、いい店へ移れたのであればいいがと祈るのだったが、しかし栄子のような女の上には、絶えず世の荒波がひとしお荒く襲いかかり、百合子のような女は、それこそ荒波に、気をつけろとどなりちらして、わがままに強く仕合わせに生きて行くことであろうとも思うのだった。
「栄ちゃんは、いい子だったがな」
「いい女にはいい女でしたがね。でも店にとっては、――栄子と百合子と
そこへ私は再び、
「よオ、これは」
と、声をかけられた。ドサ貫で、ちょうど「どじょう飯田」と書いた黒い
「――よオ」
連れがいるので、挨拶したまま行こうとすると、
「倉橋さん」
ドサ貫は追って来て、「ちょっと話があるんですけど」
何かギョッとさせられる固い顔だった。
言い
――何か、ひけらかすようなことばかり書いたようだが、あえてその調子をつづければ、合羽橋通りを国際通りに出る左角に「今半」があり、そのビルの二階に風呂屋がある。合羽橋通りに向けて、その入口があり、二階に「日本政府登録ロンジン精浴――ガラス湯」という看板が出ているが、ガラス湯というのは、何も湯槽などがガラスでつくられているというような意味ではなく、今はもうないけど、もとその裏手にガラス工場があり、そこで使った湯をひいてきて銭湯に利用したところから、ガラス湯という名が出た、――ということである。二階の銭湯は公園にもあり、珍しくないが、ガラス湯という名はちょっと珍しい。
その風呂屋の下には「ときわや食堂」「丸与果実店」それから「河金」という小屋の人々の間に有名な洋食屋、その三軒があって、さらに地下室には「花月」というビリヤードがある。
ちょうどそこへさしかかった時、ガラス湯の、真冬なのに少しとはいえ窓をひらいた、その窓から、パンパンという、三助が肩を叩く気持のいい音が聞えてきた。冬らしくない
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国際通りを横断して、左角に「
「こっちへ行きましょう」
とドサ貫が「広養軒」の方を指さした。「O館の奴らに会うと、いやだから……」その通りのさきに、ドサ貫がもといたレヴィウ劇場のO館が見える。
私たちは、ドサ貫の言うままに、右へそれたが、少し行くと「広養軒」の女給に会って、
「今日は。――この間は」
とあいさつされた。
「シャンですね。女優かなんかですか」重苦しい空気を払いのけようとするように、喫茶店のバーテンダーが言った。
「広養軒の女給さんさ」
「ああ、あの角の。あすこは古いカフェーですね」うしろを振り返って「カフェーの女給か。綺麗な女だな。女給には見えないな」
「この間まで女優さんだったのだ」
「なアるほど」
バーテン君は感心したようにうなずいて、(その首には
「あすこはムーラン・ルージュの人がやっているんですってね。――倉橋さんは、あのカフェーのおなじみで?」
「いや、一度行ったきり、この間初めて」
女給さんに愛想よくあいさつされたりして、いかにもおなじみさんのようだが、その時私がびっくりしたような照れたような顔をした、その顔を見れば、私の言葉がうそでないことがわかる。私は、とある知人に誘われて、それまでその名、評判は知っていたが、ついぞ入ってみたことのない、入ってみたいという誘惑も感じたことのないその店へ、数日前に初めて行っただけである。その知人というのは、今はいないが「お絹さん」というのがそこで鳴らしていた時分、すなわち銀座の「ライオン」で「お近さん」が鳴らしていた時分のことだが(正確に言えば「お近さん」の時分よりすこしあとだが)、わざわざその「お絹さん」を張りに山の手から浅草へ通っていた人で、知人と心やすく呼んでも私より一まわり以上年上の、そしてカフェー通いをしていたというと何かヤクザな感じだが、今は堂々たる某会社の幹部、たとえば事変後大陸へ、ちょうど私などが省線電車で大森と浅草を行ったり来たりする程度のなんでもなさで幾度か飛行機で行ったり来たりしているといった人、その人と、その人が
「久し振りだ。行こう。――広養軒へ行こう」
その人にとっては、浅草といえば「広養軒」――という感じらしい。同じく銀座といえば「ライオン」という感じの人もあるだろうが、その「ライオン」のなくなった今日、「広養軒」が依然その時分のカフェーらしい感じで、そりゃ幾分違ってはいようが、それでもとにかく残っているのは、その人にとって、たとえ「お絹さん」がいないたって、なんというか、幸福なことだと私は思った。私がその店に何の魅力も感じないのは、おそらく私がいわゆるカフェーの全盛時代を知らず、噂は聞いていてもそれは私の謹厳な学生時分のことで、幾分おくての私の「遊蕩」の歴史はその後、銀座にカフェーに取って代って現われたバーのなかで初めて始められたことにもよるだろう。カフェーというのはどうも「新時代」の私にピンとこないのだ。それに、その店の、なかへ入らないでも外から
私に愛想よくあいさつしたその女給さんは、つい前まで新宿の舞台に立っていた、まだ二十前の娘で、バーテン君が「綺麗な女だな」と嘆声を発したのも無理はない、いかにも、
「広養軒といえば、前の聚楽……」
とバーテンは言うのだった。「須田町食堂の発展は大したもんですね」
各所にある「聚楽」という食堂は須田町食堂で経営していることは、私も知っていたが、
「――今度、花屋敷を買うそうですね」
浅草にほとんど毎日いて、そうしたことを私は大森の喫茶店のバーテンから初めて聞くのだった。
「ふーん。花屋敷をね」
――往年の名物も今は廃墟のようになっていた。廃墟といえば、浅草のレヴィウの発生地のような水族館も廃屋のままで、深夜にその屋上のあたりから踊り子のタップの靴音が聞えてくるという怪談さえ出ているほどの
――私の手もとに明治四十年発行の東京市
これで見ても、食いもの屋の一種の凄さがわかる。須田町食堂が花屋敷を買収するというのも、食いもの屋の凄さのひとつの現われにすぎないであろう。興行方面の
六区に至りては、園内
一号地現在の江川ニュース劇場と大勝館の間
観物に大盛館(江川玉乗)(大人三銭小児二銭) 清遊館(浪花踊)(大人三銭小児二銭)
共盛館(少年美団)(大人三銭小児二銭) 共盛館(青木玉乗)(大人三銭小児二銭) 外に猿 の観物。(以下略)
二号地現在のオペラ館のある一角
観物に日本館(娘都踊)(大人三銭小児二銭) 野見(剣術)(大人三銭小児二銭) あり。(以下略)
三号地現在の千代田館と金龍館の間
観物に清明館(剣舞)(大人二銭小児一銭五厘) 明治館(大神楽)(大人三銭小児二銭) 電気館(活動写真)(大人五銭小児二銭) あり。
劇場常盤座 (木戸六銭) 寄席金車 (木戸六銭) あり。(以下略)
四号地現在の富士館、帝国館のある所
観物に日本パノラマ (大人十銭小児五銭) 珍世界 (大人五銭小児三銭) 木馬館 (五銭) S派新演劇朝日 (大人二銭小児一銭五厘) あり。
(以下略)
観物に大盛館(江川玉乗)(大人三銭小児二銭) 清遊館(浪花踊)(大人三銭小児二銭)
共盛館(少年美団)(大人三銭小児二銭) 共盛館(青木玉乗)(大人三銭小児二銭) 外に
二号地現在のオペラ館のある一角
観物に日本館(娘都踊)(大人三銭小児二銭) 野見(剣術)(大人三銭小児二銭) あり。(以下略)
三号地現在の千代田館と金龍館の間
観物に清明館(剣舞)(大人二銭小児一銭五厘) 明治館(大神楽)(大人三銭小児二銭) 電気館(活動写真)(大人五銭小児二銭) あり。
劇場常盤座 (木戸六銭) 寄席金車 (木戸六銭) あり。(以下略)
四号地現在の富士館、帝国館のある所
観物に日本パノラマ (大人十銭小児五銭) 珍世界 (大人五銭小児三銭) 木馬館 (五銭) S派新演劇朝日 (大人二銭小児一銭五厘) あり。
(以下略)
「――花屋敷を買って食堂にするのかしら。それにしては広すぎるし、花屋敷を復活させるのかな」
私はそんなことを言って、その噂の真価をただすように、それまで無視していた形のドサ貫に顔を向けると、
「倉橋さん」
くだらねえおしゃべりはやめてくれといったきびしい声だった。私は「惚太郎」でドサ貫に初めて会った時、彼が「すぐ空きますから、――すみません」と言ったその
松竹座の前に来ていた。流行の女
「ミーちゃんのことなんですがね。あの女にヘンなコナかけるのは、やめて下さい」
ぴしゃりと言う感じで、そう、いきなり、――いや彼自身にしてみれば、いきなりではなかったかも知れないが。
「コナをどうしたって?」私には何のことかわからなかった。ドサ貫は何か言おうとしたらしかったが、その時ちょうど真向うからからッ風がさっと吹きつけて来て、彼はゴホゴホとせき込んだ。胸の病いが大分進んでいるらしいのを私の耳に不気味に伝える
日本館の方へ
「三の酉にミーちゃんと……」咳のためか弱々しい声で、ドサ貫が言うのに、
「うん、徹夜で……」
私はうなずいて、手にまつわった二重回しの袖で、なんということなく鼻の脇をこすった。黒い
左に
「あんたの前の人……」
とドサ貫は鮎子のことをそう言って、
「――あの人が玲ちゃんから大屋五郎をさらって行ったみたいなまねは、あんなまねはしないで下さい」今は哀訴に似た声だった。
あとで知ったのだが、コナをかけるというのは(さよう、今は
その大屋五郎と、数日前に私は銀座で会っていた。
「――おや、倉さん」
「――おや、ゴロちゃん」
これが私たちのあいさつである。こんなあさましい(私は何もあさましいとは感じなかったが)言葉でもって容易に想像がつくであろうが、私たちはお互いに肩を叩かんばかりの恰好で、――そうだ、外国映画などを見ると、親しい友達が久し振りに会ったりすると、パッと抱きついてまるで恋人同士みたいにお互いの背中を叩きあったりする場面が出てくるが、私たちがもし外国に生れていたら、あるいはそんな工合に抱きついて親愛の情をむき出しに現わしたかもしれない。
ゴロちゃんというのは、私の前の妻の鮎子の現在の亭主(あるいは情人)、それも私から
その異常な親愛の情を、私は従来の習慣通り言葉や顔に現わして、――ハッとした。ドサ貫の話が、激しい痛苦を伴って私の脳裏に
それを言おうとすると、ゴロちゃんの方が先に、
「鮎ちゃんに会ったですか?」(鮎子と言うのが普通だろうが、ゴロちゃんはそう呼び、鮎子も大屋五郎のことを人前でゴロちゃんと言っていた。)
「いいや」と私は首を振った。「――上海から帰ったの?」
「もう半月以上になる……」
そして「今日は寒いのかしら。暑いのかしら」と変なことを言ったかと思うと、不意にラララと小声ながら、人混みのなかだというのに身振りまで入れて歌い出すのに、
「この頃、僕は銀座に出ないから」
「ラララン……。えれえ豪遊なアストラカンかなんか着込んで、大変なもんですわ」
身体の両側に、
私はゴロちゃんの語調に異様なものを感じながら、
「――で、今はゴロちゃんと一緒?」
「それなんで」
すさまじく大きな声でそう言って、ゴロちゃんは物をつまみ上げるような手を顔の前にやったかと思うと、
「パッ!」
奇声とともにあたかも手につまんだものを私の顔にぶっかけるみたいに、パッと指を開くのだった。
「なんだい。気持の悪い」
私はギョッとさせられた。その「パッ!」に驚かされただけではない。しょっちゅうふざけているゴロちゃんは、その時ももちろんふざけた調子だったが、私はその奥に何か薄気味の悪いさむざむとしたものを感じたのだ。ふわふわとしたなかにコツンと固いものがある感じだ。
「ヘッヘッヘ」
とゴロちゃんは
「……?」
だが次の瞬間ゴロちゃんは、――パッとやった手をちょうど手を挙げろと言われたようなぶざまな恰好で上に挙げていたのを、くるりと内側に向けると自分の顔にべたりと貼り付けるみたいに当て、それこそ
「ねえ倉さん、――あたし、なんかオカしいかしら」
「オカしい?」
「いかれてるって言やがんで、僕のことを、みんなして」あたしと言ったり僕と言ったりして、「――そう言われると、自分でも少しオカしいと思う時もあるんだが」
「しっかりしろよ。ゴロちゃん。どうしたんだい。何を言ってんだか、さっぱりわかりゃしない」
もともと会話の間に連絡のないとっぴなことを、ひょいひょいと言ったり、したりする彼で、彼との会話は慣れないと骨が折れるのではあったが、それが少しひどすぎた。
ゴロちゃんは歯をむき出して、今度ははっきり笑って、
「――ゴリラ」
そう言ったかと思うと、
「倉さんの二の舞なんで。テヘッ」
おでこをポンと叩いた。大きな音がした。そしてそのせいか、――末すぼまりのとっくりズボンの、見るからに何か心もとない足もとを、よろよろとさせるのだった。
「ゴロちゃん。……」思わず私は叫ぶように言うと、
「それなんで」
と奇怪なレヴィウ役者は独り合点をして、
「それが面白いんで」パンと手を打つ。
「何が?」
それに答えず、
「気がついて見ると、驚くなかれ、なんにもないんだ。そしてドロン」
「何がないのさ」
「道具。鮎ちゃんの道具。利口な女ですね、あの女は。――あの女は豪遊な道具を持ってるなア」
「はじめから話してくれよ」
すると相手はキョトンとした顔でしばらく私を見ていたが、
「寂しかった? こう言うんですよ」
「フンフン、上海から帰ってね」
「ああ、寂しかったよ。(これはゴロちゃんの言葉のはずなのに、女の声のようにして言って)ところがね、鮎ちゃんは、諸君驚くなかれ、あんまり驚かせろ! 上海で男をつくって、その男と手に手を取って帰ってきたんだが、ちっともそんな気振りを見せない。だから、こっちはちっとも知らない。そのうち鮎ちゃんは自分の道具をひとつふたつとアパートから運び出して、気がつくと、なんにもない。そしてそのまま、鮎ちゃんはあたしンとこからドロン……」
「気がつくと、てのはおかしいね」
「おかしいかな」小首を
「おかしいよ。そんな……一緒に住んでて」
私のところを鮎子がドロンをした時は、私が、留守の間に私に無断でトラックを雇ってきて、自分の道具を一挙に運び出し、同時に自分をも私との家庭生活の外へ運び出したものだ。
「そう言われると」
と、ゴロちゃんはびっくりしたように眼を
「冗談じゃない」
「だから、ほらさっき言ったでしょう。自分でも少しオカしいと思う時もあるって」
「ゴロちゃん!」私は自分もなんだか変にさせられるような気持だった。いたましい想いと腹立たしい想いが、こんがらかっていた。「みんなが、ゴロちゃんのことをオカしいと言うのは、鮎ちゃんがドロンしてから? それともその前から……?」
「ドロンしてからですよ」
ヘンに力んで、
「それでいかれたらしいと、みんなが言やがるんだが」
「で、ゴロちゃん、小屋の方は」(これで勤まるのかしら?)
「やめちゃったア」と彼は至極朗らかに言うのだった。
クビになったのだろうと思いながら、
「で、今どうしてんの?」と聞くと、
「もっぱらこの方で……」
盃形に丸めた指を口に持って行って、
「クイクイとね」
金は? 言えないでいると、
「鮎ちゃんって、いいとこあるなア。鮎ちゃんに
――私はドサ貫から聞いた話を結局ゴロちゃんに言わないで別れた。ゴロちゃんはクイクイと盃を傾けるまねをすると、それでとみにその欲望に
「ゴロちゃんはどうかしている」
そう言う私まで、頭がオカしくなったような気持だった。ところで、その混迷を一筋あざやかに貫いているものがあった。それはゴロちゃんから聞いた鮎子の行状への、感嘆に近い驚きであった。上海で男をつくったというのは、いかにも鮎子が支那へ行っても内地にいた時と同じ自分を押し通している感じで、――鮎子の一種の逞しさにはかねて私も舌を巻いていたが、いまさらながらその図太さに驚かされたのだった。
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話をもとに戻して、――私はドサ貫から、鮎子が大屋五郎を美佐子の妹からさらって行ったようなまねをするなと言われたが、――それは美佐子に対して邪恋をしかけるなという意味に違いないのだが、私にはとんと
とんでもない誤解であると私は言った。言うのもあほらしいくらいであった。
「誤解?」ドサ貫が三方白の眼を私に注ぐのに、
「うん」
私は大きく首を振ったが、ドサ貫は何も言わず、首を
話をはぐらかすように言ったが、ドサ貫は依然何も言わなかった。その無言の圧迫から逃れるため、つづけて私は、
「ゴロちゃんは、そいで、――ゴロちゃんに、こないだ会ったのだが、どうも少し変なんだ」
「変?」ドサ貫はやっと口を開いた。
「うん、なんか、こういかれたような、頭の調子が変みたいな……」
喫茶店「ハトヤ」の前に来ていた。入ろうかと、ドサ貫とバーテンダーのどちらへともなく言って
やめて、歩き出したが、公園劇場の前へくると、
「では、ここで……」
とバーテンダーが、たぬき横町の方へ手をやって、
「ちょっと寄ってくところがありますので」
私を一人残して行くのが気がかりだがといった顔だった。
――ドサ貫と二人になった。
――三の酉は十一月二十五日であった。(一日が一の酉で、十三日が二の酉で、――)二十四日の晩に私は「惚太郎」でお座敷の仕事の帰りだという美佐子と会った。
「やになっちゃうわ。踊って帰ろうと思ったら、ついでに酌をして行けだって。……まるでダンス芸者じゃないの」
美佐子は眼のふちを赤くして、だるそうに鉄板の前に坐った。
「ミーちゃんは、それで、サービスしてやったの」
貝のままの
「だってエ、――馬鹿にしていると帰ろうと思ったところ、そこの、芸者衆だったらお出先と言うのね、お出先の女中さんにまあまあと頼まれちゃって。お客さまが、ああおっしゃるんだから、ひとつ頼むって言われちゃって」
「お客さま? なアに、そのお客さまは」
細君は自分が
「なんの宴会なの。――どこ? そのお座敷は」
「○○の△△荘」
はがしで鉄板を、軽くだがヤケな感じで美佐子は叩いて、
「――どっかの工場の旦那方らしかったわ。軍需景気って口ね、いやな客」
側で子供が、もう夜も遅いのに玩具のタンクでひとりでおとなしく遊んでいる。
「ミーちゃん。……」
小皿のむらさきに
「――これからは、そういう時、ミーちゃん、はっきり断わらなきゃ駄目よ。いいこと。あんたは宴会の余興に呼ばれて踊りに行ったんですよ。そんな、客の酌をしに行ったんじゃないんだから、――ねえ」
と台所に顔を振り向けた。台所では惚太郎が背を丸めるようにして煉炭の上に手をかざしていた。
「――ねえエ」と細君は口添えを促すように再び言ったが、――保定で戦傷を受けたという帰還兵の彼は、傷のところと覚しい
「そりゃねえ」
と、細君はひとりでつづけた。
「踊り子から芸者になったのもいる。だから似たようなもんだと、そんなお客は思ってるんでしょう。でも……」
チンと貝がアルミの蓋を蹴って口をあけた。貝の汁がジジジと鉄板に焼きついた。
「ミーちゃんは舞台から離れてるといったって、まだ芸人なのよ。芸人は芸を売ればいいのよ。女中に頼まれたからってお酌なんかすることないのよ。――そんな軍需景気の奴なんかに、浅草の芸人をなめさせるようなまねをしちゃ駄目」
「お姉さん」
と美佐子がさえぎった。手袋をはめない手が、外の寒気で赤くなっているのを台の上にベタリとついて、
「ごめんなさいね。――あたし……」
「あやまることなんかないわよ。ミーちゃんはさぞかしいやな気持だったろうと思うと、あたしもつい腹が立って……。ミーちゃんが勝気なのは、あたし知ってる。よくよくだったろうと思うと、あたしだって腹が立つのよ。――お酒を大分飲まされたらしいわね。苦しそうね」
「ミーちゃん。水やろうか」
それまで黙っていた惚太郎が不意に言った。
「すみません」
「よし」いたわる声だった。
ジャーという水道の音のなかから、
「軍需景気か」
惚太郎のつぶやきが聞えた。
こうした晩であった。――その晩の十二時過ぎると二十五日で、三の酉がはじまる。十二時前から人々は
どちらが誘うともなく美佐子と私とはお酉さまに出かけた。お酉さまの晩は、公園の食いもの屋は二時まで営業が許される。「
「あれ、一組十銭よ」と美佐子が言った。
「――え?」
「一晩借りるのが十銭」
「――なるほど」
トラックにのぼった男が、貸蒲団らしい薄っぺらなのを、
「――楽屋泊りも、今思い出すと楽しかった」
「…………」
「お座敷で踊って、おいモダンさん、俺の方にも酌してくれナンテ言われるようになっちゃ、おしまいね。来年はいっそ旅に出ようかしら」
その日、昼はそうでもなかったが、深夜になると急に冷えてきた。首を縮めて鋪道を急ぐ人々の小刻みの足音が、暗いととみにだだっ広く見える国際通りの、黒い河のようなさむざむと光ったその面に、ざわざわと立ちこめていた。音は空へのぼらないで地を低くはっているようであった。
「――それとも、いっそ末弘さんと夫婦になって漫才でもはじめようかしら」
「夫婦?」
「ええ、末広さんと組んで……」
「但馬がお正月には東京へくるッて言ってきたわ。この間、手紙で――。あたし、倉橋さんのこと但馬に手紙で書いてやったの。そしたら但馬は、こっちへ来たら、倉橋さんに会いたいッて……」
「あ、そう」私は但馬に会ってみたかった。そこで、その話をしようとすると、美佐子はそれを避ける風に、
「熊手には入船と出船があるんですッてね」
「ふーん」
「芸者家なんかは出船、料理屋なんかは入船……」
「――なるほど」
私はくしゃみをひとつして「僕らはどっちかな」
原稿が大いに出た方がいいという意味では出船だが、金が入った方がいいという意味では入船だ。言おうとして私は、いつか誰かが雑誌社から原稿の依頼があったのを、もとより冗談の口調だが、○○社からお座敷がかかったと言ったのを聞いて、作家が芸者になぞらえられるのにいやな気がしたことのあるのを思い出した。出船を買うことはみずからを芸者と見なすことになる。そこで私は、
「――やっぱり入船だな。原稿がいくら出ても
しまった。芸人は芸人らしいプライドを持て、芸者のようなまねをするなと「惚太郎」の細君が言ったばかりではないか。そこで私は、
「そうだ。お嫁に行く娘さんなどは、特に縁遠い娘さんなどは、出船を買うといいわけだな。お
以前はお酉さまの熊手は水商売客商売の人々しか買わないものらしかったが、今では普通の人たちも買っている。――我ながらうまい思いつきだと思ったが、金に結びついた縁起ものだから、ほんとうは意味をなさないのである。
「君は知ってやしないかしら」
と、私はドサ貫に言った。「熊手には入船と出船というのがあるんだってね。どういうのが入船で、どういうのが出船か……」
もう歳末のあわただしさを漂わしている新仲見世通りを私たちは歩いていた。私たちの間には、気まずい沈黙がずっと続いていた。それを破ろうための私の言葉であった。
――どういうのが入船で、どういうのが出船かは、お酉さまの晩、美佐子とも話し合ったことであった。美佐子は入船と出船があるということだけしか知らなかった。
熊手には宝船、的矢、玉茎、金箱、米俵、お多福面、
「あたし去年もこの熊手。ほんとうは倍のを買わなきゃいけないんだけど……」
「僕もそうだ」
思えば前の年は、鮎子と大屋五郎と、それから誰か他にもいたが、そうした顔触れでお酉さまに来た。鮎子は銀座のバーに出ていて、大屋五郎と別れるとか別れたとか、私ははっきり聞こうともしなかったが、――お酉さまでは、二人は「いやだわ」「よせよ」などと言って肩を叩きあって、至極朗らかにはしゃいでいた。
吉原病院の方へ抜けて、吉原に入った。仲の町は、お酉さまへ行く人、帰りの人で、ごった返していた。「
「どこかで飲むの、倉橋さん」
と美佐子が言った。ぶっきら棒な調子だが、その眼にはなまめいた色が輝いていた。
「うん、どうするかな」
「飲むんなら、つきあうわよ。あたしも飲むわ」
「だったら喜久家へでも寄ろうかな」
綺麗な姉妹がいるので知られている店で、江戸町の角にある。
「あたし、倉橋さんにちょっと話があるの」
「さあ……」
ドサ貫は冷やかな声で「知らんですね」
再び沈黙が来た。仲見世に来た。いつもならその雑踏をさっさと横断して、――そこまで来たら地下鉄横町の「ボン・ジュール」へ行くにきまっていた。だがその時は、喫茶店でドサ貫と向い合って坐るのはたまらない感じで、私は左にそれた。浅草に部屋を借りてもう半年以上になっているのに、私はどうした加減か、仲見世とか観音様の境内とか、それから六区の映画館街とか(これは前に書いたような理由はあるが)、つまり浅草の正式の顔といったようなところはあまり歩いたことがなく、私のぶらつくところはおおむね背中のような
「君は何か誤解しているらしいが、――誤解が晴れないようだが」
「誤解ならいいんですが」
ドサ貫は
「――君」と私は思わず荒い語気でさえぎった。だがすぐヘナヘナと崩れたふざけた調子で「なんだか脅迫されてるみたいだね」
「ええ、脅迫しているんです」
何か滑稽な言葉だけにかえって
「………」
「ミーちゃんとかぎらない。浅草の女に手を出すようなことはしないで下さい」
「…………」私の頭に小柳雅子のことが来た。雅子に対して私は手を出すといった気持ではないと自分ではしているが、しかし……。
「いつか死んだ玲ちゃんの話をしましたね。大屋五郎に捨てられてそれで病気がどっとひどくなって、舞台で血を吐いて死んだ……。まるで新派悲劇のような……。だが浅草の女は大概新派悲劇の主人公のようなものを持っているんで。そりゃ、ひどいのもいる。あんたの前の女に負けないようなのもいるにゃいるが……」
血みたいな赤さの唇を
「そりゃね、鮎子は悪い女だといえば悪い女だが、――」
私は何も鮎子を弁護したいわけではなかった。だがそうして怒りを吐き出していた。「悪い女には違いないが、また言ってみれば男が馬鹿なのさ。駄目なのさ。僕もその一人だが。――そして他の女だっても、馬鹿なのさ。駄目なのさ。それが鮎子を悪い女にしているところもあるんだと思う」
「――浅草の女は馬鹿ですね」
ドサ貫は噛みつくように言った。「でもその馬鹿なところがいいんじゃないですか」
「それはそうだが……」
私は何か愚かしくなって口をつぐんだ。
ドサ貫がなんで急に私に対して、彼みずからも言ったような脅迫的な態度に出るようになったのか、私にはわからなかった。その方に私は頭を向けた。私にわかるのは、美佐子に彼がどうやら夢中だということ。そのため……?
いや、底を割れば、バカバカしい話なのだから、もったいぶった書き方はやめよう。後で知ったのだが、美佐子がドサ貫をけしかけたらしいのだ。ドサ貫が自分に惚れていることを知っている美佐子は、その点を利用して彼をけしかけたのだ。私が美佐子を誘惑しようとしているとドサ貫に、そうはっきり、うそを言って、けしかけたのか、それともそのようなことをなんとなく言ったのを、美佐子に惚れているドサ貫が嫉妬心からそんなように取ったのか。その辺のことはわからない。だが美佐子が私をとっちめるようにとドサ貫をけしかけたことはたしからしかった。ではなぜ美佐子はそんなことをしたのか。
美佐子はお酉さまの晩に、自分から言おうとしたらしい。自分で私をとっちめようとしたのだ。美佐子が私に、「――ちょっと話があるの」と言ったその話とはそのことだったらしい。だがその話を美佐子はとうとうしなかった。そしてその代りにドサ貫をけしかけ、自分の代りにドサ貫にやらせたのだ。なぜ美佐子は私をとっちめようとしたのか。……
――私たちは観音堂をまわって、右手の裏に来ていた。観音堂前の賑わしさ、雑踏は、左にそれて、その裏はうそのように寂しかった。ついそこの、つい今通ってきた仲見世の賑わいが夢のような感じのする、そこは
森
「浅草の女に手を出すなとさっき君は言ったが、――誤解されるといけないから、ひとつ君に言っとこう。僕は踊り子さんでひとり好きな人がいるんだ。ただ好きなだけで、どうこうしようというわけではない。しかしその僕が好きだというのが変な工合に君の耳に伝わってもなんだから言いますがね」
「誰です」
「K劇場の小柳雅子」
「マーちゃん?」
「うん、マーちゃん」
「ち、ちょっと」ドサ貫は立ちどまって「それは、あんた、――倉橋さん、ご存じなんで? それはミーちゃんの妹で……」
「妹?」私も立ちどまって「妹だって、――すると死んだ玲ちゃんというのは……」
「玲ちゃんが真中、マーちゃんは一番下の妹」
「君、それ、ほんとかね」
「うそ言ってどうするんです」
「だって、なんぼなんでも美佐子君の妹とは……。美佐子君は今まで何もそんなことを……。僕が小柳雅子のファンだってことを美佐子君は知っているはずだ。だのに、そうしたことをミーちゃんは何も……」
「言わない。……」
「おくびにも出さないんだ」
「…………」
「君、かついでるわけじゃあるまいね」
「そんな……」
「――驚いた」私は
「――おや」
私もそっちを見て、おやと眼を張って、
「あれは、サーちゃんじゃないかな」
「――そうだ。サーちゃんはマーちゃんと同じK劇場だから、あんた知ってるんですね」
お坊さんの住いの
「凶が出たんだな」
ドサ貫はひとりごとのようにつぶやいて。「あの子は、――K劇場に
「ふんふん」(本来なら、へーえ? と言うところだ。)
「瓶口というのはいろいろと女がいるから……」
「ふんふん」(本来なら、ほう、とでも言うところだ。)
サーちゃんがおみくじをひいたりするのは、瓶口との間がまずくなったせいかもしれないとドサ貫は言うのだったが、私はそんなことより小柳雅子が美佐子の妹だという初めて知らされたうそのような事実で頭はいっぱいだった。ふんふんというのも上の空であった。うそのような、――さよう、私は下手な小説書きだが、それでもこんなうそのような筋はとても書けない。しかるに現実は堂々と書いているのだ。小説家がバカバカしくてそらぞらしくてあさましくて書けないようなことを平然と展開してみせる現実の図太さ、そのヌケヌケとした現実の恐ろしさに、私の
被官稲荷の前に行った時は、私たちに気づかぬサーちゃんは浅草神社の方へ急ぎ足で去っていて、私もドサ貫もあえて呼びとめようとはしなかった。社前には新門辰五郎が奉献したという、柱に新門と刻んである石の
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(浅草の踊り子たちはフィナーレをふいなあれと言う。)
浅草を愛する会といったものをやろうという話が、私と朝野光男の間で交されたのは、小柳雅子がK劇場の慰問団に加わって
一月中旬のある朝、朝といっても昼近くだが、その頃はめったに泊らないアパートで寝ているところを、――そう言えば私は浅草へもあまり来なくなっていたが、朝野の来訪で起された。
頭をあげると、頭がキリキリと痛んだ。「こりゃ
日頃意気
「宿酔は迎え酒をするといいですな」
朝野は何かうれしそうに黒い歯を
誘われるままに、いつかドサ貫が出てきた合羽橋通りのどじょう屋の「飯田」へ行った。
「
と、しきりに朝野がすすめるので、私は別に反対すべき理由もないゆえ、その言葉に従うと、
「では、僕は
と、朝野は異をたてて、おいおいと女中を呼び、
「ズー鍋一丁、カワ鍋一丁」
「はアい。ズー鍋一丁、カワ鍋一丁!」と女中が板場に言った。
「それからお銚子だ」
「はアい。それからお銚子一本」
朝野の言葉と女中の言葉とは、女中がお銚子を一本と限定した、それが違うだけだった。
客がいっぱい立て混んでいる店の内部は、土間と畳と半分ずつに分れていて、土間に腰掛けた客たちはほとんどすべてが味噌汁でめしを食っている。どじょう汁、鯨汁、しじみ汁、あおみ汁(野菜のこと)、豆腐汁、ねぎ汁、いずれも五銭で、めしが十銭、十五銭也でめしが食える。十五銭という安さに少しも卑下せずに食える、――楽しんで食っているその雰囲気、こうした浅草の空気は、私の心をなごやかにさせるのである。私は畳に上って、ズーとかカワとかいうようなややこしいものを食ったりしないで、土間の諸君にまじってどじょう汁を食いたかった。
朝野はふところから五十枚ばかりの往復
「じゃ、これを出しますからね」
端書は劇場の方でもってくれ、文芸部のガリ版で刷ってくれたのだそうだが、インキが濃すぎて、汚かった。そのどぎつさは、浅草の小屋のどぎつい芸風をちょっと
「なんにもしないで、どうもすみません」
私は気が進まなかったのだ。ドサ貫から意外な話を聞かされて以来、私はK劇場から、そしてまた美佐子と会うかも知れない「惚太郎」からも遠のいていた。
ちんまりと炭火を盛った小さな鍋下が先に来た。朝野はさっそくそれに手をかざして、
「おい、お銚子は」
「はい、ただいま」
酒が来ると、さあさあと
「今朝は不愉快なことがあって、早く起きちまったですよ。――酒でも飲まんことには……」
銚子を下へ置かないのだ。見たところ寒天のようなものを盛った鯨鍋が運ばれた。
「朝、便所に立ったら郵便が来てて原稿が送り返されているんですな。いや毎度のことで慣れてはいるんだが、その原稿は自信があったんで、ちょっと参ったですな。寝床に戻ったが、もう眠られない。――おい、ズー、どうした」
「はい、ただいま」
「ユーモア小説なんですがね。こういう話なんで。名前はあえて秘するが、ある小屋の踊り子さんの家へ、ちょっと用事があって行ったんですよ。僕が、――寒い晩だった。実話なんですよ。行くと、
「ふうむ」
ズー鍋が来た。生きた
「面白いけど、書きにくくてね、そのネタは」
そう言いながら朝野は、火鉢の
「書きにくいでしょうな」
「それを、やっと書いたんです。さっきは自信があると言ったが、自信より苦心ですな。とても苦心しただけに突っ返されると、くやしくて……」
鍋の鯰が突如、
「ちっともおもしろくない、ユーモア小説じゃないと言うんですよ。編集の奴に、その味はわからんのですな」
朝野はもう銚子を
「僕が払うですよ、僕が」
朝野はまるで喧嘩腰だった。そこを出て、国際通りに行くと、
「K劇場へちょっと行ってみるですかな」
私は迎え酒ですっかり真赤になった顔を撫でつつ、
「白昼酔っ払って行くのは、どんなものですかね」
「かまわんじゃないですか」
「しかし……」
向い側に渡って、漫才小屋のT館の方へ足を進めた。K劇場の楽屋口はその裏手にある。
「行ってみようじゃないですか」
「さあ……」
ためらう私の眼に、向うから洋服に
「やあ」と、私は口に出して言って、末弘の傍に行って、
「どうですか」
そう言ってT館の看板に眼をやると「従軍漫才」江戸の助さん、格さん、「浪曲漫才」立花家小円、吉原家〆八、「和洋合奏漫才」浮世界銀猫、出羽三などと書いてあるなかに、小さく
ユーモラス 亀家ぽんたん
漫才兎 家ひょうたん
漫才
とあるのが、私の酔眼にはそこだけ特に大きく映った。
「いやどうも、ひょうたんぼっくりこですわ」
何の意味かわからないが、おそらく末弘自身もわからないのかもしれないが、そう言って後頭部に手をやってペチャンと叩いて笑ったので、私も同じように口を開けて声のない笑いを笑った。兎家ひょうたんというのは、他ならぬ末弘の芸名なのである。とうとう漫才の芸人になったのである。亀家ぽんたんが、一月三十円のみいりではとてもやりきれないので、場末の小屋で稼ごうと兄貴分の鶴家あんぽんに言うと、格が下るから駄目だと「兄貴」が承知しないで、困っているという話は前に書いたが、そんなことが原因してか、やがて二人は「夫婦別れ」をしてしまった。ちょうど、末弘が私の言葉で言えば「着々、漫才に転向中」のときで、そして相棒に選んだドサ貫が転向を
「どうですか」
私は改めて言った。「どうですか、舞台の方は」
「や、まあ、おかげさまで」
末弘は、いや兎家ひょうたんは早くも漫才屋の仕事を身につけた感じの滑稽な
「なッかなッかムツカシイあるですわ。そうそう、倉橋さん、こういうネタはどうですか。まあ聞いて下さい」
軽く手を打って、
「飛行機をですな、一台献納しようと思って一生懸命貯金している。こう出るんですな。早く百円にならないかと一生懸命になっている。百円? と、ここで相棒が、――百円で飛行機を一台買えるつもりですか。買えないですか。冗談言っちゃいけません。そんなに高いものですか。そりゃ、あんた、飛行機一台買うには五百円くらいなけりゃ……」
「ハッハッハ」私が笑うと、
「おかしいでしょう?」彼は怒ったような顔で「おかしいわけなんだが、これがドッとこない。笑ってくんねえンで」
「ふうむ」
「五百円でほんとに飛行機が買えるとでも、思ってんのかもしれないが。――いやなかなか難しいですわ」
泣き笑いのような顔をした。私は朝野の話と一脈相通ずるもののあるのを感じた。話で聞いたぶんにはおもしろいネタだが、客の前に出すとなると、何かつまらないのかもしれない。
そこへ、朝野の話に出てくる婆さんというのはかくやと思われる、だがこれはそう婆さんという
「あれは天中軒トコトンさんのおかみさんで……」
「ほう」
「ここの
「地方?」意味を聞いたのだが、
「ええ」とうなずいて「この間、なったばかしで……」
「トコトンさんは健在?」
「相変らずですわ」
「相変らず紙袋貼り……」
「それからチョコチョコ走り……」
――朝野はもとよく「惚太郎」に行っていたというから末弘を知っているはずだが、知らん顔をして通り過ぎて行き、末弘も知っているはずだが、私に朝野のことは何も言わなかった。
結局K劇場へ行かないで、私たちはまっすぐ田原町の方へ行き、広小路に出た。東西に走っているその広小路通りは、公園寄りの南向きの片側にだけ
「朝野君、知ってるでしょう。お女郎さん相手の、
私は朝野に語っていた。酔いが、頭に浮んだことをすぐ口に出させたのだ。そしてまた酔いのため幾分感傷的な語調である。
「見ると、お女郎さんがその車を囲んで何か買っているんですね。何を買うのかしらと、僕は近づいてみた。近づいて見ると、――まだ化粧をしてないので、夜見ると綺麗なお女郎さんたちも黄色くむくんだ顔をしている。あの顔の色は、実にいやな色ですね。日に当らないせいか、それとも、……。いや。そんなことはどうでもいい。お女郎さんたちは車を囲みながら、日向ぼっこをしているんですよ。高いわね、まけないなどと雑貨屋のおじさんに言ったりして、なかなか買わない。察するところ、雑貨屋が来たというので、それを口実にして陽に当るために外に出たようで……。でも、そのうち一人が安い
「書けるですな。その風景は」
私は、うんとうなずいて、
「吉原といえば、K劇場の
朝野は、うんとうなずいて、私の顔をマジマジとみつめる。
「なんですか」
「いや」朝野はソッポを向いて「倉橋君は、K劇場へ行くのを、さっきいやがったが……。もともと行こうと言うと、いやだとは言っていたが……」これまではつぶやくように言って「――もとと今と、どうなんですか、同じ心境からなんですか。それとも……」
これは酒臭い息を私に吹きかけながら言った。
「心境?」なんのことかわからない。
「今日いやだと言ったのと、もといやだと言ったのと同じ気持ですか」
舌を
「瓶口と小柳雅子の噂を、倉橋君は……?」
言ってしまった以上、知っているのか? もないもんだ、はっきり言ってしまえ、そんな顔を朝野は私に近づけて、
「小柳雅子は瓶口にザギられたという噂ですな」
私の知らない陰語ではあったが、意味はピンとくる。ビシリと私の心を打った。
「ゴリガンで願っちゃったという話だが、――小柳雅子もひでえカマトトなんですな。
ゴリガンというのは、……という意味の陰語である。これは私は聞き知っていた。
――いつか楽屋へ行った時、瓶口は私が小柳雅子に夢中なことを知っていて、「会は、小柳マーちゃんが帰ってからでしょうね」などと言ったものだが、その瓶口はその時分はもう小柳雅子をねらっていたのだ。
ああ、私の小柳雅子よ。(人よ、私を笑ってくれ!)私の小柳雅子はついに私から失われてしまった。
いや、待て、私は自分が雅子をザギ……こんな
私は、いつかこうした日のあることを知っていなかったろうか。可哀そうな私の慕情よ。
「会はまあ、しかしやろうじゃないですか、ね」
朝野が言うのに、私はただうなずいていた。私は私のうちに秘められた可憐な小柳雅子の影像を、――そうして消えるのから守ろうとでもするようにじっとみつめていた。
小柳雅子よ。
だが、私のうちの小柳雅子は、さよういつか私が見た遠くの空の雁のように、見るみるすげなく遠ざかって行くのだった。消えうせて行くのだった。でも私のうちの慕情はおかしなことに、これだけは、あたかも鳥の去ったあとの巣のように、消えやらず、残っていた。
……………………
*
浅草の広小路は、吉原と同じように昼と夜とではまるで表情を異にするのである。夜になると、――昼間、のどかな陽が射していたその片側に、食いものの屋台がズラリと立ち並び、多くは暖かい食いものを売るその暖簾のなかには、どれもいっぱい人がつまり、顔は隠されるが下は丸見えのその足もとには、どこから現われるのか、眼を
「どう、一緒にカメチャボを食わない」
とドサ貫を誘ったのであった。
小屋の連中がひいきにしている「田中屋」という牛めし屋の暖簾をくぐって、ドサ貫がマスクを取ったのを見て、私はこれはと驚いた。光線の加減かとも思ったが、それにしてもひどいやつれようで、まるで死人のような顔である。ドサ貫はその顔を隠すように、手を頬に当てて、(その手が女のみたいに白く細いためか、ちょっと女形のしなのようで、妙な色っぽさがあった。)
「ミーちゃんにお会いで?」
「――いや」
間を置いて、
「マーちゃんにお会いですか」
「――いや」
屋台にはジャンパーやもじり客がつまっていた。その忙しい
「
「ほう」
顔は鍋から立ち昇る熱気で蒸されながら、足は寒い風にさらされて、妙な工合である。
「あたしは代りに、郷里へ帰ろうかとおもってます」
「代りに?」
ドサ貫は横を向いていやな
「ミーちゃんは花屋敷に入りました」
「花屋敷?」
「花屋敷が今度復活するそうで。なんでも
「それはよかった」
「でもね、見世物小屋の踊り子ではね、どんなもんですかね。僕もミーちゃんから誘われたが、断わりました」
へい、お待ちどおさまと、玉葱に肉がチラホラ混っている牛めしが前に置かれた。ドサ貫は箸を割ると、せっかちにシャキシャキと箸をこすり合わせ、どうやらひどく空腹だったらしい様子をあらわにしつつ
外で咳をとめて、戻ってくるのだろうと思った私は、気にしながらも、ひとりで牛めしを食っていた。何分いやな咳なので、当人がいなくなったあとでも、暖簾のなかの客たちは気持悪そうな眼をジロジロとこっちに向け、その眼を私ひとりが引き受けねばならない。つらい居たたまらない気持のところへ、ドサ貫がなかなか戻ってこないので、私は「ちょっと」とおやじに言って、外に出てみた。ドサ貫は、車道の、そこは駐車場になっているので自動車が並んでいる、その自動車と屋台の間の暗い陰にじっとしゃがみこんでいた。もう咳はしていないが、切なそうに肩で息をしている。
「どうした」
私の声にハッとしたように、ドサ貫は顔を挙げたが、例の女持ちみたいな人絹のマフラで口を
「大丈夫?」肩に手をかけようとした時、私はドサ貫の前の
「……!」
私は、見てはならないものを見たような想いで、すぐ眼をそらせた。だからほんとうに血だったかどうか、それはたしかではないが、――私がドサ貫の肩に手をやろうとすると、ドサ貫はその手を避けようとするみたいに、よろよろと立ち上った。そのため、溝に再び眼をやれなかったところもある。ドサ貫は立ち上ると、マフラの下から、
「失礼します」
と言った。聞きとれないくらいのくぐもり声だったが、今度ははっきり、
「では、倉橋さん、お達者で……」
そう言うと、するりと自動車の間を縫って去って行こうとする。まるで影のようなその後ろ姿に、
「待ちたまえ。一緒に行こう。勘定をちょっと払ってくるから」
私は呼びとめておいて、屋台に走り、大急ぎで金を払って戻ってみたが、――すでにドサ貫の姿はどこにも見えなかった。
――私はかつてドサ貫と美佐子の間を邪恋と言った。ドサ貫はたしかに惚れていたらしい。だが美佐子の方は何か弱々しいドサ貫を
*
浅草の会は、国際通りの「三州屋」が会場であった。
その日はK劇場の初日に当っていて、初日は稽古がないから、ショウの連中は舞台がすむと普通の日と違ってあとは遊べる。それで会にも出られるというので、その日が特に選ばれたのだ。
私はその日の前ずっと浅草に行かず、その日も定刻に大森の家から出かけて行くと、朝野が、「三州屋」の前に立っていて、私を見かけるとパッと駆けて来て、
「倉橋君、大変だ」
今や遅しと私を待っていたらしく、いきなり
「滅茶苦茶だよ、倉橋君」大分酒が入っているらしい様子だ。
「どうしたんですか」私が
「どうしたも、こうしたも、――困るなア、こういう時にはちゃんと浅草にいてくれなくちゃ」
「どうもすみません。仕事をしてたもんで」
「仕事を? 仕事はアパートでするんじゃないんですか。アパートは仕事場に借りたんじゃないんですか。何か他の目的で借りたんですか」
ガミガミ言うのに私はむっとして、何も言わなかった。風の工合からか、道をへだてた真向うのT館から、賑やかなおはやしの音がかすかながら流れてくる。賑やかな、――でも何か佗しい音であった。末弘春吉はどうしているだろう。兎家ひょうたんなどという奇妙な名前の漫才芸人になったはいいが、お客を笑わせようとして、笑わすことができないで、自分ひとりでヒェッヘッヘッと笑っているのではないか。
「ねえ、どうしたもんですかね」
と、朝野は急にしょげた声で言った。「K劇場の主だった連中が、京都のS興行にごそりと引ッこ抜かれて、――K劇場では会どころの騒ぎじゃないんで」
「えッ?」と、私もたちまちあわてた。
朝野は私のあわてたさまを見て、元気を取り戻して、
「誰もいやしないんだ。みんな、京都にすッ飛んじまって。誰もいないんじゃ、こっちも会なぞできやしない」
「誰もいない?」
「残っているのは
「ふーん」私はただ
「つい
「瓶口……」
「小柳雅子ももちろん一緒に京都へ行っちまったですよ」
吐き出すように言う。
「サーちゃんは?」
「サーちゃんは残った」
「ふうん」
私たちはともかく、「三州屋」の二階に上った。低い小さなテーブルがずらりと並んだ部屋の隅に、私の親しい文筆の友人が二人ぼそッと坐っているきりだった。
「どうしたもんかね。K劇場からは誰も来ないんですかね」
私は救いを求めるような声で朝野に言うと、
「誰も来んですよ。そんなどころじゃないと、さっき宣伝部の奴に
冷たく突っ放すように言う。
「どうしよう」
発起人は私と朝野、それに私の友人のTの名を借りて三人の名前になっていた。案内状を送った人たちがみんな集まってきたら、どう
定刻をすでに一時間近く過ぎていた。だが来会者はまだ数人だった。これでもうおしまいであってくれと、私は心の中で手を合わせながら、
「わけを言って、はじめようじゃないですか」
と、朝野に言った。早く酒を呑みたかった。
「もう来ないですよ」来てくれるなという願いをこめて言った。
「これじゃ、しかし困るな」
と、朝野は骨張った肩をすくめた。
「三州屋には三十人前後と言ってあるんだが。もう来ないですかな。――倉橋君は案外顔がきかんのですな」
「……?」
「倉橋君の顔でぞくぞく集まってくるかと思っていた」
朝野も私同様、来会者の少ないのにほっとしているはずなのに、こんなことを言う。いやほっとしたので、憎まれ口を叩く元気も出たのだろう。私も、――私の意気消沈も、朝野のこの一撃でついに底をついた感じで、逆に不思議な元気が出てきた。その場かぎりの元気ではない。この半年ばかりずっと私が落ち込んでいた低迷状態からようやく浮き上ることができそうな、そんなありがたい頼もしいしんの感じられる元気であった。
「こんなざまじゃ、K劇場の連中が大挙して来た場合、それはそれでまた恥をかくところでしたな」
この朝野の言葉はもっともだった。
「では、はじめますかな」
朝野は女中に言うため立ちかけて、
「――実は今日、合羽橋通りで但馬に会ったですよ。もしかすると、あいつ、この会に来やしないかと思ったが……」
「ほう、但馬滋がね」
「彼のかみさんが、彼を東京へ呼び寄せたらしい」
「呼び寄せた?」
「但馬がそう言っていた」
朝野は私の顔をマジマジとみつめて、
「但馬に救いを求めたらしいですな。僕はちっとも知らなかったが、倉橋君は彼のかみさんにも触手を
にもに力を入れて、
「姉妹二人に同時に触手を延ばすとは、いや達者なもんですな」
「朝野君」
「言葉が過ぎたですかな。――嶺美佐子は、しかし倉橋君に、――嶺美佐子の方からどうやら惚れたらしいですね」
「……………」
「それで自分でこわくなって、但馬をあわてて呼んだらしい」
「但馬君がそんなことを君に……」
「そうとは言わないが」
「でもそんなようなことを……?」
せき込んで言う私に、朝野はニヤニヤとして、
「いや、僕の創作ですよ。僕だって小説を書いたことがあるんで、――但馬が、呼ばれて上京したという話を聞いて、まあ、創作的想像をしたんだが」
唇をベロリとなめて、
「でも、倉橋君はお酉さまの晩に吉原でもって、嶺美佐子と大分シンネコだったというじゃないですか」
「……」
――美佐子が吉原で、私にちょっと話があると言った、その話というのは、朝野の言葉を借りれば、妹の小柳雅子に触手を延ばすなと私をきめつけようとしたのだ。そのための「シンネコ」的風景だったのだ。妹の雅子に私が夢中だということを知らない前、すでに、市川玲子にからむ妙な因縁から私の(美佐子の言葉を借りれば)「猟奇趣味」をきめつけた美佐子である。その「猟奇趣味」が妹の雅子に向けられていると知って美佐子は妹を守るため、私をきめつけようとしたのだろう、ドサ貫をけしかけたのも、妹を守ろうがためであろう、そう私は解していたが……。そしてそれは事実であったのだが。
ではなぜ美佐子はお酉さまの晩に、自分から私に言おうとしなかったのだろう、それが私にはわからなかった。(美佐子が私に惚れていたためだろうか。)朝野の言葉を耳にして、美佐子のことを朝野が自分の創作だと言うだけにかえって創作的うそでなくて事実のように感じられて、ふとそう思うのだったが、
(――まさか)
私は激しく否定した。美佐子が私に惚れたなどとは、――考えられなかった、というより、考えたくなかった。その時、
「――ちわ」
と言って、思いがけない大屋五郎がひょっこり入って来た。
「やあ、倉さん」
「パッ!」例の手つきである。朝野はびっくりして飛びのいた。
「一丁上り!」そう言うと、パッと開いた左手を機械人形のように下にギクリと
「――イケませんね」
部屋のものはどッと笑った。それまでは、お通夜のような重苦しい空気が部屋に
「ゴロちゃん!」
「ゴロちゃんと呼べば、倉さんと答える」
ゴロちゃんはとっくりズボンの足をからませるような歩き方で私の側へ来て「――倉さんに会いたくてねエ」
「ありがとう」
「今日、ここで会があると聞いて、ここへ来ればおたくに会えると思って……」
気違いじみたゴロちゃんだが、そんなことを言うところは気がたしかな感じだ。だがすぐ妙な声で、
「お酒頂……」これは鮎子の口調だ。ゴロちゃんもそれで思いついたのか、
「上海へ飛び、鮎ちゃんは。――驚き」
「また上海へ行った?」
「全くの驚き。チクオンキ」
そんなゴロちゃんを朝野は敷居に立ったまま苦り切った顔で見おろしていた。
折から愛国行進曲を奏するラッパの音が聞えてきた。あまり上手でない、それだけかえって厳粛感を与える、その聞きなれたラッパの音は、応召者を先頭に立てて町内の人たちが神社へ参拝に行く、その行列の姿を
やがて私は、この奇妙な会の開始を告げるべく、ひょろひょろと立ち上った。