「世の中には變つた野郎があるものですね、親分」
ガラツ八の八五郎は、又何やら變つた噂を持つて來た樣子です。
「大抵の人間は、自分は世間並より變つた人間だと思つて居るよ」
錢形平次は、相變らず、はなつから茶化してかゝります。
結構な冬日向、何が無くとも豆ねぢに出がらしの番茶、お靜は目立たぬやう、そつと滑らせてお勝手に引下がると、晝下がりの陽を膝に這はせて、八五郎の話は面白く彈むのです。
「深川入船町の鍵屋源兵衞――親分も御存じでせうね」
「大層な
錢形平次もそれはよく知つて居ります。後の世の奈良茂、紀文と共に、百萬兩の富を積んだといふ、江戸暴富傳中の一人です。
「その
「親孝行でもするのか」
「飛んでもない、金持の子に孝行息子なんかあるものですか、何しろ甘やかし放題に育てたのが、年頃になつて遊びを覺えたからたまりませんよ、辰巳藝者を總嘗めにして、此節は吉原まで荒し廻る」
「達者だな、名は何んといふんだ」
「万兩さんで通つてますよ、万兩
「話はそれつ切りか、金持の馬鹿息子が、馬鹿遊びをしたところで、俺は可笑しくも面白くもないよ」
平次は相變らず氣の乘らない樣子です。
「それが一と通りの女遊びぢや無いんで、係り合つた女といふ女、
「一人の客に名前を彫られちや、商賣人は上つたりだらう」
「そこが、それ金の有難味ですよ。
「熱い商賣だな」
「あの世界には、女に小指を切らせる虐たらしい男だつてあるんだから、
「その万兩息子は、さぞ良い男だらうな」
「ウ、フ、お目にかけ度い位、
「手數のかゝつた色男だな」
「眉毛が薄くて、有るか無きかのお團子つ鼻で、
「まるで五色息子だ」
「その上五尺八寸といふのつぽで、足袋は十三文半甲高、鼻へ拔ける甘酢つぱい聲、大變な息子ですよ、――尤も力もあつて、腕も出來る」
「そんなのは友達にしたくないな」
「ところが費ひ切れないほど金があるから、何處へ行つても
「たまらねえな」
「親分だつてさう思ふでせう、大抵なら見て見ぬ振りで、行儀の惡い野良犬だと思つて居れば濟むことですが、茲に一つ――」
「茲に一つと膝を立て直したね、勘辨ならねえことでもあつたのか」
「ありましたよ、女道樂が嵩じて變な野郎だけでは濟まないことになりましたよ」
「何をやらかしたんだ」
「心中ですよ」
「心中? 万兩息子が心中をしたといふのか?」
平次も膽をつぶしました。心中などといふものは、金持で薄情で、この世の榮華に未練のある人間のすることゝは思はれなかつたのです。
「ところが、やらかしたからお話になるでせう。万兩さんの半次郎が思ふには、女といふ女は、皆んなチヤホヤしてくれるが、どうも心の中は當てにならない。私に惚れてゐるのではなくて、バラ撒く金に惚れて居るとしたら、我慢がならないことだ――と」
「其處まで氣がつけば大したものだ」
「それを試して見るには、心中話を持ちかける外は無い。大變なことを考へたもので、差當り人身
「災難だな」
「こいつは良い女だ。少しピンシヤンするけれど、色白の素顏が自慢で、浮氣つぽいが、何んとも言へない情愛がある、――そのお小夜が、人もあらうに、万兩さんに心中の相談を持ちかけられた」
「斷わつたことだらうな」
「そんな馬鹿なこと、何が不足で死ぬ氣なんか起すんです、と訊くと、万兩さんの言ふことには――實は親の金を費ひ込んで、――などと世間並のわけを話したが、お小夜はまるつ切り本當にしない」
「當り前だ」
「――で本當の事を言ふが、氣に染まぬ嫁を貰へと、親の無理を斷わり兼ねて――と言ふと、その娘を貰ひなさいよ、願つたり叶つたりぢやありませんか、とお小夜はこれも本當にしない」
「で?」
「ところが、お小夜の方にも、軍師がついて居ましたよ、やくざの
「ありさうなことだな」
八五郎の話の馬鹿々々しくはあるが、常識を飛躍した面白さに、平次もツイ/\膝をすゝめました。
「さて、五百兩といふ金をせしめると、お小夜はお袋も借金もありやしません、早速万兩さんと心中の仕度をした。
「
「お約束は兩國か永代だが、それぢや橋から水肌まで高過ぎて危ないからと、飛込む場所は元柳橋と決めた、ところで心中にはお誂への出語りが無くちやと、出入りの太夫に言ひ含めて、藥研堀の埋立地に出張らせ、新内を一とくさり」
「冗談ぢや無いぜ、馬鹿々々しい。此寒空に河へ飛込んだのか」
「大丈夫、それは三月も前のことですよ。まだ寒いほどの時ではなく、その上米澤町のお茶屋に風呂が立つて居て、船へ
「呆れたものだな」
「全く呆れましたよ。新内の合の手で、二人欄干の前に押し並び、南無阿彌陀佛か何んかで、ドボンと威勢よく飛込んだが――」
「まだ話があるのか」
「話はこれからが面白くなるんで、橋の下に船を入れて待ち構へた船頭が、すぐ万兩息子の半次郎を引あげましたが、どうしたことか、肝腎の心中相手のお小夜が見付からない」
「――」
「船の中にはこの心中狂言の作者猪之松と、船頭の爲五郎、救ひあげられた若旦那の半次郎の三人だけ、埋立地の出語りは、何んの役にも立たず、
「藝子が一人、元柳橋から身投げをして死んだと聽いたやうに思ふが、それはその心中の片割れだつたのか」
三月前、秋の初めの頃の話、平次も漸くその事件を思ひ出しました。
「これが表沙汰になれば、万兩息子の半次郎は、
「――」
それは江戸の法規で、心中の流行に手を燒いた幕府は、心中
「ところが、鍵屋の伜半次郎が、日本橋に曝し物になつたとも、非人にされたとも聽かなかつたでせう――皆んな金ですよ、鍵屋の主人源兵衞が、千兩箱を持出して、思ふ存分の金をバラ撒き、お小夜が一人水死したといふことで
「それが本當なら隨分氣の毒なことだな。ところで、話はそれつ切りか」
「癪にさはるがそれつ切りですよ、尤も、お小夜が万兩さんから貰つた筈の五百兩は、それつ切り見當らず、本當に貰つたか貰はなかつたか、それとも、人に盜られたか、今では見當もつきません。五百兩は大金だが、死んだお小夜が六道錢の代りにあの世へ持つていつたかも知れませんね」
「馬鹿なことを」
八五郎の話に、平次は苦笑ひしましたが、事件はこれでは濟まなかつたのです。
心中崩れの詮索は、平次も諦らめる外は無かつたのです。
それから幾日か經ちました。薄寒い日が續いた揚句、妙に
「親分、大變ツ」
と、八五郎の大變が飛込んで來る陽氣だつたのです。
「何んだ八、相變らずそゝつかしいぜ。いきなりドブ板を二枚
「それどころぢやありませんよ。又良い女の子が死んでしまつたんで」
「良い女の子が死ぬ度毎に驚かされた日にや、
「良い女の子にもよるんで、こいつは親分だつて驚きますぜ」
「誰だい」
「永代寺門前山本町の美乃家のお吉――さう言つた丈けぢや、辰巳にも岡場所にも縁の無ささうな親分は御存じないでせうが、近頃深川一番の美人で、三月前に死んだ、万兩息子の心中の相手、お小夜の妹分と聽いたら、何んか斯う、唯事でないやうな氣がするでせう」
「大層な
「からかつちやいけません、――
「?」
「お吉は十九になつたばかり、本當にポチヤポチヤした可愛らしい娘でしたよ、踊り子には違ひありませんが、あんなうぶで綺麗な娘は、滅多にあるわけはありません。それが
「で、身體に傷も何んにも無いのか」
「毛程の傷もありません。胸を
「俺へ喰つてかゝつても仕樣があるまい」
「だから、ちよいと行つて見てやつて下さいよ。万兩息子の半次郎もさう言ふのです、錢形の親分にでも調べて貰つて、人手にかゝつて殺されたものなら敵を討つてやり度いし、頓死とわかつたら?」
「頓死なら
「飛んでも無い、あんな娘の命を召上げた、閻魔大王を取つ締めて――」
斯う言つた八五郎です。
万兩息子の妾が、二人續けて死ぬ、――それも綺麗な姉妹であつたと聽くと、平次も捨て置き難い氣持になりました。何んか、金にあかして美人を
平次と八五郎は直ぐさま、深川入船町に向ひました。昨夜の生暖かさが後を引いて、櫻もほころびさうな
鍵屋といふのは、一代に暴富を積んだ材木屋で、江戸の建築の半分は引受けて居ると言はれ、その金に物を言はせる横暴振りも、
平次と八五郎が鍵屋の
「錢形の親分ださうで、いやもう、飛んだ人騷がせをして濟みません、お吉と申す奉公人が、病死した位のことで」
と、揉手をし乍ら恐縮して居るのです。
「ちよいと現場を見せて頂きます、若旦那の半次郎さんも、それが望みだ相で」
「それはもう、親分方に見て戴いて、どうして斯んなことになつたか、後々のためにも、はつきりして置くに越したことは御座いません、これよ、九八郎どん、親分方を離屋へ御案内申すがよい」
源兵衞の聲に應じて、
「へエ、へエ、どうぞ此方へ」
と飛んで來たのは、主人と同年輩の五十五六、主人の源兵衞が、運動不足で、肥り過ぎた身體と、大町人らしい
お勝手口を離れて、土藏の間を縫ひ乍ら、
「そのお吉とやらを、どうして家へ入れなかつたので?」
と平次が聽くと、
「へエ、お吉さんは踊り子で、金がかゝつて居るにしても、奉公人でございます。家へ入れると、嫁見たいになりますから、これから先、若旦那の縁談にも差支へます」
「すると、お吉といふものがあつても、若旦那は別に嫁を貰ふ氣だつたのか」
「そんな事になりませう、現に隣町の和泉屋さんのお孃さん、お照さんと言ふ方と、春になれば祝言することになつて居ります」
「フン、そんな事があつたのか」
平次も妙な氣持になりました。『妾手掛は男の働き』と言はれた時代でも、親がかりの若い男が嫁を貰ふ前から、妾を抱へて置くといふのは、一寸想像も出來ない途方もなさだつたのです。
「それにしても、母屋から遠過ぎるやうだが」
八五郎はそれが不思議でならないやうでした。
「御尤もですが、元御隱居樣が住んで居られた離屋を、その儘使つたのと、若旦那樣が、これがお好きだ相で」
番頭九八郎の皺の中に落
離屋は六疊と四疊半とそれにお勝手のついたさゝやかなものですが、材木屋の鍵屋の造らせたものだけに、それはなか/\數寄を凝らしたものでした。鍵屋全部の敷地にめぐらした板塀の中に
「錢形の親分、飛んだ御苦勞で」
迎へてくれたのは、八五郎とはもう、朝のうちに一度逢つて居る、若旦那の半次郎――謂ふところの万兩さんでした。八五郎が形容したやうに、冬瓜にどうとかした樣な、非凡の醜男でもあります。
甘やかされ、おだてられて育つた一種の鷹揚さはありますが、小才がきいて、諸藝に一と通りは通じて、人を人とも思はない始末の惡さがあり、決して感じの良い男ではありません。フト氣がつくと、兩手に引つ掻きでも拵へて居るらしく、二三ヶ所に膏藥を貼つて居ります。
案内されて六疊に入ると、お吉の死骸は、床の上にそのまゝ、美しく冷たく横たはり、葬ひの事を訊くと、
「奉公人のことだから、いくら金のかゝつた身體でも、身内のものに引取らせる外はありません」
万兩さんの半次郎は、はつきりしたことを言ふのです。
平次は一應お
打見たところ、死顏には殆んど苦惱の
十九になつたばかり、お小夜の妹と言つても肉身でなく、恐らく親らしい親も無かつたでせう。生きて居るうちの華やかさに比べて、踊り子の死は、哀れ深いものさへありました。一と通り調べが終ると、
「飛んだお邪魔を」
と平次は外へ出ましたが、フト小戻りして、
「若旦那、ちよいとお伺ひしますが、死んだお吉は、此離屋に一人で住んでゐても、怖がるやうなことは無かつたのですか」
と妙なことを訊くのです。
「そんなことはありませんよ。板塀にはあの通り忍び返しが打つてあるし、土藏と土藏の間で、何處からも來る道がありません」
「――」
「それに、晝は多勢の奉公人も居ることだし、一つ手を
「――」
「親分には御存じの無いことでせうが、戀の通ひ
お吉の死骸を前にして、ヒ、ヒ、ヒと笑ふ万兩さんです。
八五郎はそれを聽くと、プイと外へ飛出しました。この万兩息子の頬桁を、思ひ切り毆つてやり度い心持で一パイだつたでせう。
平次は蛤町の久七の家に一と休みして、その間八五郎にいろ/\の噂を聽き出させ、平次自身も、土地つ子の久七から、鍵屋とその伜をめぐる、數々の話を引出しました。
「あの萬兩息子の半次郎は、芝居氣で一パイさ。本人は一とかどの
中年者の久七は、いかにも苦々しさうですが、それも露骨に非難すると、貧乏人のひがみらしく聞えるので、日頃は見て見ぬ振りをたしなみと心得て居たのでせう。
「そのお吉に、親しい男でも無かつたのか」
「十九であのきりやうで、踊り子だもの、親しい男が無かつたら片輪だらう。それも遠くにでも居ることか、あの鍵屋の手代で、伊與之助といふ若い男、――夫婦約束までした踊り子のお吉を主人の伜に攫はれて、蔭で泣いて居るといふ噂だよ」
「その伊與之助とかに、逢つて見たいが」
「宜いとも、わけも無いことだよ。今頃は材木置場の方に居る筈だ、人をやつて見よう」
久七はすぐ子分の一人を走らせました。間もなくその子分が、厚い帳面を持つて、耳に筆を挾んで、氣ぜはしさうにして居る、若い男を一人つれて來ました。
「私に御用だ相で」
小腰を
「仕事のあるのを、呼出して濟まねえが、錢形の親分が、少し訊き度いことがあると言ふのだよ」
久七は取なし顏に平次を引合せるのです。
「へエ、へエ、どんな事で」
「お前は、大層お吉と
平次はズバリとやりました。
「飛んでもない、親分さん。あの方は私の主人の思ひもので、私など、――尤もお吉さんが踊り子だつたころ、二三度逢つたことはありますが、近頃はもう」
伊與之助はひどく恐れ入るのです。
「まア宜い、戀仲のせんさくをするわけぢや無い。死んだお吉のために、お前の知つてるだけを、皆んな話して貰ひ度いのだ。隱し立てなんかすると、お吉は可哀さうに浮ばれまいぜ」
「すると、親分」
「お吉が死んだのはどうといふわけぢやないが、お吉は不斷なんか心配して居たことは無かつたのか」
「さア、こんな暮しを、ひどく
伊與之助は、たまり兼ねたやうに斯う言ふのです。たつた一人、土藏の間の離屋に圍はれた美しい囚人に、惱みが無かつたとすれば、それこそ、どうかして居るわけです。
「それはどういふわけだ」
「さア、よくはわかりませんが、若旦那の可愛がりやうは、有難いけれど、――といふやうなことで」
伊與之助は明らさまには申しませんが、あの怪奇な万兩さんの愛撫に、お吉は少なからず參つて居たことは想像されます。
「
「店二階に休んで居りました、朋輩等二三人一緒に」
「若旦那は?」
「お風邪の氣味だとかで、奧のお部屋に宵から籠つて居たやうで」
これが伊與之助から引出した全部で、これより突つ込んで訊くと、口を
「親分、あまり良い聽き込みはありませんよ」
「でも、少しはあるだらう」
「鍵屋の伜に娘をやるといふ、和泉屋平左衞門の店を
「それで?」
「平左衞門に逢つたところで、そんな事ぢや仕樣が無いから、裏へ廻つて下女を拜んで、そつと娘のお照を呼出して貰ひました」
「そいつは大手柄だ」
「百萬兩の嫁に望まれただけあつて、良い娘でしたよ。お
「安心しろ、誰もそんな事を言やしないから」
「物の
「それつ切りか」
「何を訊いても、涙ぐんで居て、おしまひには、クルリと後を向いて、家の中へ飛込んでしまひました、――それから」
「まだ話があるのか」
「心中崩れで死んだお小夜のことも、序に聽き出して來ましたが」
「そいつはよく氣が付いた、どんな事があつたんだ」
「山本町のお小夜の家へ行つて、元の朋輩にいろ/\訊きましたよ。お小夜には、良い男があつたんですつてね」
「フーム」
「門前町の呉服屋、巴屋の伜で重三郎、勘當されて出入りの職人の家に厄介になつて居るが、こいつは鍵屋の伊與之助を草書で書いたやうな良い男で、その男と一緒になり度いが、お定まりの金が無い、嫌々ながら、お小夜は万兩さんの半次郎の無理を聽き、五百兩の褒美を手に入れて、二人は世帶を持つ約束だつたといふから、可哀想ぢやありませんか」
「で?」
「お小夜は死んでしまつて、五百兩の金もウヤムヤになり、重三郎は出入りの職人のところにも、何時までも厄介になつて居るわけにも行かず、地紙賣りも
これは八五郎の持つて來た話の全部でした。
「どうも腑に落ちないことばかりだ、此上とも念入りに見張つて居てくれ」
「何を見張るんです、親分」
「重三郎と伊與之助と、お小夜が死んだ時側に居た、やくざの猪之松と、船頭の爲五郎と、それから、お小夜の死んだ晩、埋立地で淨瑠璃を語つた二人の男、――そんな者の中に、近頃ひどく金づかひの荒い奴は無いか」
「成程ね」
「お小夜と半次郎は泳ぎを知らなかつたか」
「それならわかつて居る、お小夜は深川
蛤町の久七は言ふのです。
「成るほど、泳ぎの心得が無くちや、心中ごつこは冗談でも、橋から川へは飛込めまい」
錢形平次も思ひ當るのでした。
それから三日も經たぬうちに、万兩息子の半次郎が、殺されかけたといふ、思ひも寄らぬ騷ぎになりました。
八五郎が聽いて來たところでは、万兩息子の半次郎が歩いてゐるところへ、屋根の上からいきなり石が降つて來たとか、材木置場の塀に投り込まれたとか、いろ/\の事があつた末、相も變らぬ夜遊びの歸り、入船町の入口で、暗がりから襲はれて脇腹を刺され、厚着のお蔭で、傷は引つ掻きほどであつたが、曲者は幸ひ、少しは武藝の心得もあつた半次郎に取つて押へられ、蛤町の久七が番屋で調べ中といふ話です。
「その曲者は誰だ、巴屋の重三郎か、それとも」
「その重三郎なんで。重三郎は島田町の和泉屋を覗いて見る氣で來たので、何んにも知らないと言ひ張る相ですよ、――和泉屋のお照は鍵屋の嫁にといふ話のあつた前は、巴屋の重三郎の許婚だつたといひますよ」
「そいつは久七親分の見込違ひかも知れない、暫らく樣子を見るが宜い、餘計なちよつ介を出さずに」
「へエ」
平次は一應注意して置きましたが、その
「あの、錢形の親分さんにお願ひがありますが」
と言つて來たのは、四十前後の
「どなたでせう」
お靜が訊くと、
「深川の島田町の和泉屋のものでございますが」
兎も角も
「どんな御用で?」
と訊くと、和泉屋の主人の妹といふお
「巴屋の若旦那の重三郎さんが、久七親分に縛られて行きました。あの優しい若旦那が、腕自慢で智慧自慢で、深川中のやくざ者でさへ、道をよけて通るといふ、鍵屋の若旦那を殺す氣になる筈もございません。あの時巴屋の若旦那は、
お今が辯じ立てるのを、お照は後ろに引添ふやうに、袖の下からそつと、可愛らしい兩掌を合せるのです。
詳しく訊くと、巴屋の若旦那重三郎は、和泉屋の娘お照と
許婚のお照を、万兩さんの半次郎に奪られさうになつて、重三郎が惡遊びを始めたのは無理のないことでした。その相手が踊り子のお小夜だつたのは、万兩息子の半次郎に對する、復讐の積りだつた事もまた肯づかれます。
併し、道樂が過ぎて重三郎は勘當になり、お小夜は五百兩の餌に釣られて水死してしまひました。重三郎は今更の後悔も及ばず、そつと和泉屋のお照、――曾ての許婚の顏を見る氣で、深川へやつて來たところを、いきなり鍵屋の半次郎に取つて押へられ、久七に縛られたに違ひないと、叔母のお
お今とお照が歸つて間もなく、元柳橋から永代へかけて、猪之松と爲五郎の評判を聽き出しに行つた八五郎が、
「親分、いろんなことを聽きましたよ」
「金費ひの荒くなつた奴は誰だ」
平次は先をくゞりました。
「猪之松も爲五郎も、近頃は大盡のやうな顏をして居ますよ」
「
「猪之松は三月も前からだが、爲五郎はツイ此間からだ相で、飮む、
「
「あの二人は、相變らず貧乏臭くて、變つたところも無いやうで、それから、親分、變なことを聽きましたが」
「何んだえ?」
「元柳橋で、船の底にヒツ付いて死んだお小夜の死骸を、船頭の爲五郎が引揚げたとき、お小夜の身體も着物も、大變な引つ掻きだつた相ですが、その時立會つた町役人が言ふんだから、嘘ぢやないでせう」
「だん/\わかつて來るやうだ、猪之松に逢つて見たいが、何處に居るだらう」
「濱町の
「つれて來てくれ、少しは
「へエ」
八五郎は飛んで行きました。
「野郎ツ、眞つ直ぐに白状しろ、ネタは皆んな擧がつてるぞ」
錢形平次は、いつもに無く
「何を白状するんで? あつしはまるつ切り見當もつきませんが」
「馬鹿ツ、そんなことで誤魔化せると思ふか、此間からお前の費つた金は、五十兩や百兩ぢや無え。その金を何處から出した、博奕で儲けたなんて嘘を吐いても通らないぞ、お前は
「それは、親分」
「まだ言はない氣か、よし、お小夜殺しの下手人で、擧げちまつても怨んぢやならねえよ」
「言ひますよ、親分、言や宜いんやせう。金はお小夜をつれ出したお禮に、鍵屋の若旦那から貰ひました。あつしはたつた二百兩で、爲五郎は三百兩」
猪之松は、それが少し不平だつた樣子で、案外ペラ/\としやべつてしまひました。
「爲五郎は何をやらかして三百兩貰つたんだ。川から這ひ上がつたお小夜を、又水へ突き落しでもしたんだらう」
「そんなことをするわけはありません。船には
猪之松の言ふことはなか/\よく筋が通つて居ります。なほも追及すると、心中を企てたのは若旦那の半次郎で、猪之松はお小夜を口説き落して
「その時使つた船はまだあるだらうな」
「元柳橋のところに、繋いである筈です。爲五郎が釣船に使つて居ましたが、近頃金が入つて、
「それぢや案内しろ、一寸船を見たい」
平次と八五郎は、猪之松に案内させて、元柳橋まで行つて見ました。
「あの船ですよ、親分」
爲五郎の船は、
「あ、これだ」
何んと船の底には、
「どうしたことでせう親分」
八五郎にはまだ呑込めない樣子です。
「水に落ちたお小夜が、浮び上がつたところを、もう一度引込まれ、船の底に押し込まれて、此釘に引つ掛つて出られなくなつたのさ、泳ぎの心得のあるお小夜は、一度水の上へ浮み上つて、又船の下に潜り込んで死ぬわけは無いと思つたよ」
「すると」
「船頭の爲五郎を縛つて來い、――猪之松は元の淺草橋の番屋に預けて置く」
「親分は?」
「俺は深川へ行つて見る」
平次の活動は、
その足で平次は深川入船町に驅けつけました。爲五郎などの連絡を
「飛んでも無い。私が、お小夜を殺させて宜いものですか、あれは大金のかゝつた女で」
と金持らしい尊大さで言はれて腹を立てたところで何んにもなりません。
「心中に誘つただけでも罪にはなりますぜ」
「冗談言つちやいけません、私が踊り子などを心中に誘ふものですか、橋の上で凉んでゐて、ツイ川へ落ちただけのことで」
「でも、船の底には、五寸釘が――」
「それは、爲五郎に訊いて下さい。船底に釘を打つたのは、岸へあげる時、
これでは手のつけやうがありません。
「若しや、お小夜を怨んでゐる者でも無かつたか、そんな事を訊き度かつたんで」
「踊り子も、あれ丈けの人氣者は、隨分人からも怨まれませう」
「ところで、若旦那は劍術の方も大したものだ相で、お道具を拜見出來ませんか」
「そんな事なら、――此方へ來て下さい、私のはまことにつまらない腕立てで」
半次郎は自分の部屋へ案内しました。申分の無い普請で、部屋の外、
「おや、この面は少し濡れて居るやうですね」
平次は
「そんな事はありませんよ、尤も使つたばかりの時は、人間の息で少しは濡れますがね」
「
「?」
「
「――」
「これを人間の顏に
「そんな馬鹿なことが、第一息がつけないから、必死と暴れ出すことだらう」
「強い力で押へ付ければ、女子供はどう仕やうもありませんよ。さう言へば、あの日、若旦那は手に
「親分、言葉が過ぎはしないか、まるでこの私が、お吉を殺しでもしたやうに聽えるが」
半次郎は
平次がスゴ/\と歸つたのはその日も暮れてからで、明神下の家には、八五郎もぼんやり待つて居りました。
「どうした、八、元氣がないね」
「船頭の爲五郎は飛んでしまひましたよ。上方通ひの船へ乘つた相ですから、當分江戸へは來さうもありませんね、ところで親分は?」
「俺の方も大
錢形平次も、此時ほど弱つたことは無い樣子でした。
× × ×
でも
町内から助命の歎願が出たのと、錢形平次の働きのせゐもあつたでせう、伊與之助は三宅島に流されたとも、大阪で生きて居るとも傳へられました。
その後平次は、八五郎にせがまれて、
「あの万兩息子の半次郎は、惡い奴だよ。利巧馬鹿で、燒餅がひどくて、あれが本當に人間の屑といふものだらう。お小夜が金を山に積んでも思ふやうにならないので、心中ごつこに誘ひ出し――半次郎は泳ぎがうまいから、船の底へ引ずり込んだのさ。着物が逆さに打つた釘に引つ掛つて、少々位の泳ぎぢや自由になるものぢやない。釘を打つたのは、三百兩の金を貰つた爲五郎だ」
「へエ、惡い奴等ですね」
「お吉は前々から伊與之助と親しく、金で
「成る程ね」
「一度お小夜にやつた金を、お小夜を殺した上で、猪之松と爲五郎にわけてやる根性は憎いぢやないか、――それにあの芝居氣と
「へツ風上にも置けねえ奴等で――」
八五郎はぺツ/\と唾を吐くのです。
「でも嬉しいことが一つあるよ。
「
「さう言ふな、お
平次は滿更でもない樣子でした。