錢形平次捕物控

和蘭の銀貨

野村胡堂





「親分、良い陽氣ですね」
 フラリとやつて來た八五郎は、えりの汗を拭いて、お先煙草を五六服、お茶をガブ呑みの、繼穗つぎほもないお世辭を言ふのでした。
「二三日見えなかつたが、何處へ行つて居たんだ」
 錢形の平次も、この十日ばかりはまるつきり暇、植木の世話をしたり、物の本を讀み返したりありの行列を眺めたり、雲のたゝずまひを考へたり、まことに退屈な日を送つて居たのです。
「こんな時家の中に引籠つて居るのは、餘つ程錢のねえ奴か、女房に惚れてゐる野郎ばかりで」
 こんな事をヌケヌケ言ふ八五郎を、平次はニヤリニヤリと受けました。
「當てられたやうだが、――それに引換へてお前は餘つ程景氣が良いと見えるな」
「何しろ、お天氣がよくて、身體が達者で、お小遣がふんだんにあるんだから、半日だつて叔母さんの二階にくすぶつちや居られませんよ。外へ出たとたんに、江戸中の新造が、皆んなあつしに惚れて居るやうな氣がするでせう」
「江戸中の新造は大きいな、――ところで何處へ行つたんだ」
神樂坂かぐらざかですよ」
「妙なところへ行つたものだね、其處に良い新造でも居るのか」
「良い新造も居ますが、色つぽい年増も、浪人も、金持も居ましたよ」
「何んの話だか、さつぱりわからねえよ、何處かの赤い鳥居へ小便でもしやしないか」
「狐にだまされたと思つて、神樂坂へ行つて見て下さいよ、牡丹屋敷ぼたんやしきのツイ裏、長崎屋七郎兵衞と言や、大した身上だ。その上内儀がきりやうよしで、娘が滅法可愛らしいと來て居る、覗いて見たつて、損はありませんよ」
「又何んか頼まれて來たのか、寶搜しや夫婦喧嘩の仲裁は御免だよ」
 平次は大きく手を振りました、八五郎が又何んか平次引つ張り出しを頼まれて來た樣子です。
「そんな氣のきかねえ話ぢやありませんよ、長崎で一と身上こせえた長崎屋七郎兵衞の一家が、あんまりボロい儲けをしたので、長崎を引揚げて、江戸へ來てから三年にもなるといふのに、元の商賣敵からひどい嫌がらせをされて居るんです。此まゝ放つて置いたら、命に拘はるかも知れねえ、錢形の親分を頼み度いところだが、あつしに瀬踏してくれといふ話で、泊りがてら、神樂坂界隈を念入りに調べて來ましたよ」
「何んだ、そんな話か、――そこで何をしろといふんだ」
「兎も角も、長崎屋が何時夜討を掛けられるかわからねえといふわけで」
「まるで富士の裾野すそのだ、相手はどんな人間だ」
「曾我の五郎十郎と言ひてえが、實は長崎の拔け荷仲間で、腕の立つのは一人も居ないが、惡智惠の廻るのや、人の惡いのでは引けは取らねえ、現に、長崎屋の井戸の中へよごれものを打ち込んだり、主人の七郎兵衞が夜道を歩いて居ると、薪雜棒まきざつぽうでどやし付けたり、火をつけられた數だけでも三度。三度とも首尾よく消し留めたが、此先何をやられるかわからない」
「念入りな惡戯わるさだな」
「此方には、岡浪之進といふ卜傳流の達人が、用心棒に付いて居るから、拔け荷仲間の惡戯者なんか傍へも寄りつけないが、やる事が執念深い上に、いかにも人が惡くて手に了へない」
「何んの怨だ。それ丈けのわざをするのは、一應筋があるだらう」
「長崎の儲けを、長崎屋七郎兵衞とその弟の金之助が、用心棒の岡浪之進と一緒になつて、三人占めしたのが氣に入らないんだ相ですよ、――長崎の敵を江戸で討つ」
「相手の素姓や名前はわかつて居るわけだな」
「仲間は多勢あつたから、名前まではわからない相ですよ、尤も、二度目の火をつけた時、火の出た物置の外に、これが落ちて居たんだ相で」
「何んだいそれは?」
 八五郎がでつかい財布から取出したのは、直径一寸ほどの、銀の分厚の錢、日本錢のやうに、眞ん中に穴があいたり、橢圓形だつたりするのでなく、まん圓でに乘せると、心持どつしりして居ります。
和蘭オランダの錢だといふことですよ、長崎屋七郎兵衞の商賣仲間――と言ふと拔け荷の仲間ですが、仲間の印にそれを一枚づつ持つて居たんだ相で、現に七郎兵衞も弟の金之助も番頭の友三郎も用心棒の浪人者も一枚づつ持つて居て、出して比べて見せましたが、寸分違はずこの通りです」
「フーム、大分いはくがあり相だな」
「その和蘭の錢は親分が預かつて下さい、あつしが持つて居ても仕樣がありませんから、そいつが日本の小粒だと、右から左へ役に立つんですがね」
「さうしようか、いづれ行つて見るとして」
 平次はさう言つて、和蘭の銀貨を懷の中にしまひ込みました。


 その翌日は、八五郎に誘はれて、神樂坂へ出かけようとして居る平次のところへ、岩戸町の下つ引が、思ひも寄らぬ凶報しらせを持つて飛んで來ました。
「親分、直ぐお出でを願ひます、神樂坂裏の長崎屋七郎兵衞の家に殺しがありました」
「主人がやられたのか」
 八五郎の方が乘出すと、
「七郎兵衞の家――と斷つて居るんだ、主人ぢやあるめえ、誰だ」
「内儀のお町さんで、不思議な殺しです」
「よし、行つて見よう、丁度神樂坂へ出かけるところだつたんだ」
 平次と八五郎と、使の下つ引は一團になつて神樂坂へ――、
 青葉時の、此上もなく爽やかな朝でした。江戸の街々も、初夏らしい活氣にみなぎつて、急ぎ足の三人の衣袂いべいに風が薫じます。
 牡丹屋敷の裏、神樂坂の賑やかさを避けて、素知らぬ顏に世を送つて居る長崎屋も、朝からの騷ぎに煮えくり返つて居ります。
 家はしもたや風ですが、裏には小さい土藏が一と棟、いかにも裕福さうで、店から格子を開けて入ると、調度にも木にも、何んとなく贅澤が匂ひます。
「あ、錢形の親分」
 土地の御用聞や、町役人達は、ホツと救はれたやうな氣持になるのでせう、平次を迎へて、何んとなく色めき立ちました。
 主人の七郎兵衞といふのは、町人には相違ありませんが、四十五六のあまり丈夫さうではない男で、色の青黒い、毛の多い、高い鼻と細い眼が特色で、何んとなく利にはさとい人柄に見えます。
「飛んだことだつたね」
「いやもう、ひどいやり口で、私も膽をつぶしました、どうぞ此方へ、――家内の部屋へ御案内いたしませう」
 案内してくれたのは、店の次の六疊で、其處から佛間へ居間へと續き、お勝手を隔てゝ、主人の部屋は遙かに遠くのやうです。
「變なことを訊くやうだが、――お内儀さんは、此處へ一人で寢んで居なさるのか」
 平次はフト妙なことに氣がつきました、六疊は雜物で一パイ、その中に内儀の死骸を寢かした床は敷いてありますが、外にもう一つ主人の床を敷く場所があらうとも思はれません。
「私はかんが強くて、夜分寢付かれないので、もう久しい前から、家内と別々の静かな部屋に寢んで居ります」
「――」
 平次はそれを默つて聽いて、部屋の中に入りました。
「この通りでございます」
 死骸の顏を隱したきれを取ると、思はず平次も唸つたほどの凄まじさです。
 内儀のお町は四十前後、まだ脂切つた若さで、死の苦悶に歪められては居りますが、充分に綺麗でもあり、色つぽくもあります。
 見ると死骸の首のあたりは、四角なもので押し潰されたらしく、飛出した眼や、虚空を掴んだ兩の拳にも、並々ならぬ苦惱がコビリ付いて、
「これは容易ぢやない」
 思はず物に馴れた平次も獨り言を言ひました。
「何んでやつたんでせう、親分」
 八五郎も横から口を出します。死骸ののどは、外から恐ろしい力でひしがれて居りますが、何うしてそんな事をしたか、最初は見當も付きません。
「八、これは何んで殺したと思ふ」
 平次は四方あたりを見廻しました。
「サア、見當もつきませんね、恐ろしい剛力で、喉を押し潰したやうですが」
「いや、力の弱いものゝやつた仕事だ、多分道具があつたことだらうと思ふが」
「何んでせう、その道具は?」
 八五郎も部屋中をキヨロキヨロ見廻しましたが、其邊には人殺しの道具などが見付かりさうもありません。
 部屋一パイの道具は、悉く有用無用の世帶道具で、長持もあれば箪笥たんすもあり、葛籠つゞらもあれば長火鉢もあり、一つの床を敷く場所が精一杯、念のためにその長持や箪笥を動かして見ましたが、さすがに物持の長崎屋の道具だけに、何やら一パイ入つて居て容易には動きさうもありません。
「八、その長持の上に差してある、棒を取つてくれ」
「これですか」
 四角に削り上げて、兩端に丸味をつけた、二間あまりの巨大な棒、それは言ふ迄もなく長持のかつぎ棒で、死骸の首の傷と睨み合せると、内儀のお町を殺した凶器は、この棒でなければなりません。
「首の疵は、間違ひもなくこの棒の跡だ、内儀の仰向に寢て居る首に、この四角な棒を當てゝ、大の男が二人で押せば、これ位の傷が付く」
「すると、曲者は、大の男二人で?」
「其處まではわからない」
 平次は何やら深々と考へて居ります。


「錢形の親分が來て居る相ぢやないか」
 後ろから聲がして、庭先へ立つたのは、四十七八の、浪人風の男でした。總髮にした胡麻鹽ごましほ頭、まだ皺も寄らない逞しい身體と、微笑を湛へた柔和な顏、何んとなく人好きのする中年者で、身扮みなりも折目正しく、一本差した腰も輕く、顏見知りの八五郎にまで、へだての無い笑顏を見せます。
「親分、お隣に住んでいらつしやる岡さんですよ」
 長崎屋の用心棒で、主人の仲間の一人を八五郎は紹介しました。親しさうな笑顏を見せられると、さうでも言はなければ、ならないやうな氣になるのでした。
「八五郎親分とはすつかり眤懇ぢつこんになつたが、高名な錢形の親分は初めてだ、思つたより若いなア」
 岡浪之進は身分の腰に手を當てゝ、年寄臭く反り身になつたりするのです。
「恐れ入ります。まだ若造で」
「いや、どうしてどうして、大した智惠者だといふことだ、現に内儀を殺したのを、その長持の棒と睨んだのは大したことだな」
「恐れ入ります」
「尤も、大の男二人の力で殺したと見たのは行き過ぎだよ、――内儀の床は箪笥の前から三尺も離れて居ない」
「へエ?」
「その箪笥の下の引出しを五六寸拔き出して、その下に棒の端つこを噛ませ、棒の先三尺ほどのところを内儀の首に當てゝ、此方の端を力一杯押すと、女や子供のやうな非力なものでも、棒が槓杆てこになるから、恐ろしい力で内儀の喉笛が潰せる、下手人は一人で澤山ではないか」
「あ、成程」
 八五郎は膽を潰しました、この浪人者は何んといふ結構な智惠の持主でせう。
「岡さんは長崎からの古い知り合ひで、江戸へ一緒に出て、今では何彼と世話になつて居りますよ」
 主人の七郎兵衞は、岡浪之進の智惠に舌を卷いて居る平次の耳の側に、そつと、斯う誇らしく囁くのでした。
「いや、これはほんの素人量見だ、錢形の親分が聽いたらさぞ可笑しからう」
「どういたしまして、其處までは私も氣がつきません」
 平次は素直に褒めて置いて、縁側から庭へ降り立ちました。狹い庭にも夏らしい緑が茂つて、隣との間に、型ばかりの四尺ほどの建仁寺垣けんにんじがきがあり、それに外から、六七尺ほどの、小さい植木梯子を掛けてあるのが氣になります。
「こんな竹垣なんか、苦もなく飛越せさうなものぢやありませんか」
 八五郎がその垣の上へ、長いあごを載つけて、垣の外の路地を眺めて居るのも、不思議な圖でした。
「四尺の建仁寺垣が飛越せないといふのは、よく/\不景氣な奴にきまつて居るよ。でも、梯子は向う側に掛けてあるから、歸りはどうして垣を越したのかな。それからあの長持の棒で喉笛を潰され乍ら、音も立てずに死んで行つたのは不思議でならないが」
「へエ?」
 平次は妙なことを八五郎に問ひかけます。
「手足をバタ/\させるとか、殺される前に眼を覺して騷ぐとか、下女や番頭は近いところに寢て居るやうだから、氣が付きさうなものぢやないか」
 平次は一應の疑問を持出しましたが、それだからと言つて、外の方法で殺されたといふ何んの證據があるわけもなく、内儀のお町は矢張り植木梯子をかけて、四尺の建仁寺垣を越して來た、大した力の無い人間に、長持の棒で押し殺されたといふ、今までの假定を引つくり返すほどの理窟にはならなかつたのです。
 それから一應家中の者に逢つて見ました。七郎兵衞の娘のお小夜さよといふのは、八五郎が吹聽した娘で、まだ十八といふ、子供らしさの拔けきれない可愛らしさで、すつかり泣き崩れて居りますが、母親の非業ひごふの死とは、あまり深い關係は無ささうです。
「私の部屋はお勝手の先で、隣には下女のお角が寢んで居ります、――お母さんの殺されたことは、今朝まで知らずに居りました、誰がまア、一體あんなひどいことをしたんでせう」
 とオロオロするだけで、此娘からは證據も暗示ヒントも掴む工夫はありません。
 尤も、錢形平次が押して聽くと、
「三年前九州から江戸へ參りました、長崎では、和蘭人などを相手に商法をして、利分も多かつたといふことでしたが、仲間割れがした相で、叔父さんと、番頭の友三郎どんと、御浪人の岡さんだけ一緒につれて、江戸表へ參りました。――兩親を怨む者もあつたかも知れませんが、私は」
 とその後はウヤムヤになりました。
 番頭の友三郎は少し足の惡い五十男で、一と掴みほどの皺だらけの中老人ですが、商人としては申分のない掛引上手で、
「飛んでもない、長崎屋の儲けに彼れ斯れ申す者がある筈もございません、内儀さんに怨を含む者――? と仰しやるんで、それも思ひ當りません、隨分人樣にもよくし、身も愼んで、世間から何彼と申されるのを、一番お嫌ひで、滅多めつたに小買物にも出られない人でございました」
 これ丈けの事から、何んにも得るところはありません。
 下女のお角は江戸で雇つた四十女で、口はよく動きます。
「皆樣、よく出來た方でございました、江戸生れの私には、何かと不自由もございましたが、それは些細なことで、出來ることなら、一生奉公でもし度いやうに思つて居ります」
 と斯う言つた程度です。
「主人には弟がある相だが」
「金之助樣と仰しやつて、旦那樣とは義理ある仲だ相で、――でも本當の御兄弟のやうに、へだてなくしていらつしやいます。昨日は川崎へお詣りに行つて、夜遲くなつてお歸りでしたが、その時は内儀さんもお元氣でお勝手口まで迎へに出られました」
「御浪人の岡さんは」
「隣の家に住んでいらつしやいます。まことに氣のおけない、親切な方で、旦那樣の御相談相手でございます」
「ところで、戸締りは誰がするのだ」
「私がいたします」
「昨夜は?」
「金之助樣がお歸りになつた時、一と通り私が戸締りを見廻りましたが、不思議なことに、今朝になつて、内儀さんの部屋の窓が、戸は閉つて下のさんがおりて外からは開かないやうになつて居りましたが、上の棧が上つたまゝきかなくなつて居りました、そんな筈は無いのですが」
「それは面白い話だな、今までいろ/\の人の話を聽いたが、その話が一番面白いよ」
 平次は何やら一人でうなづいて居ります。
 それから最後に平次が逢つたのは、主人の義弟の金之助でした。
「へエ、へエ、御苦勞樣で」
 三十七八の精悍な感じのする好い男で、態度にも言葉にも、警戒的な緊張があります。
「お前さんは、主人と本當の兄弟では無いさうぢやないか」
「私は父親の後添の連れ子で、兄弟は兄弟でも、兄の七郎兵衞とは義理のある兄弟になつて居ります」
「長崎では一緒に働いたといふが――?」
「一緒に苦勞もしました」
「で、長崎屋の身上はどうなるのだ」
「皆んな兄のもので御座います、――尤も、その三つの一つは私のもので、番頭の友三郎と、御浪人の岡さんも、殘りうちから、少しづつ配けて貰ふことになつて居ります」
「それは、書いたものでもあるのか、それとも證人など――」
「いえ、何んにも御座いません、でも三人の申合せで、間違ひの無いことになつて居ります、長崎屋の身上のとをのうち三つは私、十のうち二つは友三郎と岡さん、つまり半分だけは兄の七郎兵衞のものになるわけで」
「成程」
 隨分覺束ない話ですが、三人が信頼し合つてさうきめたものなら、平次は口を入れるわけにも行きません。
「昨夜お前さん歸りは遲かつた相だな」
「御町内の衆五六人と川崎へ詣り、戻つたのは子刻こゝのつ(十二時)近かつたと思ひます、品川で散々飮んだ醉も覺めて、ヘトヘトに疲れて居りました」
「家へ入つたのはお前さん一人だつたね、――確かに」
「一人でした、間違ひはございません。裏口を開けてくれたのは姉さんで、井戸端へ行つて冷たい水で身體を拭いて、そのまゝ入つて寢みましたが、その時はもう子刻こゝのつ(十二時)過だつたと思ひます」
「その時お勝手には?」
「誰も居りませんでした、晩の仕度は要らないからと申したので、姉も下女のお角も引込んで寢んだやうでした」
「それから」
「朝まで一と寢入りで、お角の騷ぎ出した聲に驚いて飛起きるとあの始末で――私の部屋は店二階で、滅多な物音は聽えません」
 主人の弟の金之助は斯う言ふのです。


 長崎屋の凶惡な事件は、内儀のお町の殺戮さつりくが最初で、際限もなく發展して行きました。
 それから二日、三日無事な日が過ぎたのもほんの暫らく、内儀のお町が殺された後、五日目の朝でした。
「親分、到頭、大變なことになつてしまひましたぜ」
 ガラツ八の八五郎が、薫風に懷ろをはらませ乍ら、絲目の切れた奴凧やつこだこのやうに飛込んで來たのです。
「どうした八、何が大變なんだ」
「神樂坂の長崎屋七郎兵衞がやられたんですよ」
「何? 今度は主人が?」
「だから直ぐ行つて見て下さい、こんな事と知つたら、下つ引きを五六人狩り集めて、神樂坂中を見張つて置くのでした」
「そんな事をしても無駄だつたのさ、それよりは、長崎屋の身上を、早く分ける者にけてやつて、確とした書き附けにでもして置くのだつたよ」
 平次はそんな事を言ひ乍ら、神樂坂に向つたのです。
 長崎屋は大變な騷ぎでした、内儀が殺されて五日目に主人の七郎兵衞の變死では、世間の噂も容易でなく、家中の者も、たゞウロウロするだけです。
「飛んだことになりました、生憎相談相手もなく、肝腎の岡さんは三日前から、足柄あしがらへ用事があつて出かけ、明日でなければ戻りません」
 番頭の友三郎は、日頃の冷静を振り捨てゝ、何をして宜いのか見當もつかない樣子です。
「どんな樣子なんだ、兎も角、詳しく話してくれ」
「旦那は此間から、すつかり萎氣しよげ切つて居りました、仲の良い内儀さんに死なれて、何事も手につかない樣子で、毎晩召し上がるお酒だけが次第に多くなるばかり」
「で?」
「尤も旦那は、がお好きで、岡さんか、お隣の伊賀屋の御主人半兵衞さんを相手に、不斷は毎晩のやうにやつて居りましたが、内儀さんが亡くなつてから、それも氣が進まない樣子で、碁盤ごばんを出せとも仰しやいません、そこで昨夜は私がおすゝめして、五日目で碁盤を出させ、お隣の伊賀屋さんをお呼びして、珍らしく碁をなさいました」
「――」
「女房の初七日も濟まないが――と最初は氣の乘らない樣子でしたが、根がお好きなので、いつの間にやら夢中になつてしまひ、戌刻いつゝ(八時)過ぎには、お酒を出させて、お二人で碁を打ち乍ら、チビ/\と呑んでお出でになりました」
「――」
「間もなく伊賀屋さんは氣分が惡いと仰しやつて、亥刻よつ(十時)頃お歸りになり、旦那はそれから又お酒を續けていらつしやいましたが、半刻はんときも經つとひどく苦しみ出して、町内の本道(内科醫)をお迎へした時は、もう間に合ひません、子刻こゝのつ(十二時)過には息を引取つてしまひました。御樣子は間違ひもなく砒石ひせきの中毒だといふことで、いろ/\調べましたが、矢張りお酒の中に毒が入つて居たやうで、現に一緒に呑んだ伊賀屋さんも同じ容體でひどく苦しんだ相ですが、お酒の召上がりやうが少なかつたので、すつかり吐いてしまつて、曉方までには元氣になられた相で御座います」
 番頭の友三郎の話はなか/\に行き屆きます。
「酒は何處から取つたのだ」
「ザラに使つて居るのは、隣町の酒屋から取りますが、旦那は上方育ちで、酒にはやかましい方で、新川の問屋から、別に一とたる取つて置き、旦那用として、外の者には手をつけさせません」
「それは?」
「二本の白丁はくちやうに出して置いて、一本無くなると次のを呑み、二本空つぽになると、又樽から出して置きます」
「すると、一本の徳利には毒は無かつたのか」
「左樣でございます、昨夜まで呑んだ方の白丁は無事で、今夜出した白丁の酒に毒があつたわけで」
 説明は友三郎の言葉で充分でした。重なる不幸に、滅入り込んだ中を、主人の部屋に通されると、其處には續け樣に兩親をうしなつた娘のお小夜が、父親の義弟の金之助に慰められ乍ら、物も言へないほど泣き濡れて居ります。
 平次もこれでは手のつけやうがありません、二つ三つ慰めの言葉を殘して、金之助を誘つて縁側に出ました。
「金之助さん、氣の附いたことは無いかな」
「何んにも」
 金之助は頑固らしく首を振るのです。
「あんまりやる事が根強いので、身内の者は反つて見當はつかないのかも知れない、――この先長崎屋の身上はどうなるだらう」
「兄が死ねば、半分は娘のお小夜のものになります」
「若しだよ、――萬々一お小夜がどうかすると?」
「そんな事は考へても見ませんよ」
 金之助は向つ腹を立てたらしく、頑固に首を振るのです。
「今度は昔の長崎の仲間が、外から仇をしたとも思へないが」
「いえ、お勝手へ潜り込めば、どんなことだつて出來ます。下女のお角は、江戸生れを自慢にして居る金棒曳かなぼうひきですから、お勝手を空つぽにして、何處までも遊んで歩いて居ります」
「成程な」
 さう言はれると、平次にも見當がつかなくなります。
「用心棒の岡浪之進さんは、何處か遠方へ行つた相ぢやないか」
「足柄へ參りました、武藝の先生が足柄に居て、老病で危篤だとやらで、三日前にわざ/\使の者が來て、それと一緒に足柄へ參りましたが、江戸へ歸るのは、早くて明日あたりになりませう」
 これは當然疑ひの外に置かるべきで、外から下手人が入つたのでなければ、家の中に居る番頭の友三郎と、下女のお角と、娘のお小夜と、わけても殺された主人の義弟の金之助に疑がかゝるわけです。
 念のためにお勝手に出向いて例のおしやべりのお角をつかまへましたが、
「飛んでも無い、私がお勝手を空けた留守に惡者が忍び込んで、旦那樣の徳利に毒を抛り込むなんて、そんな事が出來るものですか、旦那樣は此お酒が大事で、誰にもお裾わけしないばかりでなく、樽も白丁も戸棚に入れて、人目につかないやうに隱してあります、お勝手を覗いた位のことで、長崎のモモンガアに氣が附くものですか」
 斯うまくし立てゝ、平次にも喰つてかゝりさうにするのです。
 お隣の伊賀屋といふのは、小間物などをあきなふ小さい店で、外から奧がまる見えといふ淺間な住居です。
 主人の半兵衞はもう元氣で、床の上に坐つたまゝ、
「いや、飛んだ目に逢ひましたよ、あの酒にまさか毒が入つて居るとは氣がつきませんが、口ざはりが變なのと、私は長崎屋さんなどより酒が弱いので、お蔭で命拾ひをしました。――碁は長崎屋さんが一番強く、私と岡さんは二つ位置かなきやなりません、――長崎屋さんの家の中は? さア、そんな事を申すと變ですが、御主人と弟の金之助さんは、あまり仲がよくなかつたやうで、番頭の友三郎さんも商賣は上手でせうが、一寸附き合ひ憎い人でございます。岡さんは二本差で、武藝も大したものだ相ですが、まことに氣輕な良い方で、へエ」
 小間物屋の伊賀屋半兵衞の話はこんなものでした。


 それから又十日あまり經ちました。長崎屋七郎兵衞の初七日も過ぎ、長崎屋の身上は、いかにも捨て置き難い有樣に置かれて居たので、弟の金之助と、番頭の友三郎と、仲間でもあり、用心棒でもあつた、浪人の岡浪之進が相談して、別に江戸には親類縁者も無いことでもあり、取敢へず長崎屋の後に娘のお小夜を据ゑ、お小夜にむこを取るまで、叔父の金之助が後見をすることになりました。
 これは兩親の中陰ちゆういん前の取きめとしては、少し早まつたやうでもありましたが、重なる不祥事を心配した岡浪之進が、亡くなつた友達の七郎兵衞のために、早急にその後を立てさせようとした性急な計畫で、誰も異存のあるべき筈は無く、一擧にして話はきまつたわけです。
「驚いたね、親分、一體誰が長崎屋の夫婦を殺したんでせう」
「疑へば皆んな怪しいが、極め手が一つも無いから、それ丈けでは人を縛るわけには行かないのさ」
 相變らず弱氣の平次は、こんな事を言つて樣子を見て居ります。
 五月になつてからの或日、到頭三度目の凶報を、神樂坂かぐらさかを見張らせた、下つ引が持つて來ました。
「だから言はないこつちや無い、今度は誰がやられたんだ」
 平次の用心深いのが氣に入らない八五郎は、斯んなことをヌケヌケと言ふのです。
「後見の金之助がやられましたよ」
「何? 金之助が? それは大變だ」
 平次も驚いて立ち上がりました。それから神樂坂へ、
あつしは金之助が曲者だと思ひ込んで、親分がどうして縛らないかと口惜しがつて居りましたが、見當が違ひましたね」
 八五郎は途々息を切らし乍ら言ふのです。
「當り前だ、お前の見當で人を縛つた日にや、俺は耻ばかり掻いて居なきやなるまい」
 神樂坂の長崎屋へ着くと、其處はもう大變な騷ぎでした。
 三人目の被害者ひがいしや金之助の死骸は、二階の金之助の部屋の中に、血潮に染んでそのまゝにしてあります。しかも、死骸の側には鋭利な草苅鎌くさかりがまが一梃。
 部屋の中には床が敷いてあり、金之助は寢卷のまゝ、床から這ひ出して切られて居りますが、致命傷は喉笛を深々と鎌で横なぐりに切つたもので、曲者は萬一の蘇生を心配したものか、その上滅茶々々に死骸を切り刻んで、まことに眼も當てられぬ慘憺たるものです。
「草苅鎌とは念入りですね、親分」
 八五郎は唸つてばかり居ります。
青龍刀せいりうたうで無いのが不思議さ、刄物なんか何だつて構はないよ、――こんな達者な男が、鎌で切られて、默つて居るだらうか、八」
あつしもそれを不思議に思つて居ますが、山の中の一軒家ぢや無し」
「おや、――水落にも鎌をブチ込んであるが、その傷の側に、少し紫になつて居るところがあるぢや無いか」
「へエ、黒血が溜つて居ますね」
「フーム、漸くいろ/\のことがわかつて來るよ」
「何がわかるんで」
「まア、宜い」
 平次は階下へ降りて、今朝一番先に死骸を見付けたといふ、下女のお角に逢つて見ました。
「今朝の樣子を詳しく話してくれ」
 といふと、お角ほどの女も、さすがにおびえたものか、今日は打つて變つて言葉少なに、
「天井から血がこぼれたんですもの、びつくりするぢやありませんか、番頭さんを誘つて二人で二階へ行つて見るとあれでせう」
「その時、二階の部屋か縁側の戸は開いて居たのか」
「二階はろくに締りもありません、それに今朝は後で氣が付いて見ると、庭から二階に九つ梯子が掛つて居るぢやありませんか、ひさしを渡つて、子供でも入れますよ」
 さう言はれると、いつぞや内儀のお町が殺された時のやうに、至つて無技巧です。それに、あれほどの殘虐なことをして、一つも音を立てず、聲を出させないのも同じことです。
 階下へ降りると、番頭の友三郎は、さすがに青い顏をして、しよんぼりして居ります。
「番頭さん、曲者の見當もつかないのか」
 平次が訊くと、
「恐ろしいことで御座います、――矢張り昔の長崎の仲間でせう、現に庭にこれが落ちて居りました」
 手の中には、いつぞや八五郎が持つて來たのと同じ、和蘭オランダの銀貨が一枚、紅毛人の首を浮彫したのが、不思議な謎を秘めて光つて居るのです。
「どれ、――借りて行くぜ」
「へエ、どうぞ、私はもう氣味が惡くて持つて居る氣がいたしません」
 番頭の言葉を後に、平次は外へ出ると、後のことを八五郎に頼んで、隣の家、岡浪之進の浪宅を訪ねました。


「おや、錢形の親分、まア/\どうぞ」
 などと、この浪人は如才もありません。
「岡さん、三人殺しの曲者の見當はつきませんか、私もつく/″\持て餘しましたが」
「さア、それがわかれば、私も十手捕繩を預かるが、――近頃は暮しも樂では無いから」
「御冗談で」
 二人はへだての無い調子で話し乍ら、縁側に並んで掛けました。
「ところで親分、私は主人の毒害された晩は足柄の山中に居て知らなかつたが、三人が三人共、ひどく臆病で非力な者に殺されたやうな氣がしてならない。例へば――」
 言ひかけて、岡浪之進はフト口をつぐみました、これ以上觸れると、いろ/\の差しさはりがありさうです。
「さう言へば、岡さんはお強いでせうね、――卜傳ぼくでん流とか聽きましたが」
「いや、一と通りのことをやつて居るだけさ、尤も今度は足柄の山中に私の先生、塚越鐵翁を見舞ひ、その御病氣の平癒を見屆けた上、卜傳流の極意をお讓り頂いて戻つたよ」
 さう言ふ浪之進は、總髮にチヤンチヤンコを着て、一刀を左脇の下に置き、の中ではグラグラと粥を煮て居るのです。
「それは結構なことで、――ところでお住居は大層氣持よく出來て居りますね、――一寸拜見さして頂き度いものですが」
「あ、宜いとも、どうせ金持のやうなわけには行かない、言はゞ、仙人の住家で」
「そんなことはございません」
 平次は狹い家の中を一と通り見せて貰つて、少しあわて氣味に外に出ましたが、長崎屋へ眞つ直ぐに引揚げると、八五郎を小手招きに、二階へ押しあがりました。
「何んです? 親分」
「まア、默つて跟いて來い」
 二階の縁側に立つた平次は、懷ろから何かを取出しました。
「何んです、親分?」
「足袋だよ、岡浪之進の家からさらつて來たんだ」
「へエ、親分もちよい/\それをやるんですか」
「默つて居ろ、それ、足袋の裏にほこりが付いてるだらう、少しばかりの古い木屑もある、トントンぶきの庇の埃だよ、その足袋に、ほんの少しだが、血が附いて居るだらう、――心掛のある武士は、跣足はだしで庇を渡るやうなことをしないと思つたから、此足袋をさらつて來たんだ」
「すると?」
「下手人はあの浪人者だよ、――相手は手剛い、ふんどしをしめ直して來い八」
「でも、私には腑に落ちませんね、あの浪人は良い男ですよ、氣輕で親切で」
「それがだ」
「音も立てずにどうして殺したんでせう、内儀と、金之助を」
「最切に當て身を喰はせて目を廻さして置いてそれから殺したんだ」
「あ、なーる」
「來い八、お前は裏へ廻れ」
「合點」
 二人は左右に別れて、隣の浪人の家を襲ひました。
「岡さん、ちよいと」
 中腰で、左り氣なく庭先から入らうとする平次。
「馬鹿、その手を喰ふものか」
 岡浪之進は、さすがに一流の使ひ手でした、早くも平次の樣子や顏色から、容易ならぬものを見て取ると、一刀を引拔いて、サツと身構へます。
「御用ツ、岡浪之進、三人殺しの證據は揃つたぞ」
「何を岡つ引奴ツ」
 飛込んだ平次は、横に拂つた一刀の激しい太刀風に、思はずたじろぎました。
「御用ツ、神妙にせツ」
「えツ、寄るな」
 左へ廻つて窓から飛出さうとするのを、平次の手はサツと擧がりました。
「あツ錢ツ」
 得意の投げ錢、の中に隱した四文錢しもんせんが、岡浪之進の顏へ、三つ、五つ、七つと、續け樣に飛んで行くのです、この一つに眼か鼻でもやられては、岡浪之進も武力を封じられる外は無いのですが、
「そんな事に驚くものか」
 岡浪之進は、卜傳流の早速の働き、圍爐裡ゐろりに掛けてあつた、粥鍋かゆなべの蓋を取つて、續け樣に飛んで來る、平次の投錢を受けたのです。
 径一尺の鍋蓋はあられのやうな平次の投げ錢を音もなく拂ひ落しました。平次の特技も面積のある蓋を巧みに使はれては、全く役に立ちません。
「親分、錢は?」
 八五郎が裏口から飛込んで聲を掛けたのも無理のないことでした。平次の手からはもう錢が飛出さず、唯一の武器も、全く盡きてしまつたのです。
「八、此上は十手だ、よいか」
 十手を逆手に、一歩飛込む平次、後ろからは八五郎が、これも命がけで踏込まうとして居ります。
「平次、氣の毒だがもう錢が盡きたのか、鍋蓋の極意ごくい、面白かつたのう、――さア、此上は一刀兩斷だ、來いツ」
 岡浪之進、得意の鍋蓋をポンと捨てると、一刀を振り冠つて、近々と平次に迫ります。平次がどんなに器用に十手を使つたところで、一流の名手の刀は受けきれません。
「何をツ」
「それ行くぞツ」
 その間はまさに六尺、一躍すると、浪之進の一刀は平次を兩斷にするか、少くとも致命的な手を負はせたことでせう。が、此時、奇蹟が起りました。
「これでも喰へツ」
 パツと上げた平次の手からは、和蘭の銀貨が流星の如く飛んで、岡浪之進の額を打つたのです。
「己れツ」
 たじろぐ浪之進、額からはタラタラと血が流れました。が、そんな事で敗ける男ではありません、尚も最後の氣力を振り絞つて、必死の襲撃を平次に喰はせようとする、眼へ、
「あツ」
 二枚目の和蘭銀貨が、浪之進の左の眼を打つたのです。
「野郎ツ、くたばつてしまへツ」
 後ろから八五郎の十手が、飛込み樣、手負ひの得物を叩き落しました。あとはもう、
神妙しんめうにせい」
 キリキリと捕繩が、この兇惡無慘な浪人者を縛つてしまつたのです。
        ×      ×      ×
 岡浪之進を送つた歸り、八五郎にせがまれて、平次はいつもの繪解きをしました。
「岡浪之進は、長崎屋の身上を皆んな娘のお小夜に集め、そのお小夜を手に入れるか殺すかして、終には自分のものにする氣だつたんだ、――此處で縛られなきや、四人目に殺されるのは番頭の友三郎さ」
「へエ、恐ろしい野郎ですね」
「武家のくせに、あんな惡智惠の廻る野郎は無いよ、内儀のお町を殺した時、四尺の竹垣に梯子はしごを掛けたり、長持の棒で押しつぶして、非力の者の仕業と見せたが、實は當て身を喰はせて、目を廻さした上の仕事さ。それと氣がつかないのは、俺の手落ちだつたよ。尤も金之助を殺した時は、水落の黒血で氣がついたが――」
「戸締りはどうしたでせう」
「金之助が歸つて來て、井戸端で身體を拭いて居る時、お勝手口からそつと滑り込んだのさ。内儀を殺した後で、あの部屋の窓から逃げたが、下の棧がおりて上の棧がおりなかつたのはその爲だ、下の棧は戸を締めさへすれば獨りでおりる」
「主人七郎兵衞の毒害は」
「二本の白丁のうち、まだ手のつかない酒へ毒を入れ、足柄とかへ行つたのだ、尤も山の中などには行かずに、小田原あたりで遊んで居たことだらう、――主人は一本の白丁の酒を三日に呑んでしまつて、五日目に新しい白丁の酒に取かゝり、隣の伊賀屋の主人と一緒に呑んだのさ、旅に出て五日目に人を殺すといふのは新手だ」
「金之助の時は?」
「二階へひさしを渡つて入つた上、よく眠つてる金之助を當て身で目を廻させ、鎌で切り刻んだのはずるいやり方だ。足袋の始末をしなかつたのが手ぬかりだが、俺はもうその前から曲者は浪之進と睨んで居たから、いづれにしても長い娑婆は無かつたわけさ」
「ところで、長崎屋の後はどうなることでせう親分」
「安心しろよ、お前を聟に欲しいとは云はないだらう」
「へツ、氣になりますね、それは兎も角、和蘭オランダの錢を持つて居たのは飛んだ仕合せでしたね」
鍋蓋なべぶたといふ道具には氣がつかなかつたよ、――いや、恐ろしいことだ、――尤も、あの時和蘭の錢を投るために十手を左手に持ち換へたのをあの浪人者が氣が付かなかつたのは天罰さ」
 平次はつく/″\自分の特技に慢じてはいけないと反省した樣子です。





底本:「錢形平次捕物全集第三卷 五月人形」同光社磯部書房
   1953(昭和28)年4月20日発行
   1953(昭和28)年6月20日再版発行
初出:「オール讀物」文藝春秋新社
   1952(昭和27)年6月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2015年9月1日作成
2017年3月4日修正
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