金色のボタン
小川未明
ゆり子ちゃんは、外へ出たけれど、だれも遊んでいませんでした。
「みんな、どうしたんだろう。」と、往来の上をあちらこちら見まわしていました。けれど、一人の子供の影も見えませんでした。
そのうち、ポン、ポンと、うちわ太鼓をたたいて、げたのはいれのおじいさんが、小さな車を引きながら、横町から出てきました。そして、ゆり子ちゃんの立っている前を通って、あちらへいってしまいました。
つばめが、ピイチク、ピイチク、鳴いて、まぶしい大空を飛んでいます。
ゆり子ちゃんはいつもみんなが遊んでいる、お宮の前へいってみようと、お湯屋の前を過ぎて、広い道を歩いていきました。
このとき、ぴかりとなにか土の上で、光っているものが目にはいりました。
「おや、なんだろう。」と、ゆり子ちゃんは、その方へ走っていきました。
金色のまるいものが、道の上に落ちていました。ゆり子ちゃんは、それを拾って、小さな手で土を落としていると、通りかかった、知らないおばさんが、
「お嬢ちゃん、なにを拾いました。ちょっとお見せなさい、金の指輪でないこと。」と、そばへ寄ってきて、ゆり子ちゃんの手の中をのぞきました。
「おばさん、こんなのよ。」と、ゆり子ちゃんは、光るものを見せました。
「ああ、ボタンですか。ほほほ。」と、笑って、そのおばさんは、さっさといってしまいました。
ゆり子ちゃんは、しばらく立って、その菊の花のような、模様のついている、金色のボタンをながめていましたが、見れば、見るほどめずらしくなってきました。
「おまわりさんに、とどけなくていいかしらん。」
そんなことを考えているところへ、仲よしの正ちゃんが、あちらから飛んできました。
「ゆり子ちゃん、なにしているの。」
正ちゃんは、すぐに、ゆり子ちゃんの持っているものを見つけました。
「金ボタンだね、きれいだな。僕におくれよ。僕、勲章のように胸につけるのだから。」と、いいました。
「おまわりさんに、とどけなくていいか、私おうちへいってきいてみるわ。」と、ゆり子ちゃんが、いいました。
「とどけなくていいんだよ。これは、ほんとうの金じゃないんだもの。ただのボタンじゃないか。」と、正ちゃんは、しっかり握って、放そうとしませんでした。
おとなしいゆり子ちゃんは、いやといえませんでした。そして、困ったように、正ちゃんの顔を見ていました。
「ゆり子ちゃん、おくれね。」と、正ちゃんは、無理にもほしいのであります。
しかたなく、ゆり子ちゃんは、だまったままうなずきました。
正ちゃんは、金色のボタンを自分の胸のあたりへつけて、勲章のつもりで、大股に歩きました。
「ゆり子ちゃん、おいでよ。原っぱの方へいってみよう。」と、正ちゃんは、いいました。いままで、たった一人でさびしかったゆり子ちゃんは、急に、お友だちができて、うれしくなりました。そして、自分の拾った、大事なボタンだけれど、正ちゃんにやっても、惜しくないように思いました。
原っぱでは、二人よりも大きい、清ちゃんと、光一さんとが、とんぼを捕って遊んでいましたが、正ちゃんが、光ったものを胸におしつけて、歩いているのを見ると、
「正ちゃん、そのぴかぴか、光るものなあに。」といって、真っ先に清ちゃんが、かけてきました。
「ゆり子ちゃんから、もらったんだよ。」
「ちょっと、お見せよ。」
「僕、大事なんだもの。」と、正ちゃんは、かくそうとしました。
「とりはしないからさ、ちょっとお見せよ。」と、清ちゃんが、いいました。
正ちゃんは、しかたなく、そのボタンを清ちゃんの手に渡しました。
「なあんだ、ボタンじゃないか。」と、清二がつまらなそうに、いいました。
「どこのボタンだろうな、洋服についていたんだね。花の形か、いや、車の形かな。」と、光一もやってきて、頭をかしげていました。
「清ちゃん、このボタン知らない。」
「知らない。正ちゃん、道に落ちているのを拾ったんだろう。」と、清二が、聞きました。
「ゆり子ちゃんに、もらったんだよ。」
清二は、にやりと笑って、こんどは、ゆり子ちゃんの顔を見ました。
「ゆり子ちゃん、拾ったのだろう。」
ゆり子ちゃんは、うなずきました。すると、清二は、
「道に落ちているものなんか、拾うものじゃないよ。きたないから。」
そういって、ボタンを高く空に向かって投げました。
「あっ。」と、正ちゃんは、おどろいて叫びました。そして、上を見ていると、そのまま見えなくなってしまいました。
「あれ、どこへいったろう。」
清ちゃんも、あわてました。ボタンは、どこへ落ちたか、音もしなかったのです。
「清ちゃん、返しておくれよ。」と、正ちゃんは、目にいっぱい涙をためていいました。
「ほんとうに、どこへいったろう。」
「遠くへいって、草の中へ落ちたのだろう。」と、光一がいいました。
「正ちゃん、かんにんしてね。僕、とんぼを捕ったらあげるから。」と、清二は、あやまりました。
ゆり子ちゃんは、正ちゃんをかわいそうに思いました。二人は、手をつなぎ合って、さびしそうに帰ったのであります。
それから、五、六日もたってからです。ある日、ゆり子ちゃんは、お母さんにつれられて、省線電車に乗っていました。ゆり子ちゃんは、赤い帽子をかぶって、赤いマントを着て、絵本を見ていました。すると、どこから乗ったのか、支那の男の子が、ゆり子ちゃんと並んで腰をかけていました。その子は、年もゆり子ちゃんと同じくらいで、お父さんにつれられて、どこかへいくのでした。おかしいのは、その子は、黒い帽子をかぶって、黒いマントを着て黒いぴかぴかするくつをはいているのでありました。
電車に乗っている、ほかの人たちが、二人の子供を見くらべて笑っていました。支那の子は、だんだんゆり子ちゃんの見ている絵本をのぞきました。そして、わからない言葉で、ゆり子ちゃんに話しかけたのです。
「なあに、お母さん。」と、ゆり子ちゃんは、支那の子供の言葉がわからないので、お母さんにたずねました。
「そのご本をかしておあげなさい。」と、お母さんはやさしく、おっしゃいました。
ゆり子ちゃんが、絵本をかしてあげると、支那の子のお父さんが、こちらを向いて頭を下げました。そのうちに、電車が、つぎの駅へ着くと、支那の子は、ご本をゆり子ちゃんに返して、笑って、こちらをふり向きながら降りていきました。
「お母さん、あの子、かわいらしい子ね。」
「ちょうど、正ちゃんくらいですね。」
「あの子のお家はどこなの。」
「さあ、どこでしょう。お母さんにはわかりませんわ。」
ゆり子ちゃんは、ぼんやりと考えていました。
「このご本、あげればよかった。」と、ゆり子ちゃんはいいました。
「見せてあげれば、いいのですよ。」
お母さんは、自分も子供の時分、人なつこかったことを思い出しました。どうかこの子が、いい人間になるようにと、心で祈っていられました。
「おばあさん、しっかりおつかまんなさい。」
黒い洋服を着たおじさんが、腰のまがったおばあさんの降りようとするのをしんせつに世話していました。
「やさしい、いいおじさんだ。」と、ゆり子ちゃんは、思って、目をぱっちりあけて見ました。ゆり子ちゃんは、はっとしたのです。おじさんの洋服の、金色のボタンが、いつか往来で、自分の拾ったのと同じだからです。
「まあ、ほんとうに不思議だわ。おんなじボタンだわ。」
ゆり子ちゃんは、もう二度と見られないと思ったのを見たので、飛び上がるようなうれしい気がしました。さっそくお母さんに、なんのボタンかと聞いたのです。
「あのおじさんは、鉄道へつとめていらっしゃるのよ。あのボタンのしるしは、車の輪ですよ。」
「菊の花じゃないの。」
「いいえ、車の輪なんです。」
ゆり子ちゃんは、鉄道のおじさんが、おばあさんをしんせつにしてやったのに感心しました。このことを正ちゃんにあったとき、知らしてやろうと思いました。正ちゃんは、まだ、鉄道のおじさんの洋服のボタンを見たことがないと思いました。清ちゃんも、光ちゃんも、まだ知っていなかったのでしょう。ゆり子ちゃんは、みんなに、今日の話をして、教えてあげようと思いました。
「鉄道につとめているおじさんが、道で落としたんだわ。あのボタンを停車場へ持っていって、とどけてあげればよかった。」と、ゆり子ちゃんは思ったのです。
そのうち電車が、自分たちの降りる駅へついたので、ゆり子ちゃんは、お母さんに、手を引かれて降りました。
この日、ゆり子ちゃんは、いろいろのいいことを知ったのでありました。
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