鬼神

北條民雄




一 水の上


 あれからもう三年経つた。考へて見ると、今更のやうに月日の速さに驚かされる。しかしあれはなんといふ奇怪な事件だつたことだらう。あれがあつてからまだ日の経たない時は、どうしたのか私はそれがさほどに陰惨な事件だとも思はないでゐた。ところが日が経つにつれて、私の思出の中で次第に陰惨な、いはば一種の凄みを帯びて来るのだ。とりわけこの頃では、眠られない夜など――私は毎晩眠られない夜を過してゐる――思はず叫び声をあげて誰かを呼びたいほどだ。記憶といふものは、それが宿された頭の中で、絶えず成長して行くものに違ひない。
 ところで、私は今は結核サナトリウムの一室で寝たきりの生活を送つてゐる。もう間もなく息をひき取つてしまふに相違ないのだ。私の肺臓は、右も左ももう殆ど腐つてしまつた。そしてまだ残されてゐる、ほんの一破片かけらでからうじて呼吸をしてゐる有様なのだ。私は肺病患者がどんな風にして死ぬかよく心得てゐる。ここへ来てからでも、もう幾つもさういふ死に方を見たのだ。中には癩病よりも浅ましい死に方をするのもある。全身に菌が巡つて、鼻も耳も腸も役に立たなくなつて死ぬのもあれば、たつた一言も物を言へなくなつて死ぬのもある。そして時には死んでからでもまだ口の中に一ぱい血が溜つてゐて、ちよつとでも屍体を動かさうものなら忽ち腐つた血がだらだらと流れ出る。どす黒い、どろどろした、おまけに嘔吐へどを吐いてもまだたまらないやうな悪臭を発散してゐるのだ。これが人間の死だと言へるだらうか。
 とはいふものの、私は自分がこんな風になつて死ぬのを、むしろ喜んでさへゐる。こんな風になつて死ぬのがわれわれ――複数を使つて置く――には相応しいのだ。私がこんな風になつたといふも、やつぱりあの事件のためだと思はれる。あれ以前から、私はたしかに結核患者に違ひはなかつた。しかしその頃はまだぴんぴんはね廻つたり、ボートを漕いだり、一口に言へば殆ど病人ではなかつたのである。病気は進行を停止してゐたし、医者も、もう大丈夫だから学校へ通ひ出すやうに、と言つてゐたくらゐだ。私は高等学校の学生だつた。
 しかしどうやらもう前置を措いていいところへ来た。おまけにボートといふ言葉を語つてしまつたからには、早速事件に移らねばならない。凡てはボートから始まつてゐるのだから――。
 私が発病したのは、高等学校を卒業する前の冬のことだつた。ある夜――それ以前から風邪気味だつた――ばかに咳が出て、ハンカチを見ると血がついてゐたのだ。私は早速医者に見せた。するとまだ始まつたばかりの病気だから、心配するほどのこともない、と言つて、しかし学校はしばらく休んだらどうかとのことだつた。私は学校を休むのは嫌だつたが、しかしまた考へて見れば毎日面白くもない教師の顔を見るのも倦きてゐたので、それから半年ばかり府下の小さなサナトリウムへ這入ることにした。そこは雑木ざふき林に囲まれた、空気の美しい、気持の良いところだつた。私の這入つたサナトリウムは、ある宗教家の経営してゐるもので、小さな、建つたばかりのものだつたが、すぐ近くに東京市立の施療病院と、もう一つ時々婦人雑誌に撮影されたりするカトリックの病院があつた。この二つは勿論肺病専門のもので、特筆して置くのは、私のサナトリウムのすぐ間近くに日本第一の癩病院があつたことだ。それは柊か何かの生垣に囲まれてゐて、千人あまりの患者が、毎日百姓をやつたり、野球をやつたりしながら暮してゐた。私は散歩に出ると、妙にその方へ行つて見たい気持が起つて来て、よく垣根の間から内部を覗いてみたものだ。それは私が文科生だつたためで、文学など読むものは妙にかういふ奇怪な、変てこなものを見たがるものだ。その頃の日記を今もまだ所持してゐるが、私はそんな工合にして院内を見て来ると、早速日記に記して、それに人生論めいた感想文をつけて独り悦に入つてゐたのである。つまり私は、かうした人生のどん底を見て感激したのだ。若かつたせゐもあるが、私は実際ひどく感激する性だつた。しかしさうした楽しみも、長くは続かなかつた。そのうちに私は、もう倦き倦きし出した。毎日繰りかへされる単調な生活、変化のない風景、まるで汚れものをいつぱいぶら下げてあるやうな雑木林、こんなところに一年もゐたら、きつとヒステリイになつてしまふに定つてゐる。私はもう一ときも我慢のならないやうな気持で、郷里の町へ帰つた。ところが帰つて来ると早々、私は彼女に出合つてしまつたのだ。

 私たちの町は、背後に山脈を背負つて、海に向つて展けてをり、人口は三万くらゐのものだらう。そして町の横をN――といふかなりの川幅を持つた川が貫流してゐる。つまりそのN川の川口に沿つて町が象造られてゐる訳だ。川の向うはずつと原つぱになつてゐて、もうその頃からそろそろ製材所や金属の工場などが建ち始まつてゐた。海辺にはどこにでもあるやうな松の林が帯を引き伸ばしたやうに連なつてゐて、海水の浸蝕を防いでゐた。
 私は始めから順序よく話して行くつもりだが、私が帰つて来たのはそろそろ秋めいた風の吹き出した、九月の初めだつた。帰つて来ると、私は、その時まだ十八だつた異母妹の弓子を連れて、毎日裏の山へ登つたり、川口にある貸ボートを借り切りにして海に降つたり、川をずつと上流の方まで漕いだりして遊びまはつてゐた。弓子は私とは異つて、器量の良い母親似で、いつもゐるのかゐないのか分らぬくらゐに温和しい子だつた。私は今でもどうしてあんなおとなしい、いつでも何か物思ひに耽つてゐるやうな少女が、あれほど激しい、思い切つた行動を敢て為し得たのか、不思議な気がする。女といふものは実際わけの判らぬ所があるものだ。それにおとなしい女ほど恐しいことを平気でするやうな気がする。実際彼女は物静かな子で、体も病身だつたし、顔色などは少し蒼白いところがあつた。しかし眼だけは実に見事だつたのを忘れられない。それは、たいてい伏目がちで、細い糸のやうに見えるのだが、どうかした拍子に突然ぱッと大きく開くのだ。私はボートの中で、ゆらゆらと波に体を任せながら、向ひ合つた彼女の眼の美しさに何度びつくりしたことだらう。私は西洋人のやうに、思ひ切つて妹を接吻してやりたいくらゐだつた。それは、譬へて見れば、小さな蕾が突然花をひろげるやうに、細い眼がまん丸くなるのだ。彼女は女学校でも成績の良い子で、五番と下ることはなかつたし、新しい心理を書いた小説などもかなり読んでゐて、私とよくさういふ話をしたものだ。しかし主として読むのは飜訳物で、妙にロシヤのもの、たとへばアンドレエフとか、ドストエフスキーとか、さういつたものが好きだつた。フランスの小説はだいたいのところ嫌つてゐたらしい。
「フランスのものは、うきうきしたところがあつて、いややわ、うち。」
 と彼女はそんな風に言つた。
「お前は何時でもなんか考へ込んでるが、一体どんなことを考へるんだい? 兄さんに一つ話してくれない?」
 と私はある日、彼女に訊いてみたことがあつた。
「どんなことつて、うち、わからんわ。」
「でも、何時でも考へ込んでるやうに見えるよ。」
「兄さん、笑ふんだもん。」
「笑はないよ。」
「うち、何時でも空想するん。」
「空想?」
「うん。」
「どんな空想だい?」
「色々考へるわ。中でも、うちが死ぬんはどんな様子で死ぬんかしらつて、そんな時のこと考へて見るのやわ。」
 今になつて初めて思ふのだが、かういふ彼女の言葉にもつと注意を払つてやらねばならなかつたのだ。しかし私は、ただ意外なことを考へてゐるのにびつくりしながら、こんなことを考へてゐるのが好ましくさへ思へたのだ。私自身も、病気の洗礼を受けたせゐもあつて、絶えず死を考へてゐたし、人生に対してはひどく虚無的な考へを持つてゐたのである。もつとも、虚無と言つても、吹けば飛ぶやうな虚無ではあつたのだが……。
「うちみたやうな者は、きつと変な死に方するんやわ、うちそんな気がするの。死んだらどないになるんかしら、ね、兄さん知つとるのやつたら教へてな。」
「天国なんかないよ。」
「ないんやわね。でもうちあるやうに思うてますの、その方が好きやもん。」
「あるやうに思ふのが好きだつたつて、無いものはしやうがないさ。」
 彼女はちよつと眼を伏せて、自分の膝の上を眺めてゐたが、
「神様がないのやつたら、キリストさまは馬鹿やわ。」
「馬鹿にきまつてるさ。」
 と私は即座に言つた。
「でも、キリスト好き。」
 彼女はどこか力のこもつた声でさう言つた。
「うちいつでもヨハネ伝の十九章を読むんよ。神様有つても無うてもええわ。キリストさまは茨の冠冕かんむりを被せられるんね。うち、あすこのところが、たまらんほど好きん。」
 さう言へば、彼女の机の上には何時でも聖書が一冊載せられてあつた。彼女の部屋は北と東とに窓が展いてゐて、午前中はかなり明るく、冬などはぽかぽかと温かい朝日が射し込みもするが、しかし大体に於て陰気な部屋だつた。午後は丸切り陽が射さないし、朝日が射すのも冬の間だけだつた。部屋の大きさは六畳で、北側の窓下に彼女は小さな机を据ゑ、その横に紫色のカーテンの掛つた本箱を置いてゐた。本箱の上には、箱入りになつた、高さ六寸くらゐの人形が飾つてあつた。人形の横の壁には、幾分項低れ気味に頭をたらし、あらはな腕を左右に拡げた十字架上のキリストの写真がピンでとめてあつた。頭に茨で編んだ冠冕が被せられてゐる。彼女は私が帰つてからは私と連れ立つて外へ出ることも多くなつたが、以前には学校へ行く以外めつたに外へ出るやうなことはなく、日曜でもこの部屋で人形を箱から取り出して着物を更へてやつたり、空想しては聖書を読んだりするのだとのことであつた。
ここにピラト、イエスをとりて鞭つ。兵卒ども茨にて冠冕かんむりをあみ、そのかうべにかむらせ、紫色の上衣をきせ御許に進みて言ふ『ユダヤ人の王やすかれ』而して手掌にて打てり。ピラト再び出でて人々に言ふ『視よ、この人を汝等に引出す、これは何の罪あるをも我が見ぬことを汝等の知らんためなり』爰にイエス茨の冠冕をかむり、紫色の上衣をきて出で給へば、ピラト言ふ『見よ、この人なり』祭司長、下役どもイエスを見て叫び言ふ『十字架につけよ、十字架につけよ』。」
 その夜家に帰つて来ると、これを彼女に私は読んで聴かせてくれと頼んだのだつた。私は寝転んで、彼女が幾分興奮しながら読むのを眺めてゐた。勿論この時はもつと多く読んだのだが、ここにはこれだけを記して置く。読み終ると彼女は、ちよつと頬を紅らめ、急に眼をぱつちりと見開いて、私を見たが、それはほんの瞬間で、また以前のやうに細い眼でうつむいて言つた。
「この時、キリストさまはつば吐きかけられたんね、体中血だらけに撲たれたんね。」
 私は彼女が陰気なこの部屋でどんな空想をしてゐるのか、なんだか解るやうな気がした。彼女は頭の中に浮んで来るこの受難の劇を追つてゐるやうであつたが、急に私の方に向いて、
「兄さんお祈りしたことある?」
 と、羞しさうな眼差しで言つた。
「お祈り?」私は幾分てれ臭い気持が湧いて来たので、「ないよ。」と短く答へてやつた。
「お前はお祈りをするのかい。多分するのだらうね。でも神様が無いのにお祈りするのはをかしいぢやないか。」
「でも……。」と弓子は当惑の色を浮べてゐたが、「でも……うち、ちよつとした拍子で、ぢきにお祈りしたうなるのやもん。うち、なにやら年をとるんがこはうなつて来ますのやもの。」
「年をとるのが?」
 と私はびつくりして急に訊き返した。なんだか、私は彼女が可哀想でならなくなつた。実のところを言ふと彼女は私の家では継子なのだ。彼女の母親といふのは、元この町の芸妓で、その頃大戦直後の好景気に乗つて羽振りのよかつた私の父が産ませた子なのだ。ところが運の悪いことにはこの母親が父に囲はれてから五年目に死んでしまつたのだ。なんでもちよつとした風邪から、突然肺炎を惹起して、もう五日目には屍になつてゐたとのことである。そこで、まだ五つにもならぬ彼女を私の家に引き取つて育てることを母が承諾したのだ。それといふのも、母に子供が私一人しかなかつたせゐもあつて、是非もう一人、今度は女の子が欲しい欲しいと言つてゐた矢先だつたので、根が善良な母は早速この子を自分の家に入れたのだつた。その後、母は男の子を一人産んだが、それは間もなく死んでしまつた。勿論継子とは言ひながら、兄弟は私だけだし、それに弓子自身にしても、まだ物心のつかない時分に私たちは兄妹になつたのだから誰に気兼ねをする訳でもなかつた。私はといへば、既に書いて来たやうに彼女を愛してゐる。しかしこの繊細な少女には、自分にはほんとの母親のないことが、大きな不幸であり、また心のずつと奥では、小さな時分からずつと何かしら満ち足りない、悲しみが流れてゐたのであらう。これはずつと後に、つまり彼女が自殺を遂げた後に彼女の日記を見て初めて解つたのだが、彼女は実母の顔を覚えてゐたのである。しかしそれも大抵の時は殆ど忘れてしまつたやうになつてゐるが、祈りをすると定つて浮んで来るといふのだ。それから、これは特筆に価することであるが、彼女の今言つたやうな、年を取ることが恐しい、といふ不安は、既に九つか十くらゐの頃から心に萌してゐたといふことである。そして更に私の推測を許されるなら、かうした不安は年と共に、時代の線に沿つて大きくなり、成長して行くものではなからうか? 何故なら、かうした彼女の不安は非常に根元的な、精神の基調につきまとふ影のやうなものであつて、そのため彼女は自分の眼に映る一切の出来事にこの影を感じ、次第にこの影、暗い影に敏感になつて行つたであらうからだ。
 とは言へ、こんなことは後に考へたことで、その時の私には、ただ彼女に母親のない悲しみをちよいと感じただけだ。
「ええ、うちなにやら年をとるのが恐いんよ。これからさきに、うちのやうな者でもいことがあるんかしら? 何年さきのことやらうち知らんけど、恐いことがうちを待つてをるのやわ、きつと。うちそんな気がするん。」
 断つて置くが、かうした彼女の言葉を継子のひねくれた言葉として取らないで欲しい。私たちの間には、勿論拭うても拭ひ切れない腹違ひの意識が、心の底にはあつたであらう。しかしそれはずつと心の奥深くのことで、自分らにも意識されないところのものだ。私たちはお互に愛し合つた兄妹であり、そこに隔たりも葛藤もなかつたのだ。ただただ彼女は自分の気持を信頼した兄――私は今でもさう思つてゐる――に素直な心でうち明けようとしたまでだ。
「そんなことないさ、お前は間もなくお嫁さんに行くのさ。そしてなんでもないさ。ひとつ僕が良い人を探してやるかな。」
「まあ、うちが? うち、お嫁さんに行けるんかしら?」と、彼女はちよつと考へ込んでゐたが、「自信ないんよ。学校でも、みなさんそんな話、しなはるわ。うち聴いてゐても、妙な気がするん。うちもみなさんと同じにお嫁さんになるんかしらん思うて見ても、うちはあの人たちと同んなじにお嫁さんになつて、子供をおんぶしたり、御飯を焚いたり、なにやら自信がないん。」
「なあに大丈夫だよ。それは、なにやら自信がないだけだよ。やつて見りや平気なもんさ。みんなそんな風に初めは自信がないんだよ、きつと。それに学校を卒業して二年も経つてごらん、完全に自信が出来ちやふよ。尤も僕だつて自信がないけれどね。そのうち出来ると思つてるのさ。」
「でも……信じられないん。」
「まるで自信がないのかい。」
「ええ。ぜんぜん。」…………





底本:「定本 北條民雄全集 上巻」東京創元社
   1980(昭和55)年10月20日初版
入力:Nana ohbe
校正:富田晶子
2016年12月9日作成
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