画室の言葉

藤島武二




 私は今年の文展出品作「耕到天」に、次のような解説をつけて置いた。

耕到天是勤勉哉
耕到空是貧哉
 右はかつて前後日本を観たる二支那人の評言、いずれも真言なるは大に首肯するに足る、山水は美に、人は勤勉なるはわが神州の姿なり、然れども国土の貧弱なることもまた事実なり、よって鬱勃たる気魄、この時正当如何に処すべきか、現事変下示唆を受くるところ最も深刻なるものあり、因てこの意を寓して題と作す。

 解説そのものについては、作者としてこれ以上何もつけ加えるものはないが、解説をつけたという気持に対して、ここに先ずいささか説明を加えて置こう。
 解説をつけた直接の動機は、極めて簡単なことであった。つまり画題が判らぬという人が多いので、これに対する説明を加えて置いた方がよいと考えたからである。しかしこの場合、単に画題の説明に止まるのみでなく、そこに画因への自分の気持を語って置きたい考えがあったことも事実であった。自分としては東洋画における画題の如き気持で、あの解説を書いたのである。
 一体絵画というものは、画面の表現を見るものであるから、その意味からいって先ず線や面や色の濃淡を見ようとすることは少しも間違いではない。しかし同時に、それだけでは満足できないことも事実であろうと思われる。もちろんどれ程深遠な内容が含まれていても、表現ができておらなければ絵としての問題とはならないが、それと同じ意味で何程表面だけができていても、内容に見るべきものがなければ、それは決して高度の鑑賞に耐え得るものではない。したがって絵を見る場合、単に画面の表面だけを見るに止まっては、それは正しい鑑賞とは言い得ないと思う。
 絵画のエスプリというのは、即ち画面の裏にかくされている作者の気持を言うのである。作品には必ず作者のエスプリが現われておらねばならぬし、同時に見る人も作品を通じて作者のエスプリのない作品、エスプリを見得ない鑑賞は、共に皮相的なるものであるに過ぎない。
 これはたとえていえば、人間の場合でも同じことである。いかに恰幅がよく容貌が魁偉であっても、その人にエスプリがなければ、真に威風堂々とは見られないであろうし、如何に器量がよくてもエスプリのない女は美人とは言い得ないわけである。姿態や顔貌は、絵でいえば画面の表面のことで、それを生かすものは結局人間のエスプリであるに外ならない。
 支那では昔から「読画」ということがいわれているが、これは非常にいい言葉だと思う。つまり絵は見るものであると同時に、その意味を読むものであるということである。即ち、絵のエスプリを理解して初めて正しい鑑賞がなり立つことをいっているのである。
 絵を見る場合、画面には先ず色彩があり、構図があり、線描があって、それが眼に入るのは当然であるが、それ以上に未だ奥があることを知っておかなければならぬ。テクニックの重要なことはもちろんであるが、これは狭い範囲の専門家がいうべきことであって、一般の人は必ずしもテクニックについて理解が深い必要はない。もちろんそれもあるに越したことはないが、その重要さを比較すれば、読画の精神は遥かにそれ以上である。
 私は絵を見る場合、常にこの気持をもってすることを忘れないようにしている。単に技巧の巧拙を見るばかりでなく、その絵を描いている人の態度とか、その絵のできる動機を見なければならぬと考えている。この点が何よりも大切なことであろうと信じているのである。
 支那の絵画、殊に南画系のものには必ず画題がついているが、これは西洋画には全く見られないことで、その点東洋画独自のものであると言い得られる。もちろん西洋画にも画題はあるが、それは静物とか風景とか、ただ目録を作る場合の便宜のための符牒のようなものである。しかし画題というものの本来の意味は、決してそんなものではなく、作者のイデーが画面に現われ、それを訳して画題に示すのではないと思う。その点支那画には、作者の気持を詳しく文字に書き現わしていて、画題本来の意味がはっきり窺われている。絵を見て感心するばかりでなく、その画題によって作者の心持が見えるということは非常にいいことであると思う。
 私の家の書斎にはいま新羅山人筆の柿と目白の水墨画の複製を額に入れて掲げてあるが、この絵には次のような画題が書いてある。

※(「さんずい+得のつくり」、第4水準2-78-68)※(「敬/手」、第3水準1-84-92)霜青雀深可託

 つまりその意味は、柿の実が成るまでにはいろいろと苦心を経ている、一見弱々しそうな枝であるが、苦労を経た枝であるから目白もよくそれを知っていて、自分の身を深く託し得られるのだ、というのである。
 新羅山人の経歴については深く調べたことはないが、明末清初の画人で、狷介不羈の風格であったことが知られている。明の皇帝から受けた殊遇を忘れず、清朝に代ってからしばしば礼を厚くして招かれたが、飽くまでも二君に仕えることを肯んぜず、清貧に甘んじて一生を終ったといわれている。学者としても聞えた人であったが、余りに奇骨稜々たる性格で、しばしば天を仰いで哭するというようなことがあり、時人が目して狂者としたというようなことも伝わっている。
 とにかくそうした人であったから、この絵にもよくその気持が現われているのである。自分は明の遺臣であって今更清朝に仕えようとは思わない、自分は他日明朝が再興する日を待って身を託そうとするばかりである、という意味が自ずから窺われて、惻々とその風格に接するの思いがあるのである。私は元来新羅山人の作品が好きであるが、それは単に絵がうまいばかりでなく、常にそうした気持が画題に含まれて、そこに滾々こんこんたる興味が尽きせぬからである。
 新羅山人のこの場合の感慨は、要するにその作品のエスプリである。したがってこの絵を見て、ただ柿の枝に小鳥が止っている、構図がいい、筆意がいい、というのだけでは、未だこの絵を充分に理解したとは言い得ないのである。画題の意を掬み、作者の気持と自分の気持を一つにして、始めて正しい読画ができるのである。
 新羅山人の複製は家にあと二枚あって、時々懸け換えるのであるが、他の一作には

孤煙双鳥下幽趣迫疎林

と書かれている。この図は左から斜めに出た小枝に鶺鴒せきれいが二羽飛び下りざまに止ったところを描いてあるだけで、これまた極めて簡単な図柄であるが、枝には風のそよぐ感じが出ているし、鶺鴒の頭の毛が細かに揺れて、いかにもスッと止ったという感じが出ている。画題にある孤煙というのは炭焼の煙でもあろうか、画面には煙の一筋も描かれていないが、画面右の空白の部分にいかにも孤煙の細くなびいているさまが想像されている。うっかり見るとただ単に花鳥を描いたとしか見えないが、画題を読むことによって、それが深山の幽趣を描いたものであることを知り、興趣は更に湧然として尽きぬのである。
 今一つの新羅山人画には次の如き画題がある。

周到白頭情更好
一双高睡海棠春

 これまた海棠と白頭鳥を描いたものであるが、そこには老来伉儷相和するの意が寓されていることを知るのである。

 東洋画には東洋画の伝統があるように、油絵にはまた油絵の伝統的精神が厳存する。イタリアに始まりフランスが継承したラテン精神がそれである。油絵を描くにはやはりその伝統を見ることが大切である。日本精神だけでいくら油絵を描こうとしても、それは無理である。
 油絵を描く場合においても、根本のエスプリは作者が日本人であるという事実を絶対に離れることはできないが、同時に油絵の伝統そのものにも眼をふさぐわけにはいかない。単に技術の上で学ぶべきものがあるという意ばかりでなく、その伝統精神の中からわれわれは大いに栄養とすべきものを摂取しなければならないと考える。
 どういう意味でいうのか知らないが、日本の美術も進歩した、誰彼の如きはフランスへ持って行っても優に一流の作家と肩を並べて恥ずかしくない位の実力を持っている、などという人があるが、私には到底そんなことは考え得られない。今度の事変では皇軍の強いことが改めて世界にはっきり認められたが、美術ももちろんそうあるべきことを熱望はしても、私の見るところでは、美術は未だそこまで行っているとは思えない。油絵は固よりであるが、日本画もその日本的な特色を離れて見ると案外幼稚であるように考えられる。戦争の場合における程、無条件に日本の美術を高く見ることは私にはできないのである。
 日本画の伝統について見れば、もちろん古人には幾多の優れた人がいるが、現代日本美術の水準は、日本画、洋画押しなべて世界第一流のものとは直ちに断定し得ないのである。いくら自分で世界一の美術だと称しても、押しの一手だけでは世界を承服せしむることはできない。皇軍の定評は、そこに儼たる実力が伴っているからであって、日本の美術が世界一になるためにはやはりそれだけの実力を持たなければならぬ。われわれはその押しを利かせるだけの実力を、すべからくわれわれ自身の手で把握しなければならないのである。
 フランスの美術も、一般的に見ればそこにかなり低級なものもあるが、傑出している人の実力に至っては遺憾ながら日本の美術家と同列に論ずるわけにはゆかない。その第一の理由として考えられるのは、先ず彼我美術家の制作に対する態度に甚だしく懸隔があることを指摘しなければならぬ。フランスの大画家といわれる人を見ると、その悉くが非常なる熱意を持ち続けて、最後まで押し通している。その熱意の猛烈なることには、日本人のような淡白な人種はただ驚嘆するばかりであるが、彼等の堂々たるタブローは結局そうした素晴らしい熱意の集積である事実に対し、われわれは大いに反省すべきであろうと考えるのである。
 もちろんそれには体力の相違ということもあるであろうが、日本の批評家の中には、どうも描きこみ過ぎている、もう少しアッサリやって貰いたい、などという人が多いのを見ると、油絵の本質というものが案外解っていないのではないかという気もする。油絵の本道を知らずに、徒らに日本人の趣味からそれを見ようとすることは大変な間違いである。
 油絵の本質は、どこまでもどこまでも突っ込んで行くところにある。体力のすべてを動員し、研究のすべてを尽し、修正に修正を重ねて完璧なものにするのが油絵である。そしてそれがためには断じて中途で挫折することのない熱烈な意欲が必要なのである。
 一体人間の行為である以上、誰の場合でもそこに誤ちがないと断定することはできないが、その誤りを改め、更に改め直して最後の完成に到達しようとするのが、油絵の行き方である。その点日本画とは非常な相違がある。日本画の場合にも、何枚も描き直すということはあるであろうが、画面に対する気持としてはむしろ絶対に描き直しをしないという心持の方が尊重されるのではないかと思われる。そこに日本画の特色のあることも見落せないが、彼我の特色を混同して見ることは大いに注意しなければならぬ。
 油絵は与えられた一枚の画布を、どこまでも修正することができ、そこがまた特色なのである。そして出来上ったものが少しも渋滞の跡を止めないものになって始めて完成した作品と言い得るのであり、またそこまで修正が利きもするのである。油絵の中でもスケッチ風にサラッとしたものもあるが、真のタブローはあくまでもかかる土台の上に立っているのであって、その最後まで追求の筆を止めないところに最も油絵らしい特質が発揮されるのである。もちろん口で言う程簡単なことではないが、最初画因によって得た興味を最後まで冷まさずに描けるところが特色なのであるから、油絵画家は最後まで所期のエスプリに向って追求の筆を止めるべきではないのである。油絵を描く場合、この本質を忘れて如何に小技巧を弄しても、それは決して堂々たるタブローとはなり得ないのである。
 修正を重ねるということは、結局修正の跡を全く止めないところに達するための手段である。あえて美術の場合のみに限ったことではないが、苦心の跡がむき出しに見え、労作の痕跡がありありと窺われているのでは、それを真の完成品と称することは未だしである。真の完成品とは即ち画面にいささかの作為も見られず、すこしの渋滞を止めないに至って初めて言い得ることであって、これこそ即ち天衣無縫の境地であるに外ならない。苦心は誰でもするが、その苦心がすっかり醇化されることは非常に困難である。如何にも天衣無縫らしく見せかけてあるが、実は方々に縫い目が見えているというような場合が案外に少なくないものである。近来若い人達の間にしきりに天衣無縫という言葉が安直に取扱われているようだが、その実どうかと思われる場合が多いのはどんなものであろう。
 古い時代の大画家はもちろんであるが、私はその意味で、ピカソでもボナールでもドランでもそれぞれ立派な仕事をしていると思っている。少なくともその素晴らしい熱意には、大いに学ぶべきであろうと考えるのである。

 若い人達の仕事を見ると、何れもなかなか巧妙にやってはいるが、一列に自分自身の熱意が未だ足りないということを感じさせられる。ピカソに学ぶのもよいが、ただ画面への追随として終っては無意味である。ピカソに学ばねばならぬのは、むしろその画面の裏にかくされている彼の逞しい熱意を見ることにあらねばならないと思う。
 熱意が足りないということは、同時にエスプリが足りないということである。何だかんだと迷っていることである。口ではイデオロギーを称するが、本当は未だよく解っておらぬからである。もし本当に自己を知り、強固に自己のエスプリを持っているならば、目標に向って邁進すべく熱意は自ずから湧き出るということが考えられていいはずである。
 芸術の道に志す以上、もちろん誰の場合にも自分の心持はあるわけであるが、いろいろなものに邪魔をされてそれが容易に発見できないということがある。同時に、日本人として先祖以来の国土に育ち、長い伝統の下に、誰もが皆どこかに日本人としてのエスプリを持っているに相違ないにも拘らず、自分でそれを認めないという場合もある。しかし美術史上の名作のどの一つをとって見ても、それが時代精神の反映でないものはない事実を考えて見れば、いま日本人としてのエスプリが、時局確認の上に立ち日本民族としての自覚の上にあらねばならぬことは余りにも自明である。懐疑と低徊からは何ものをも生み出し得ない。問題は虚心に純真に、物を正視することに尽きる。私は今の若い作家に、切にこのことを言って置きたいのである。
 自分の周囲の暗雲を払って、本当の自分を発見するということは、仏教などでもそれを最も大切なことに見ている。仏教で「自性円満」と言っているが、如何に立派な教理を聴いても自己をはっきり認識できなければ何にもならないことを教えるのである。仏教ではまた「這箇しゃこ」ということをいうが、これは即ち自己のエスプリを把握せよということである。口先で理屈をこねることは易しいが、本当にそれを自覚することは容易ではない。下らぬ空想や妄想に惑って、自己を忘れて了っては全く何にもならぬ。この実に簡単なことが却って非常に難かしいのであるが、われわれは力めて単純に簡潔に自分自身を生かすことによって、自己のエスプリをますますしっかりと自分のものにしなければならないことを痛感するばかりである。
 作家のみならず、批評家もまた同じことである。如何に博学多識を誇っても、自己のエスプリを把握しておらなければ、それはただ単に文字に書かれた批評であるに過ぎない。批評が生きた批評となるためには、借り物の知識を振り廻すだけでは駄目である。自己にエスプリのある批評家になってこそ初めて、絵を見る力が具わるのである。どれ程巧みに何程多弁に批評が語られていても、エスプリを見得ない批評はむしろ無用の長物である。
 かくして最後に、芸術の深奥の底にあるものを絵を読む力のある人が感受し、作者のエスプリと観者のエスプリが完全に渾融した時、芸術の久遠の生命がそこに見出されるのである。そして永久に長い感銘を伝えるもののみが後世に遺ってゆく。盲千人ということをいうが、その間をくぐって遺る価値あるもののみが遺ってゆく。これこそは実に誰もが何ともすることのできない、余りにも厳粛なる事実である。
 結局最後まで遺るものは、作者の精神が強く輝いている作品である。何程表面が美しくても、エスプリのない作品は決して後世に遺ることができない。仮りに当時にあってそのエスプリが理解されなくとも、いつかは必ずそれが認められて後世に遺ってゆくのである。私は近頃この「永久に遺る」ということをしみじみ恐ろしいことだと考えている。
 美術は永久に遺るものによって世の中を浄化するのである。ここに本当の芸術の価値が見出されるのである。そしてこのことは一方においてますます自己の無力を反省せしめることではあるが、その反面自己の仕事を楽しくさせることであると思う。私もまたこの両様の気持を同時に感じながら、ただ制作に力めるばかりである。改めて考えるまでもないが、展覧会で評判をとるというだけでは、まことに情けない芸当ではないかと思う。

 一体芸術は自分だけの力で発達するものではない。周囲の力が昂揚すると同時に、芸術の力もそれにつれて湧き上ってくるのである。たとえば現在の文展なども、大きく見ればそれを文展のみの責任に帰することは間違っているとも言い得られる。現在の日本の文化の在り方は大体あの程度のもので、文展だけが殊更それ以下というわけではない。日本の現在の政治、経済、文化のすべてを色と形で現わして見れば、要するに文展が出来上るわけである。その点、現実の文展はいま過渡期にあることも注意されなければならぬ。
 私は文展に限らず美術界のすべては、事変を契機とする民族力の発展昂揚を反映して、やがて大なる成果を挙げるであろうことを確信している。平和的所産である美術が事変によって蒙った打撃は深大であり、そこに一時の萎靡不振は已むを得なかったけれど、私はそれに対しいささかも悲観の必要はないと考えているのである。
 それよりも私はむしろ戦勝正大の気魄、国家興隆の大精神が美術の上にも当然顕示されて、従来よりも一層健康な大芸術の勃興が期待し得ることを断言して憚らないのである。かかる事実は古今東西の歴史に徴して既に余りにも歴然たることであり、更に日本民族の力を認識すればそれが余りにも当然なる結論であることを何人と雖も首肯せずにはおられないはずである。
 ただかかる機運は自ら醸成されるものであり、必ずしも人為的に導かれ得るものでないことを考える必要がある。たとえていえば、それは夜が明けるようなものである。何程夜明けを早めようとしても、時がこなければ太陽は現われない。われわれは常に用意しておればよい。そして自然に夜の明けるのを待てばよい。やがて太陽は光芒一箭、雲間を破ってその陸離たる光彩を燦然と輝かすのである。





底本:「日本の名随筆23 画」作品社
   1984(昭和59)年9月25日第1刷発行
   1991(平成3)年10月20日第12刷発行
底本の親本:「藝術のエスプリ」中央公論美術出版
   1982(昭和57)年2月
入力:加藤恭子
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年5月4日作成
2017年1月21日修正
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