最初は国枝史郎氏論という題で書こうと思ったけれど、「論」を書くほど自分の頭は論理的に出来ていないから、「人物と作品」と題して見たものの、自分には他人の人物や作品を批評する資格は少しもなく、ただその人物に接して得た私の感じを述べるに過ぎないことをあらかじめ御断りして置く。
始めて私が国枝史郎氏の作品に接したのは今から五年ほど前である。その頃私はパリーで再発した
しかし、その後、だんだん、私の健康が恢復して、
しかし、この「大鵬のゆくえ」が名古屋で書かれたものであるということは、その当時、少しも知らなかったのである。何でも、昨年の五六月頃、国枝氏が名古屋に居られることをきいて、一度御目にかかりたいものだと思っていると、幸いにも七月の下旬、プラトン社の川口氏の紹介で名古屋ホテルで会談することが出来た。その時江戸川乱歩氏も居て、自然探偵小説の話に及び、私が大正十二年頃の「新趣味」に氏の訳載されたイー・ドニ・ムニエの作品のことを言い出すと、意外にも氏の口から、あれは翻訳ではなく、舞台を外国に取って物した創作を、翻訳の形で発表したのに過ぎないときいてびっくりしてしまった。そうして私は自分の探偵眼の
それ以後、私は氏と交際を願って今日に及んでいるのである。そうして僅かに一年足らずの間に私は氏にどれだけ文芸に関する
文人としての国枝氏は、その潔癖に徹底しておられる。だから氏は文章を作るに非常に苦心される。氏の文章が音楽的であることはかつて本紙で「名人地獄」を紹介したときにも述べたのであるが、それはまさに当然の結果であって、しかも氏は、たえず「進化」ということを念頭に置いておられる。それがため、氏は一年前に書いた自分の文章にさえ満足出来ないのである。文章に対して潔癖を持つ氏は作品に対しても同様であって、最近氏は、探偵小説にも筆を染められるに至ったが、ある人が氏の探偵小説「銀三十枚」に感心してかかる優れた作品を生むのは氏の人格の然らしめるところであろうと言ったのは私も
氏の文章は一のリズムであると同時に一種の力である。氏の作品もまた一種の力である。氏の作品を読んで、ひしひしと胸に迫って来るある力を感じない人は恐らく一人もあるまい。その感じは爆裂弾を投げられたような感じである。そうして、この感じは氏に接しているときにも起る。氏はこの力で自己の病を征服し、世を征服しようとしておられる。だから、ある人は氏を評して爆弾の如く痛快な人だと言った。又ある人は氏を評してとても愉快な
氏のこの性質は、氏が信州人であるということを知れば一層よく理解することが出来ると思う。氏に接するとき私はいつも、雪に
氏の空想の豊富なことをかつて私はナイヤガラ瀑布の水量にたとえたことがあるが、その豊富な空想を自由自在に駆使して、しかも手に入った木曾を中心とし、こんど名古屋新聞に連載小説を発表さるることになった。こう言っただけでもうその作品が如何に面白いものであるかは察せられるであろうと思う。「
書きたいと思うことの十分の一も書かぬうちに、はや予定のページは尽きた。何だかとりとめのないことを書いてしまったが、これも、まさに発表さるべき作品にはや魅せられた証拠だと思って頂きたい。
(初出不明)