「二銭銅貨」の原稿を一読して一唱三嘆――いや、誰も傍にはいなかったから一唱一嘆だったが――早速、「近頃にない面白い探偵小説でした」と森下さんに書き送ったら「それに就ての感想」を書かないかとの、きつい言い付け。文芸批評と自分の法名ばかりは、臍の緒切ってからまだ書いたことが御座りませぬからと一応御断りしようと思ったところ、オルチー夫人のサー・パーシー・ブレークネーではないが、持って生れた悪戯気分がむらむらと頭を持ち上げて、大胆にもこうして御茶を濁すことになったのである。誠に仏国革命政府の眼をくらまして、貴族を盗み出す以上に冒険な仕事であるがせめて
地下鉄・サムの「新弟子」位の腕にあやかりたいと思ってはみても、いや、それはやっぱり強欲というもの。
三度の飯を四度食べても、毎日一度は探偵小説を読まねば気が済まぬという自分に、「二銭銅貨」のような優れた作を見せて下さった森下さんは、その功徳だけでも、
兜率天に生れたまうこと疑なし。
碌に読めもしない横文字を辿って、大分興味を
殺がれながら、尚おかつ外国の探偵小説をあさっていたのも、実は日本にこれという探偵小説がなかったからである。ところが「二銭銅貨」を読むに至って自分は驚いた。「二銭銅貨」の内容にまんまと一杯喰わされて多大の愉快を感じたと同じ程度に日本にも外国の知名の作家の塁を
摩すべき探偵小説家のあることに、自分は限りない喜びを感じたのである。「一班を以て全豹を知る」ということは総ての場合に通用すべき言ではないが、こうして見ると日本にも隠れたる立派な作家があることがわかった。否、まだ外にもあるに違いないということが推定された。それ故、「新青年」の編輯者が、かかる隠れたる作家を明るみへ出そうと企てられたことに自分は
満腔の賛意を表するのである。
芸術の鑑賞と批評――などと
鹿爪らしく言うのも
烏滸がましいが、優れたる探偵小説なるものは誰が読んでも面白いものでなくてはならない。そして探偵小説は描写の技巧の優れたるよりも
筋の優れたものを
上乗とすべきであろうと自分は思う。それ故
覚束ない外国語で読んでも、比較的完全にその趣向を味うことが出来るのである。劇とか詩とかは、言葉そのものから、しっくり味ってかからねばならぬのであるが探偵小説には、たとい、今後馬場氏が適切に説破せられたように、人情や風景の描写が多く入って来ても、興味の焦点となるものはやはりその筋書でなくてはならないと思う。この点があればこそこうして自分ごときの素人が、探偵小説に
嘴を入れ得る訳である。
探偵小説の面白味は言う迄もなく、謎や秘密がだんだん解けて行くことと、事件が意表外な結末を来す点にある。而もその事件の解決とか、発展とかが、必ず
自然的でなくてはならない。換言すれば偶然的、超自然的又は人工的であることを許さない。
其処に作者の大なる技巧を必要とする。即ちジニアスを要するのである。如何によい題材を得ても、また如何に自然科学に精通しても、単にそれだけでは駄目である。而も題材には限りがあり、又科学的新知識にも、進歩の頂点がある。実際、近頃の探偵小説を見るに大抵どれもこれも題材ががよく似ておって、これはと思う新奇な材料は少いのである。それ故今後の探偵小説家はどうしても筋の運び方、材料の取り方に新機軸を出すより外はないであろう。
こんな理窟を並べると何だか
擽ったいような気持になるから、
柄にないことはまあこれ位にして、さて「二銭銅貨」はどの点が優れているかというに、読者の既に読まれた如く、その
巧妙な暗号により、
只管に読者の心を奪って他を顧みる
遑をあらしめず、最後に至ってまんまと
背負投を食わす所にある。丁度ルブランの「アルセーヌ・リュパンの捕縛」を読んだ気持である。銅貨のトリックは外国の探偵小説からヒントを得たのであるかもしれぬが、点字と六字の名号とを結び付けた手腕は敬服の外はない。この点は地下のポオも恐らく三舎を避くるであろう。由来日本語を表わす暗号には巧妙なものが少く、この暗号は正に従来作られた暗号中の白眉と言ってよかろう。その他筋の運び方、描写の筆致など、どの点にも間然する所がない。ただ暗号の文字を
八字ずつ飛ばして読むと「御冗談」となるという点が少し「偶然」ではないかと思われるが、これはあまりに虫のいい註文であろう。
何れにしてもこの作は近来の傑作である。暗号を中心とした推理小説といえば、先ずポオの「黄金虫」、ドイルの「舞踏人形」、ルブランの「うつろの針」、それからカロリン・ウエルスの「
彫んだ暗号などを思い起すが、この作はそれ等の作に優るとも劣っていない。又暗号そのものから言ってもたしかに優れていると思う。リーヴはなるべく奇抜な材料を得んと心掛けている作家であるが、彼が「アドヴェンチュアレス」の中に入れている暗号は極めて平凡なものである。ル・キューの「暗号6」ではその解式を示さず、また同じ作者の「
不吉な十三」の一篇中の暗号も驚くに足らない。自分は「二銭銅貨」の作者が
益自重して、多くの立派な作品を提供せられんことを切望し、それと同時にこの作が他の多くの立派な探偵小説家の輩出する導火線とならんことを祈るのである。
(〈新青年〉大正十二年四月号発表)